字書きさんに20のお題
07/02/22〜03/20 に日記帳で一日一題をしていた時の名残。
ジャンルごちゃ混ぜですみません… ⇒配布元様
1.でんせん (不二 / 夢 / テニスの王子様)
2.とうひ (オリジナル)
3.いろ (跡部 / 夢 / テニスの王子様)
4.あと (日雛 / BLEACH)
5.けむり (オリジナル)
6.きょうかい (日雛 / BLEACH)
7.かみ (跡部 / 夢 / テニスの王子様)
8.あめ (越前 / 夢 / テニスの王子様)
9.かせ (不二 / 夢 / テニスの王子様)
10.おもい (不二 / 夢 / テニスの王子様)
11.ぐらす (跡部 / 夢 / テニスの王子様)
12.たいしょう (オリジナル)
13.やみ (オリジナル)
14.かぜ (不二 / 夢 / テニスの王子様)
15.がいとう (日雛 / BLEACH)
16.まち (越前 / 夢 / テニスの王子様)
17.じかん (越前 / 夢 / テニスの王子様)
18.いち (日雛 / BLEACH)
19.こーと (越前 / 夢 / テニスの王子様)
20.くすり (跡部 / 夢 / テニスの王子様)
 1.でんせん (電閃)
 空気がしんと張り詰めていて、わー道場ってこんななのかーすごいすごいと騒いでいた英二もぴたりと口を閉じた。痛いくらいにぴりぴりと肌を刺激する空気は、梅雨場で蒸し風呂のようになっている道場の中だというのに、自然に僕らの背筋を正させた。足音さえも鳴らしてはいけないような気になって、邪魔にならないよう静かに壁際に移動する。
 審査員の合図と共に一礼をした黒い袴を着た選手達が動いた。ある者は立ち上がり、ある者は片膝を立て、ある者は勢いよく腕を下ろす。選手達が振る鋭い銀色の日本刀が陽にあたり、ぎらりと瞬いた。
 ごくん、と隣で英二が息を呑むのが分かった。初めて見る居合に鳥肌た立つ。
 居合道は刀を持つが剣道のようにそれで戦うことはない。それぞれが前へ出て、それぞれの型を披露してその上手さ、美しさ、いかに洗練されているかを競う。それでも目の前には現実に敵がいると考え、ひとつひとつの型が自分が殺される前に相手を殺さねばならない真剣勝負なのだ、と前にが言っていた。
 圧倒されるままに型が終わり、審査員がそれぞれの旗を上げる。旗の色の数で勝敗が決まり、選手が一礼をして後ろに下がる。続いて、次の選手達が前へと上がった。
「あ、ほら、あそこ」
 眼の良い英二がなにかに気付いて奥の方を指差した。長い黒髪を後ろの高い位置でポニーテールにぐっと結び、一礼をするの姿が見える。審査員が言う、始め、の声でまず足が動いた。続いて腕が動き、抜刀。が抜いた刀が綺麗に、恐ろしいほど鋭く閃く。こんなところまで余韻が伝わるはずもないのに、なぜか圧力さえ感じる。
「すご……」
 思わず言葉が出たような英二の声が聞こえたが、相槌を打つほどにも首を動かすことが出来ない。身動きすることもままならないまま型が終わり、旗が上がる。圧倒的な勝利をが奪い、後ろに下がった。教室では見たことのない姿が目の前にある。隣の席に座る彼女は、こんなに勇ましいポニーテールではなく、ストレートに落とした髪が似合う女の子だった。まさか、黒い袴が当たり前のように似合う彼女ではなかった。ここまで、何かに対して真っ直ぐな視線を見せる彼女ではなかった。こんなに、痛いほどの気迫を見せる彼女を、僕は知らなかった。
 演技を終え、仲間の集う場所へ戻ろうとしていたが、ふとこっちを見た。黒や白の袴が行き来する中、この場にそぐわない洋服を来ている僕らの姿は簡単に見つけられる。
 試合を見にこい、と最初に誘ったのはどっちだっただろうか。テニスの試合を見に来たが、今度は自分の試合を見にこいと僕を誘った訳が十二分に分かる。きっとが僕を見たように、僕がを見るということが分かっていたのだ、彼女は。
 は僕の姿を見ても、こっちに来ることはなかった。他の選手が試合をしている中、空気がぴりぴりと緊張を持っている中、駆け寄ってしゃべることなんて少なくとも僕には容易じゃない。個人戦で堂々と勝利を飾ったには、次は準々決勝戦が待っている。
 はこっちへ来る代わりに、笑みだけを残して僕らに背を向けた。今の彼女なら絶対に似合うであろう勝ち誇ったような笑みではなく、いつも教室で見せるような、ふわりとした柔らかな笑み。計算尽くの僕の思考とはかけ離れた彼女の笑顔。の笑みは、僕の緊張を一瞬にしてとき解してしまった。
「……やられたな」
 これじゃ、まるでマリオネットだ。本人に自覚はないのだろうが、僕が操られるなんて滅多にないことなのに、どうして彼女はこうも簡単にやってくれるのだろう。
「どうかしたの、不二?」
 わーい、とに手を振っていた英二が、僕の言葉に気付いたのか首をかしげた。
「いや、なんでもないよ」
「そ?」
 無邪気に感動して試合に没頭する英二を見ながら、の刀の電閃が、例えば隣の英二に落ちなくてよかった、と僕は心の底から思った。彼女には勝てる気がまったくしない。僕が彼女から目を離すことなんて、とうていできないことなのだ。
2007.02.22 (不二 / 夢 / テニスの王子様) 
 2.とうひ (当否)
 ざわざわとさわがしいファストフード店の一角で、超一流エリート校の制服を華麗に着こなした美少年と美少女が向かい合って座っていた。複数枚のA4用紙の資料を、コンパクトかつ合理的にせまいテーブルの上に広げている。
 少年は銀縁の眼鏡を通して手に持っていた紙に視線を走らせた。直後、顔を動かすのも億劫だといったように視線だけを上にあげて少女を見る。憂いを伴う洗練された動作に、ファストフード店にたむろう女子学生達がこそこそとしながらも大胆に視線を向けた。
「灰(くい)、これは?」
 少年はすべての視線を邪険にしつつ、持っていた名刺ほどの大きさのカードのようなものをテーブルのA4用紙の上に無造作に置いた。カードにはかわいらしい文字と写真が載っていて、右下の方は鈍い銀色を光らせている。向かいに座る灰と呼ばれた少女が、楽しげにカードを手に取った。
「銀はがしのカードよ。コインでこすって、銀色の下に隠れている点数をチェックするの。20点集めたらかわいらしいグッズと交換してもらえるのよ」
 灰は呆れたような少年の視線をものともせず、ウキウキと有名ブランドの財布からぴかぴかの十円玉を取り出した。A4用紙の上にカードを据え置き、十円でカードの右下をこしこしとこする。銀色のカスを優雅に払いのけ、出てきた点数を見てにっこりと笑った。
「見て見て、白。一気に5点ももらっちゃった。グッズ到達まであと7点よ」
 カードを大切そうに専用のカードケースにしまう灰を横目に、白はつまらなさそうに灰の後ろの壁を見た。カードをそのまま大きくしたような薄っぺらいポスターが貼ってある。何時何時までに何点分を集めたらいいのかが、読む気にもならないほど細かい字で詳細に書かれている。
「ペンギンのカキ氷機なんて要らないだろ」
 かわいいのかそうでないのかなんとも言えないグッズの写真を見ながら呟く。何が受けたのか周りから黄色い悲鳴があがったが、白は慣れた様子で完ぺきに無視を決め込んだ。その代わり、ちらちらと盗むように灰に視線を飛ばす男子学生の方へ、面倒くさそうに一瞥をくれる。
「灰、俺達がここにいる理由はなんだ?」
「もちろん、来月生徒会に提出する党費の予算案を決めるため。それからファストフード店で食事をするため」
「前者だろ」
「後者もよ」
 灰は白のトレーの上に乗っているカードをちらりと見た。視線で欲しい欲しいと訴える灰に、白がカードをつまみ上げ、放り投げるように灰に与える。
「ありがとう」
 にっこり笑って早速十円玉を取り出す灰を見ながら、白はA4用紙をおざなりに隅に寄せて頬杖をついた。退屈そうな表情を捨て、わざとらしく不敵に笑う。
「灰、別にやりたくないんならやらなくてもいいんだぜ? 会計はお前であって俺じゃない」
 相手の顔近くギリギリまで端麗な顔を近付けて言う白に、灰はカードをこする手を止めた。顔をあげると、白を正面から見つめ返して計算し尽された美しい笑顔で微笑む。
「予算案が間に合わなかったら、責任を被るのは党首の白でしょう?」
 ね、と灰が小首をかしげる。白はこめかみをぴくりと動かした。一気に笑みを消してしかめ面に戻ると、椅子の背もたれに重心を移し腕を組む。カードに夢中になってやる気の欠片も見えない灰を睨みつけると、灰が小さく悲鳴をあげた。
「白!」
「……なんだよ」
 ため息と共に言葉を吐き出す白に、灰が信じられないといったように手に持っているカードを向ける。
「見て、当たりのカードよ! これ一枚でグッズと引き換えてもらえるすごいカードなの!」
 興奮気味に騒ぐ灰を、チャンスとばかりにまじまじと見つめる男子学生達の視線をものともせずに、無邪気に当たりだ当たりだと喜ぶ灰に、思わず白は突っ込んだ。
「お前、当否より党費に頭を働かせろ」
「当否? あら、そのギャグつまらないわ、白」
 カキ氷機は白のだけど引き換えてきてあげる、と嬉しげに立ち上がってカウンターまで向かう灰の後ろ姿を見て、白は深々とため息をついた。
2007.02.23 (オリジナル) 
 3.いろ (居ろ)
「いやはや、景吾君も成長されましたな」
 有名ブランドの灰色のスーツを無難に着こなした男が、大袈裟なくらい楽しげに笑った。顔を少しだけ後ろに逸らすと、その横で優雅に頭を下げる跡部家長男である跡部景吾の姿がちらっと見える。社交辞令か何かを言ってるみたいだったけど、灰色スーツの男みたいに下品な大声は出さなかったから、内容はちっとも聞こえなかった。
 めったに来れない大邸宅に中小企業の社長をしている父親に連れて来られたものの、パーティは少しも楽しくなかった。ここには中年男とその妻、そして彼らの子どもであるすましたお坊ちゃまとお嬢さましか居ない。それからあと、ご馳走とお酒と噂の山。
 眼を細めて遠くの方を見ると、大企業の重役に愛想笑いをふりまく父親が見えて、さらに気分が滅入った。だいたい、招待客リスト最下位に違いないうちの父親がわざわざ娘を連れてくるなんて、その理由はすけすけに透きとおっていると思う。つまり、あわよくば玉の輿だ。どこかの大企業のお坊ちゃまに見初められれば儲けもの、万が一にも跡部景吾なんて捕まえられたら祭りどころの騒ぎじゃないだろう。
 まあもちろん、そんなことは万に一つも、億に一つも有り得ることじゃない。両親だってまさかそこまでは期待してないだろう。上流階級のお坊ちゃまは、性格や容姿じゃなくて苗字(つまりお家柄のことだけど)で人を判断するんだから、これじゃなおさら無理だ。
「そんなところにいないで、ワインでもどう?」
 紺のスーツを着た高校生くらいの男が、両手にワイングラスを持って近寄ってきた。いかにもいいとこのお坊ちゃまといった感じだけど、あきらかに中学生のあたしにワインを勧めるなんて、人としてどうなのか。
 つっけんどんな対応をしてみたくなったけど、遠くを見ると、興味深々といった感じで父親がこっちを見ていた。しょうがないからにっこりと笑っておく。
「ありがとう、でもあまり飲みたくないの」
 やんわりと断ったのに、なぜか紺スーツの人はプライドが大きく傷つけられたかのような顔をした。近くを通りかかったボーイのトレーに一つだけグラスを置いて、わざとらしく咳払いをしてから言う。
「君とは今まであまり会ったことはないね。お父様はどなたかな?」
 あまりにあからさまな質問に頬がひきつりそうになったけど、我慢した。しょうがないしょうがない。なんてったってここは一般とは違う変人達の集まりだ。いちいち突っかかってたら身が持たない。
 ありったけの忍耐力を総動員してにっこり笑ったまま父親の名前を告げると、紺スーツ男はしばらく考えて、ああ、と相槌を打った。なにが「ああ」なんだろう。
「確か、名前を聞いたことがあるようなないような……おっと」
「あら、ごめんなさい」
 近くを通りかかった品のよさそうなお嬢さまにぶつかられたというのに、紺スーツ男は嬉しそうに頬をゆるめた。必要以上に親しげにいかにも良いとこそうなお嬢さまの名前を呼んで、身体ごとあたしから彼女の方へと向き直る。
「久しぶりだね。僕のことを覚えてくれているかな」
「ええ、もちろんよ」
 楽しげに話しながらあっさりと去っていく二人を見ながら、あたしは呆然と取り残された。
 深読みのしすぎかもしれないけど、あの女はわざとぶつかってきたんじゃないんだろうか。あの紺スーツ男は目前に餌にかじりつくことに必死で、あたしの白いドレスにワインをかけたことに気付いてないんだろうか。しかも赤。
 あたしのドレスは見るも無残にワインレッドと白のまだら模様になっていた。
「お嬢さま、大丈夫ですか?」
 異変に気付いたボーイがナフキンを持って来てくれたけど、あたしの怒りはナフキンなんかじゃ拭いきれない。もちろん、ワインが染みたドレスも元には戻らない。
 あたしはこれっぽっちも役に立たないナフキンをボーイに返して、トレーを持ったボーイを呼んだ。奪うようにワイングラスをつかむ。にこやかにお嬢さまと話している紺スーツ男の方に向かって、わざとらしく乾杯をする時みたいにワイングラスを傾けた。
「あんたからもらったワインじゃなかったら飲むのよ、あたしは!」
 勢いに任せてグラスのワインをぐっと飲み干す。ちょっと頭がくらくらしたけど平気なふりをしてグラスをトレーに返した。紺スーツ男なんか見たくもなくて別方向へ向き直ると、ふと視線を感じた。そっちを見る。直後、思わず数秒硬直してしまった。
「うわ」
 なんとあろうことか、あの跡部家長男跡部景吾が物珍しそうに笑みを含ませてこっちを見ていた。あれは絶対に動物園のパンダを見る目だ。あるいは、珍妙な自称芸術作品とかを見る目。
 何を思ったのか人の合間を縫ってこっちに来ようとする跡部景吾に、あたしは慌てて立ち去ろうとした。けど、ふとなにか怨念のようなものを感じてそっちを見ると、そこには必死に何かを伝えたがっている父親がいた。手をわたわたと振って合図している。意味は考えなくても明白だ。つまり、「そこに居ろ」。父親の意味してることは分かるけど、いったい何が悲しくて超一流エリートお坊ちゃま跡部景吾と、赤ワインまみれの格好をして会わなければいけないのか。
 あたしはため息をついて、含み笑いを隠そうともしない跡部景吾を見た。優雅に歩みを進めてあたしの前に立つ。跡部景吾は日本人離れした青い目でまっすぐにこっちを見て言った。
「どうやら楽しくはなさそうだな、あぁ?」
 挨拶なのかなんなのか分からない挨拶をされてしまって、仕方なく頭を下げておく。
「ええ、おかげさまで」
2007.02.24 (跡部 / 夢 / テニスの王子様) 
 4.あと (址)
「失礼します」
 声と同時に障子があいて、見たことのある五番隊の隊員が顔を出した。十番隊の執務室で書類の山と格闘していた乱菊と日番谷が、何事かと動かしていた手を止めて顔をあげる。
「どうかしたの?」
「ああ、いえ、もしかしたらうちの副隊長がお邪魔していないかと思いまして」
 そう言って隊員は改めて部屋の中を見ると、がっくりと肩を落とした。何か早急な用事でもあるのか、かなりの期待を込めて参上したらしい。
「急用か?」
 日番谷が問うと、隊員は迷うように視線を泳がせた。
「いえ、いやあの、まあ……至急雛森副隊長に見てもらわないといけない書類が回ってきたんですが、今副隊長は休憩中で、探しているんですが」
 他の心当たりはもう既に調べてきたのか、隊員はお手上げだといった感じでトーンを落として言った。
「申し訳ありません、どうやら見当違いでした」
 哀愁を漂わせながら障子をぱたんと閉めようとした隊員に、乱菊が手を振ってちょっと待ってと声をかける。
「雛森ならさっき会ったけど、お址参りに行くって言ってたわよ」
「お址参り?」
 聞き返した声が二重に重なった。五番隊隊員だけでなく、日番谷も眉をぴくと動かして先を促すように乱菊を見る。
「ほら、この間の戦闘で流魂街が巻き込まれたところがあったじゃないですか。建物が壊されたり、野焼きみたいにされてしまったところをお参りするんだって言ってましたよ」
「お址参り……」
 隊員は思うところあるのかしんみりとした口調で繰り返した。その直後、今抱えている問題を思い出したのか、さらにがっくりと肩を落とす。おそらく霊圧を押さえているだろう雛森を、広い流魂街の中探すのは無謀ともいえる行為だ。巻き添えを食った場所は被害が大きなところだけでも五、六箇所はある。おとなしく瀞霊廷で待っていた方が確実に早く出会えるだろう。
「そうですか……ありがとうございます」
 哀れな隊員は今度こそ障子をぱたんと閉めると、足取り重く去っていった。そんなに急ぎの用ならば地獄蝶でも使って呼び戻すことも容易だが、それをしそうにないあの様子からは、雛森の普段の様子がうかがえた。きっと他の隊員も脱帽するくらいに働き回っているのだろう。せめて休憩中くらいは、と思う隊員の心情が容易に想像できた。
 筆を動かす手を止め、何かを考えるかのように天井を睨み付けている日番谷の姿を見て、乱菊はにやりと笑んだ。
「雛森が気になりますか、隊長?」
 あきらかにからかいを含んだ物言いに、日番谷が乱菊を睨み付ける。本来の目つきからして睨んでいるような感じがする日番谷の視線をものともせずに、乱菊は分かりやすい隊長の態度に、面白そうに笑みを深めた。
 尸魂界が襲われてからここ何日か、瀞霊廷は混乱に見舞われている。攻撃を受けた流魂街の被害も少なくはなく、例外的に副隊長以上の権限を持つ者は偵察隊として自由に流魂街に出入りすることを許可された。しかし、依然として流魂街の住人達が死神に対して持っている感情は良くない。例えからまれても雛森ならやられることはないだろうが、流魂街の住人を攻撃することもできず、困ってあわてふためく姿は目に見えていた。
「松本」
 言いながら日番谷が筆を置いて立ち上がる。おとなしく仕事を続けてくれそうにはない隊長に、乱菊はすかさず言った。
「流魂街に行ってる時間は休憩時間としてカウントしますからね、隊長」
2007.02.25 (日雛 / BLEACH) 
 5.けむり (烟)
 砂埃を撒き散らしながら勢い良くガス・ステーションに入ってきたのは、一台のクライスラー・ジープ・チェロキーだった。ベストポジションにぴったりと位置を決めて、暴れ馬が急におとなしくなったかのように車が止まる。
 ガス・ステーションで働く従業員達が、久しぶりに見る車に、お、と視線を寄せた。車が止まってから数秒もしないうちに左側のウィンドウがあいて、運転手が顔を出す。
「ハイ、トニーボーイ」
 運転席の中から身を乗り出してウィンドウに肩肘をかけ、小走りで駆け寄ってきたひとりの従業員に向かってテリーは親しげに声をかけた。年の頃は二十才前後、金髪の長い髪を高い位置でひとつに結ぶ髪型は健在だ。
 トニーボーイと呼ばれた十五、六才くらいの少年はテリーの顔を見てにっと笑った。手のひらでばんっと威勢よくジープの側面を叩く。
「テリー、今回はチェロキーが元気そうでよかったぜ」
「主人の扱い方がいいからよ」
「は、よく言うぜ」
 笑いながらトニーボーイは車を一通りながめた。泥がこびり付いていたり小さな傷はいたるところに無数についているが、外観はそれほど悪くはない。もっとも、見てくれだけで車は動かないし、重要なのは外観よりも中身だ。
「今回はどんくらい余裕がある? 悪ぃけど今込んでっから、最低でも二日は待ってもらわないと」
 トニーボーイの言葉に、テリーはおや、と呟いた。かと思うと、急かすようにウィンドウの縁をぱしぱしと叩きながら言う。
「お願い、今見て、今! ガソリン入れて、軽く調整してくれたらそれでいいから」
「無茶言うなよ、テリー」
 煙草を吹かしながら小さな建物の中から出てきた男が大声で口を挟んだ。
「おい、いくらジープだからって、お前の運転じゃしっかり調整しとかねぇと長くはもたねぇ」
 テリーは男を見てにやっと口元を上げた。ジープから身を乗り出して男に劣らない大声で叫び返す。
「ダニー! ダニーの調整ならいけるって! お願い、すぐそこであたしらの宝が待ってるのよ!」
「宝だぁ?」
「そうそう、今度は不死鳥の脚とかよりも現実的な、金よ、金」
 おみやげは金塊よ、と言ってトニーボーイを向こうへ追いやると、テリーは強引に車を発進させた。無理矢理、車やら機械やらが詰め込んであるでかい小屋の中へ突っ込んでいく。
「あいかわらず強引だぜ、あいつは」
 テリーの行動を見て、ダニーが腕を組んで顔をしかめた。ボードに止めてある紙を見て、どうにか空き時間を作ろうと調整を試みるトニーボーイがにっと笑う。
「会えて嬉しいくせに」
「うるせぇ、このませガキが」
2007.02.26 (オリジナル) 
6.きょうかい (境界) 
 髪を後ろへと揺らす程度の風が絶えず身体を吹き付けている。春も近いというのに珍しく冷たく澄んだ風が、早咲きの梅を散らそうと吹き荒れる。鳥も飛ばず蝙蝠もいない夜の闇の深さは、鼓動を打つ心臓を持つ生物でさえをも呑み込んでしまうかのごとく深々としていた。
 深夜、人が活動する気配はそう多くはないが、残月はまだ高い位置にある。
 十番隊隊舎の屋根の上、日番谷はほとんど微動だにせず佇んでいた。小一時間程この場所で風に当たり続けているにも関わらず、鮮明に思い出せる血の臭いがやたらと鼻に付く。
 およそ二時間前、瀞霊廷内である死神の裏切りが発覚した。三番隊に所属していた顔も名前も知らない下級の死神だったが、発覚と同時に命令が下り、暗に処分を命じられた。
 遠くに逃げられる前に見つけよと指示が出た直後、その死神は日番谷と鉢合わせした。仕事の片が付き、偵察という名目をつけて隊舎に戻ろうとしたちょうどその時だ。
 思ってもいない人物に遭遇したためだろう、死神は混乱したのか言葉をなくして刀を抜いた。どう戦っても勝てるはずのない相手に、恐怖と怯えだけで刃の切っ先を向ける。
 震えながら腰を落として間合いを取ろうとする死神から眼をそらして、日番谷は空へと視線を向けた。戦いの巻き添えを食わない安全な距離をとって、死神を追いかけていた地獄蝶がひらひらと空を舞っている。
 視線を前へと戻した日番谷が右手を上から背中へ回す。背負う刀を抜く仕草に、死神が動いた。恐怖だけで刀と共に身体ごと日番谷へと突っ込んでくる。猪突猛進な攻撃を一歩引いてかわし、日番谷は相手の鳩尾に拳を潜り込ませた。鈍い音がして、死神がその場に崩れ落ちる。
 痛みに身体を丸める死神を一瞥して、日番谷が数歩前へ出る。
「地獄蝶」
 呼ぶと、空を舞っていた黒い蝶が従順に傍まで下りてきた。その蝶に二言三言、例の死神を捕らえた旨を伝える日番谷の耳に、突然、何度聞いても聞きなれない嫌な音が響いた。後ろを振り向かなくても何が起こったのか容易に想像がつく、鈍い音。
「おい、お前!」
 後ろを振り向き屈んで死神の身体を持ち上げたが、死神が己に突き刺した傷痕からは既におびただしい量の血が流れていた。どこにそんな決意を忍ばせていたのか、死神が己に突き刺した刀は真直ぐに心臓を捉えている。
「日番谷隊長!」
 地獄蝶を通して知らせを受けた他の死神が駆けてくる。血に濡れた死神と浅打を見て状況を把握したのか、日番谷に変わって死神の脈を取り、その死亡を告げる。遅れて到着した他の数名の死神と共に手早く遺体を運び、血に濡れたその場を応急的に処理して、死神達は日番谷に頭を下げて去っていく。その間、およそ十分弱。
 何事もなかったように再び静まり返った夜の闇の中、その場に一人残った日番谷は隊舎へと向かって廊下を踏み出した。屋根を少し外れると、雲の少ない空の月光に薄く照らされる。眼を凝らさなくとも、羽織にべったりとついた血が視界をかすめる。
 日番谷は足早に自分の部屋へ戻ると、まるでそれが汚らわしいものかのように羽織を脱いだ。湯とも水ともつかない生温い湯を浴び、袴を替える。早々に布団に入るも、確実に疲れているはずなのに眠気は襲ってこず、湯に浸かり着替えたはずなのに血の臭いは消えない。
 日番谷は深く長い溜息を吐き、気が進まないまま部屋を出て屋根へと上がった。肌に冷たい夜風にあたると、ようやく胸のむかつきがわずかに薄れる。
 名も知らないあの死神は、確実に昨日までは仲間としてここにいた存在だった。真央霊術院を共に卒業した仲間もいただろう。それが、今日という日を以て彼は敵になったのだ。自害を止められなくとも咎められず、あるいは刺し殺していたとしてもおそらく何も言われなかったであろう存在になった。敵と味方の境界は、あまりに曖昧で単純だ。自分達に歯向かうようになればあっと言う間にそれは敵となる。どんなに大きな地位を持ってこの場にいようとも、その規律を崩そうとすれば瞬くうちに敵となる。例えば、瀞霊廷そのものを裏切った藍染のように。例えば、その彼に付き従った者達のように。例えば、強く藍染を慕うような、そういう者のように。
 どこまでが敵でどこまでがそうでないのか。今は仲間として堂々と守れる相手も、明日そうであるかなど分からない。どこを境界線とするのか、その線は危うくぐらついている。
 もしも、何か一つ歯車を噛み違えたなら。もしも、雛森が敵とみなされれば。殺せと命令されたならば。
 少ないが厚い雲が月を隠し、少量の光さえも届かなくなる。
 日番谷は足を踏み出し、屋根の上から廊下へと下りた。今日も明日も仕事は絶え間なくやってくる。例え眠れないであろうと分かっていても、疲れ切った心身には形の上だけでも少しの休息が必要だった。
2007.02.27 (日雛 / BLEACH) 
7.かみ (加味) 
 跡部はめずらしく緩慢な動作で、監督から受け取った膨大な用紙がファイリングされたフォルダを広げた。いつものように放課後の練習が終わり、しばらくたった今は、部室にはもうあまり人影もない。
 ペットボトルのスポーツドリンクを飲み、雑にフォルダのプリントに視線を走らせる。四枚、五枚とページをめくり、既に嫌気がさしたのか指を止めた。あまりに多い用紙数に、周りに女子がいれば叫び声があがりそうな艶っぽいため息を深々とつくと、億劫そうにフォルダを見る。
 フォルダの内側、一枚目の用紙には「氷帝学園男子テニス部新マネージャー候補」と大きくプリントされている。テニス部員があまりに膨大な人数になったため、マネージャーの存在が必要不可欠と判断して募集をかけたのだが、その応募数はすさまじかった。当然のように応募者の九割以上が女子、そしてその大半がミーハー心だけで応募してきたというのは火を見るよりも明らかだ。
 先に監督が複数の試験を設け、これでもかなりの数にしぼったらしいが、それでもマンモス校である氷帝学園の持つ力はすごかった。用紙の数はざっと数えただけでも八十枚は下らない。募集人数はたった二、三人なのに、だ。
 跡部はもう一度ため息をつくと、足を組んでその上にフォルダを置き、おざなりにぱらぱらとページをめくった。
「跡部、そのファイルはどうしたん」
 肩をほぐしながら部室へと入ってきた忍足が、跡部に気付いて声をかけた。まだコートに残って練習していたのか、ユニフォーム姿で首からタオルをかけている。
 跡部はちらと忍足を見ると言った。
「監督がまとめた新マネージャー候補だ」
「へえ、それ全部かいな? また、えらいぎょーさん集まったもんやなぁ」
 感心したように言う忍足に、跡部はあからさまに顔をしかめた。
「監督がある程度絞ったとはいえ、見事に役に立たなさそうなのばっかりだぜ」
「まあ、立候補制やったし、しょうがないんとちゃう?」
「働きもしねぇマネージャーなんて、うちの部にはいらねえんだよ」
 跡部は馬鹿馬鹿しいとばかりにフォルダを閉じてそこらに投げやり、腰掛けているソファに深くもたれた。眉間に指をあてて天を仰ぐ。
「今は一年がマネージャー代わりみたいなもんやしなぁ。これじゃ育つもんも育たんくなるんやないかって懸念する監督の気持ちも分からへんでもないけど」
 跡部が捨てたフォルダを手に取り、忍足が乱雑に複数枚ごとにページをめくっていく。
「これ全部見るんだけでもしんどそうやわ」
 ページをめくる度に諦めにも似た表情になっていた忍足が、最後の数枚を残した一枚のプリントを見て手を止めた。
「なんやこれ、推薦者一覧?」
「……推薦者だと?」
「監督が氷帝の情報網を駆使してピックアップした適性人物やて」
 次のページをめくった忍足が、お、と面白そうに唇の端をあげた。
「なんや、の名前もあるやんけ」
 思いがけない名前に眉をぴくりと動かし、見せてみろ、と跡部がフォルダに手を伸ばす。
「これは、ひとりはに決定やな」
「お前の独断で決めるんじゃねえよ」
「ええやん、どうせその中から選ぶんやろ? 自分らが知っとる情報を加味したかてええやろ」
 のことやったら跡部かてよう知っとるやろうし、と忍足が意味ありげに笑う。
「マネージャーが入って来るのが楽しみやな、跡部」
「……どういう意味だ」
「別に?」
 笑みを見せたまま自分のロッカーへと向かう忍足を見送り、跡部は憂鬱そうにプリントを見た。けだるそうな雰囲気のまま、ほとんどの者が気付きそうにないほどわずかに唇の端を上へあげる。跡部は白い指を伸ばしてそばにあった赤ペンを取りあげると、の名前を大きく囲んだ。
2007.02.28 (跡部 / 夢 / テニスの王子様) 
8.あめ (豆汁) 
「はいはい、皆さん注目!」
 ミーティング後に部員達が行ってしまわないうちにあたしが声を張り上げて言うと、みんなそろって、またかというように足を止めた。その中には不安そうな顔もちらほら混ざっているけど、気にしない。乾先輩を多大に崇拝するあたしは、これまでも純粋ハチミツに始まって、特製美味スープ、乾汁改造版に至るまでいろんなものを作り出してきた。おかげで青学男子テニス部で風邪がはやったことはないし、それもこれも全部乾先輩とあたしが作り出す健康ドリンクのおかげだと信じてやまない。
 あたしの後ろには、もちろん今回も不敵に笑ってトレーを持つ乾先輩が控えてくれていて、あたしは元気よくぶんぶんと手を振って視線を集めた。
「今日はみんなに、あたしが新たに考案したこれを飲んでもらいます!」
 あたしが手に持ってかかげる半透明の液体を見て、なぜか部員達が一歩後ろに下がる。一番近くにいた人にまず飲んでもらおうと思ってたのに、これじゃ仕方がない。あたしはすたすたと歩いていって、目の前でおびえている人物に笑顔でカップを手渡した。
「はい桃城」
「なんでまたオレなんだよ!」
「なんででしょうね!」
 はい飲む飲む、と桃城に迫ってカップの中身を強引に口の中に押し込もうとする。と、急にカップを持っていた手が軽くなった。手のひらが空をつかむ。
「あれ?」
 わきわきと手のひらを振って横を見ると、あたしが持っていたカップをなぜか越前が持っていた。取り上げたカップの中身を、止める間もなく一息に飲み干す。
「ほう。自主的に飲むなんて偉いぞ、越前」
 乾先輩が嬉しそうに言った。
「…………」
「どう? どう?」
「不味いようなそうでないような……なんていうか、味がしない」
 越前のコメントに、周りの部員達が安心したようなため息をついた。失礼な。でも、少なくとも越前は倒れなかったし、不味くもないらしいし、大成功だ。
「これはいけますよ、乾先輩! 次の乾汁にはこれもいきましょう!」
「そうだな、試してみる価値はありそうだ」
 思わずガッツポーズをして乾先輩を振り返るあたしに、横から桃城の声が飛んだ。
「で、それは結局なんなんだよ?」
 前回の乾汁改造版よりも飲めるらしいと知っていきなり態度がでかくなった桃城に、あたしはちっちっと人差し指を左右に振った。
「これはね、豆汁よ」
「あめ?」
「つまり、もっと具体的に言うと」
 乾先輩がトレーをぐいっと前に出して、眼鏡をきらんと反射させながら言った。
「大豆を煮た時に出る汁のことだ」
「……そのまんまっスね」
 脱力した桃城に、あたしはウキウキと乾先輩のトレーからカップをひとつもらって、渡す。
「さあさあ、ぐいっと!」
 勢いよく桃城に差し出したカップが、なぜかまた消えた。横からカップを取り上げた越前が、なんとなくその辺にいた海堂とかに横流ししている。
「あれ?」
先輩、桃先輩のことばっかかまいすぎ」
 越前が言って、ぐいっと腕をひかれる。そのままどこかへひっぱっていこうとするから、あたしはあわてて後ろを振り返って叫んだ。
「乾先輩、あとはよろしくお願いします!」
 力をこめて腕をひっぱる越前が、なぜかため息をついたような気がした。
2007.03.01 (越前 / 夢 / テニスの王子様) 
 9.かせ (かせ
 わたしの言葉を聞いて、周助は首を横に振った。
 かせになっている、と最初に思ったのはいつだっただろう。確か、ちょうど一年前。わたし達が中学三年だった卒業をひかえた秋の頃だ。滅多に他校の生徒は受け入れない、有名なテニス選手のうち三割がそこを卒業しているという海外の一貫校から、周助と手塚君を特待生として受け入れるという知らせが来た時。あの時。周助が特待を断って、青学の高校へ入学すると決めた時。優しく笑って、もう会えなくなるんじゃないかって不安でたまらなかったわたしに「心配しなくていいよ」と言ってくれた時。あの時から、わたしはきっと思ってた。
 高校に入ってからも国内外のテニスの大会で、周助は好成績を残し続けた。それが再度あの一貫校の耳に届いたんだと思う、二年からでも編入しないかと周助のもとへ封書が届いた。わたしはそのことをまったく知らなくて、今知っているのだって、テニス部の顧問の先生が周助を説得しようと熱心に話しているのを偶然聞いたからだ。それがなかったら、きっとわたしが知らないうちに周助はそれをなかったことにしてしまっていたはずだ。わたしが泣くのを、不安がるのを、周助は一番気にしてくれる。周助がどうなのかよりも、わたしが幸せかどうかを、あるいは家族が幸せかどうかを、周りの大切な人が幸せかどうかを、周助は一番に気にしてくれる。例え、届いた海外の学校の資料を色褪せるほどに読んでいたとしても、だ。
 わたしが言葉を紡いだら、周助は首を横に振った。今、わたしが幸せで、周助が幸せなら、例え周助に今の幸せよりもっと幸せなことが待っていたとしても、周助はわたしを置いて一人で幸せになろうとはしない。とても優しくて、いつもそれに甘えてしまうわたしは時々自分が怖くなる。周助は絶対に、こんなところにいるべきじゃないのだ。
 周助がかせをほどけないのなら、わたしが解くべきなんだ。周助を好きなら、とても大好きなら、そうするべきだ。いつまでも浜にくくりつけてなんかいないで、寂しがりやのかせを想う、このうえなく優しい船を送り出さないと。
 いつか、たくさん時が過ぎた日には、こんなかせのことをたまに思い出してもらえれば嬉しい。元気かな、とか、何をしているのだろう、とか、思ってくれれば嬉しい。
 周助が頬へと寄せてくれた手を、さえぎって指を絡める。絡めた指先を、解く。
「さよならは言わないよ。いつか試合を見に行くから、テニスコートでまた会えるよ」
 優しい周助がテニスを頑張れますように。今が少しでもつらくないように、かせがきちんと外れてしまうまで、周助がテニスを頑張ることがわたしの幸せだと思ってくれますように。これからの周助が、どうか幸せでありますように。
 周助がいつか目的の場所へとたどり着いて、その時に、そこに留まるための小さな小さなかせを必要とするなら、そのかせがこのうえなく素敵なかせであればいい。たどりつく船に相応しい、素敵なかせが、あればいい。
2007.03.02 (不二 / 夢 / テニスの王子様) 
 10.おもい (想い)
 今日は土曜日で、おまけに年に一度の雛祭りだというのに、なんと午後から実力試験があった。定期試験が終わったばかりだというのになんてことだろう。ちなみに、どちらも試験と名付けられているけど定期試験と実力試験はまったくの別物だ。定期試験は事前の勉強が必要だけど、実力試験はその名の通り実力で受けるもので、つまり事前の勉強をするなんてせせこましいぜって感じの試験だ。そうだそうだ。
「華ちゃん、なんか問題出して」
「やだ、面倒」
 あたしの有無をいわせない拒否に、隣の席で単語帳を開いてにらめっこしていたがぷうっと頬を膨らませる。ほっぺたはマシュマロみたいに柔らかそうで、薄い色素の髪の毛はふわふわとしていて、はなんて可愛いんだろう。つーんとそっぽを向くの姿に思わず、まあ付き合ってやろうかという気になりかけたけど、いけないいけない。あたしには他にすることがあるのだ。
「まあまあちゃん、これあげるから機嫌なおして」
 あたしは鞄の中からお菓子の包みを取り出して、封をあけた。そのまま中身が取りやすいように傾けてへ差し出す。
「あ、ひなあられ」
 前の席に座っていた不二が、敏感に気付いて反応した。くるりと後ろを向いて、めずらしそうにあたしの手元を見る。
 そう、今のあたしがしないといけないことは、なにを隠そうこの場でひなあられを普及させることだ。せっかくの雛祭りなのに、絶対ほとんどの人が忘れてしまってるに決まっている。もしくは、どうでもいいと思っているとか。せっかくのお祭りなのに、そんなもったいないことは校長先生が許そうともあたしが許さない。
「季節ものでしょ、不二もお食べ」
 あたしは事前に準備しておいた折り紙の箱を机の中からひっぱりだした。昨日百均で綺麗な折り紙を買って、今日の三時間目の古典の時間に内職して作り上げたものだ。我ながらうまくできたと思う。
 ばらばらとあられを箱の中に移して、はい、とや不二に差し出す。箱の中をころころと転がる桃色に茶色、緑色のあられ達。なんて可愛いんだろう。ひなあられなんて、本当に雛祭りらしい食べ物だと思う。
「おいしい」
 ひょいとつかんでぱくと口の中へ放り込んだ不二がにっこりと笑う。もしぶとく単語帳は開いたままひょいぱくひょいぱくと食べていて、ひなあられ普及委員会会長のあたしとしてはちょっと満足した。複数枚作っていた折り紙の箱に、まだ包みに残っているひなあられを平等に分けて、前後左右に流していく。
「はい、これおすそ分けね」
「やりぃ」
 取りに来るやつら皆に配ってたら、と不二が食べている箱以外は、あっと言う間になくなってしまった。誰だって単語帳とにらめっこするよりも、おいしいひなあられを食べる方が嬉しいに決まってる。そりゃそうだ。
も食べなよ。はい」
 さっきから全然食べてないよね、と不二が桃色のひなあられをつかんで差し出してきた。白くて長くてきれいな人差し指と親指でつまんだまま、あたしの口元まで運んでくる。
「ありがと」
 あたしが不二の指先の下にわざわざ手のひらを広げて持ってくのに、不二はなぜかあられをあたしに渡そうとしない。
「はい」
 不二がにっこり笑って、早く食べろといわんばかりに指をさらにあたしの口元に近付けた。
 ちょっと待て。それはあれか、不二の指から直接受け取れというのか。しかも口で。
「ちょっと不二」
 自分で食べる、と続くはずだった言葉は言えなかった。うかつにも口を開いた隙にタイミングよく口の中へとあられを押し込まれる。あたしの唇に不二の指が触れて、一瞬、押さえつけられたのかとさえ思った。
「ななななっ」
「顔、赤いよ」
 動揺しまくりのあたしを見て、不二がくすくすと笑いながら人差し指をぺろりとなめる。なんて恥ずかしいことをする男か。なんてやつだ。
「うわあ」
 ため息のような声に振り向くと、一部始終を見ていたらしいまでも頬を染めていた。あたしの視線を追ってか不二がを見ると、そしらぬ振りをして単語帳で顔を隠す。なんて可愛い仕草。
「おいしいね」
 にっこりと笑ってひょうひょうと言う不二に、あたしはあられを投げつけてやりたくなった。この際、今年は家での準備にかまけてうっかり学校ではし忘れていた豆まきと一緒にしてもいい気がする。うん、そんな気がする。
「そんなにおいしいんなら、もっと食べれば!」
 ひなあられを二、三粒ひっつかんで投げようとした手を、投げる直前に軽々とつかまれてしまった。なんてことだろう、ちょっと力を入れたくらいじゃ動かない。
「それ、くれるの? 嬉しいな」
 不二はにっこり笑って、つかんだままのあたしの手首を引き寄せた。そのままあられを握っている指を押しのけて、手のひらに口付けるようにあられを奪っていく。
「ちょっ、なっ、不二!」
「ん」
 あられがなくなっても執拗に舌で手のひらをなめる不二に、あたしは思いっきり頭に血をのぼらせて固まった。大胆すぎる不二の食いっぷりに周りの誰かが口笛を吹く。
「お前ら、いちゃつくんなら外でやれ!」
「そうだそうだー!」
 不二の有り得ないあられの食べ方に、祭り好きのクラスメイトが過敏に反応する。どうにかしろとばかりに精一杯不二を睨み付けると、不二は手のひらから唇を離して、眼を細めて薄く笑った。挑発するように周りを見て、一言。
「羨ましいんなら、同じこと、やれば?」
 不二の爆弾発言に一気に教室中がどよめく。と思ったら、男子達があられを持って各々の彼女に迫っていった。
 やたらカップルが多くてノリの良いこのクラスはいったいなんなんだ。あちこちで繰り広げられる騒動に、隣にちょこんと座るなんか赤面してしまっている。もし越前がここにいたら、間違いなくこの騒ぎにまぎれてラッキーとばかりにをつかまえてやりたい放題していただろうに、学年が違っては本当に運がよかったとしか言いようがない。
「ちょっと男子、やめなよ!」
「そうよ、ああいうのは不二君みたいなカッコいい人じゃないとさまになんないのよ!」
 きゃーとかやだーとかの悲鳴が錯乱してなかば地獄絵図とかしたクラスの騒ぎは、誰かが叫んだ一言でぴたっとおさまった。
「おい、先生が来たぞ!」
 みんなの動きが一瞬にして完ぺきに止まる。なんて効果抜群の一言だ。馬鹿騒ぎをしていたやつらは慌てて席へ戻り、わざとらしく単語帳なんかを開いた。でも絶対あの声は廊下まで響いていただろうし、遊んでたのはばればれだろう。いったいこれは誰のせいなんだ、誰の。
 あたしは不二の唾液がついた手のひらを拭いてぺぺぺっと乾かしながら、何事もなかったかのように前を向いて座る不二を、思いっきり睨み付けた。
2007.03.03 (不二 / 夢 / テニスの王子様) 
 11.ぐらす (グラス)
 まぶたをゆっくりと開けると、そこには何もなかった。ただ暗闇が広がっているだけで、他には何にもない。何もないのに、周りからは楽しげな声やきれいな音がゆるやかに聞こえてくる。奏でられている音楽はベートーヴェンのソナタ「悲愴」だ。どこからか楽しげな声がするけど、その声は遠くてよく聞こえない。近くからはファンが回るようなごうごうとした音と、わずかに紙がすれるような音。例えば、本のページをそっとめくるような。
 手探りで前を探しても、空を切るだけで何も手に触れるものはない。ゆっくりと水に触れるように手を上から下へと動かして、ようやく私は自分が立っているのではないことに気が付いた。
 私は地に背をつけて仰向けになっている。上を見ても何もなく、ただ暗い。身体のそばに手をついて身を起こす。前を見るけれど、やはりそこは闇だった。ただ、時折音が聞こえてくるだけ。本の音、どこか遠くの笑い声、ベートーヴェンのソナタ「悲愴」。
 身を起こしたまま、手をまっすぐへ前へやる。何にも触れられず、虚しさと、怖さを感じた。何も見えない。何も近くにはない。何にもないのに、音だけがやけに頭に響く。
 恐ろしくなり、前へ出していた手を引っ込めようとした時、何かに腕をつかまれた。怖くなって振りほどこうしても、腕の自由は利くのに腕をつかむ何かは離れない。と思ったら、ふっとつかまれている感触がなくなった。代わりに、頭に何かが触れる。両側から押さえられるように頭にあてられた何かに、思わず眼をつむり、身を竦めた。
「おい」
 誰かの声がする。聞き慣れた、安心できるような低い声。
「目を開けろ」
 言われて、ゆっくりと閉じていたまぶたを開ける。途端に網膜を焼き付けるような輝く光りが見えた。眩しくて、数度ゆっくりと瞬きをする。目が慣れた頃、しばたかせていたまぶたをゆっくりと開けると、そこには呆れた顔をした景吾がいた。
「……景吾?」
「寝ぼけてんじゃねぇ」
 私の頭には景吾の左手が添えられていて、景吾の右手には黒いサングラスがある。
「せっかく別荘まで連れてきてやったのに、来て早々熟睡とはな」
 馬鹿にしたように唇の端をあげる景吾の顔を見て、ようやく記憶が戻ってくる。別荘の管理をしている気の良いおじさんから借してもらった大きな黒いサングラスをかけたまま、私は可愛いアンティークな部屋の白いふわふわのベッドの誘惑に負けてしまったんだ。
 景吾はサングラスをサイドテーブルの上に置いて、呆れているのか笑っているのかため息をついているのか分からない、たぶんそのどれをも含んでいるような表情をしている。
 なぜか景吾の姿を見るのが久しぶりのような気がして、思わず口元がゆるむ。なのに、なぜか視界がぼやける。景吾は私の頭に添えていた手を離すと、わたしの頭ごと全部抱きしめた。景吾が近くにいて、心臓がどきどきして、それでいて、嬉しい。
「悪い夢、見たかも」
 景吾の背中に腕をまわして、しがみつくようにして呟いたら、頭の上から声が降ってきた。
「俺がいるのに泣きそうな顔すんな」
 景吾だなぁと思う台詞に、少し笑ってしまう。嬉しくなって、面白くなって、くすくすと声をたてて笑うと、不機嫌そうな声が降ってくる。
「おい、笑うな」
 泣くなと言ったり、笑うなと言ったり、景吾は我侭だ。
 顔をあげると、言葉のかわりに景吾の唇が振ってきて、私は景吾の希望通り、泣くことも笑うことも出来なくなってしまった。
 2007.03.04 (跡部 / 夢 / テニスの王子様)
 12.たいしょう (大笑)
 丸子(まるね)がそっと襖をあけると、丸子の思惑通り襖の中はからっぽだった。先ほど丸子の母親が、本来中に入っているはずの布団を虫干ししようと外に出したのだから当然のことなのだが、丸子はあたかも自分の手柄のように嬉しそうにくっくと笑う。小さな身体をさらに縮こまらせて中に入り、襖の扉をぱたんと閉める。襖を閉めると、ほんのわずかな隙間からしか光が入ってこず、急に視界がまっくらになった。辺りがよく見えず、頭をごんと木の柱にぶつけてしまう。
「いってえ」
 丸子は頭をさすって、どこかにあるはずの柱を睨みつけた。それでもその効果が現れるわけではなく、丸子は気を取りなおして頭を低くして襖の隙間から外をのぞこうとする。廊下をたたっと走る音がして、その足音が丸子が隠れている部屋の前で止まった。なにかに気付いたのか、ゆっくりと畳をきしませて襖の方へと寄ってくる。丸子は「どこか行けどこか行け」と心の中で唱えながら、ことの成り行きを息をひそませて見守った。
 足音がねらったように襖の前で立ち止まり、そして一気に開け放たれる。
「見つけた、丸子!」
「わあっ」
 丸子は大声を出すと、驚いて襖の前から一歩後ろへさがった子雨(こあめ)の横をかいくぐって逃げようとした。それをすかさず子雨が身体で押さえ込むようにして、逃がすものかと丸子を捕まえる。
「ほら、捕まえた!」
「まだ! まだ捕まってない!」
 丸子が子雨の下でもがく。ちょうど体重が同じくらいの子雨は、あばれる丸子を必死に押さえ込んだ。
「こらあ、往生際が悪いわよ!」
 言いながら、子雨はひらめいて丸子の脇の下をさぐる。着物の上から指を動かしてうまい具合にくすぐってやった。
「うっわあっはははは!」
 途端に丸子が笑い出して身体をぎゅっと小さくさせる。それを上からすぽっと身体全体で覆いかぶさるようにして捕まえて、子雨は勝ちを宣言した。
「わたしの勝ち!」
「くっそお、くすぐるなんてひきょうだぞ!」
「捕まったのに捕まらないって言うのもひきょう!」
 ふてくされて文句を言う丸子に、子雨も負けじと言い返す。しばらくその場でにらめっこが続き、どちらかがふいっとそっぽを向こうとした、その時。
「おやつが出来ましたよ!」
 部屋越しに母親の声が聞こえ、丸子がぱっと顔を輝かせた。ついさっきまで不機嫌そうににらめっこをしていたのに、丸子の気の移り変わりの早さに子雨が呆れたような顔をする。
「子雨、おやつだって! 母さんのおやつはうまいんだぜ!」
 嬉しそうに立ち上がって小さな手を差し出す丸子を見て、子雨も笑ってその手をとる。二人はからっぽの襖を残したまま元気よく歩き出し、たたみをきゅっきゅっと鳴らした。
 2007.03.05 (オリジナル)
 13.やみ (矢見)
「ふむ」
 筝市郎は呟いて、畳の上に放ってあった眼鏡を拾った。耳にかけて、再び手にしていたものを見る。銀色に鋭く光る先端、細い木の感触。出来上がったばかりの矢に丹念に視線をすべらせて、ふむ、ともう一度小さく呟く。その直後、何気ない仕草で外へ向かって持っていた矢を鋭く投げた。筝市郎の指先から離れた矢は開け放しの障子の向こうまで飛んでいき、立派な松の木の先端にかけてあった的の真ん中へ突き刺さる。少し遅れて聞こえる、カンッと鼓膜を揺るがす音。
 矢の出来栄えに満足したように息をつき、筝市郎が矢を取りに行こうと立とうとした時、どこからか、からんころんと下駄の鳴る音がした。長い黒髪を無造作に上へまとめあげた琴子がふらりと姿を見せる。どぎついくらいに赤い着物。庭をつっきり、的の横へ来て歩みを止める。ちらりと的を見て筝市郎に言った。
「筝さん、中心よりも三ミリばかりずれておりますよ」
「そうだったかな」
「ええ、もっと上手くしなければ」
 無碍もなく言う琴子に、筝市郎が肩をすくめて見せる。今度こそ立ち上がり、下駄をつっかけて松の木へ向かう。顎に手をあてて的を見据え、矢の当たり具合を確認する。眉根を寄せて、姿勢を正す。
「おや、本当」
「下手な筝さん」
「そりゃ、お前と比べると。私は作るのが専門、お前は投げるのが専門。理には適う」
「そうでしょうとも」
「不当な言い方だね」
 くすりと唇に笑みを零し、筝市郎が深く的へ食い込んでいたはずの矢をすっと抜く。琴子がそれを受け取り、矢の出来を確かめるようにそっと撫でた。
「虎は虎の子」
 呪文のように唱え、赤い紅をつけた唇の端がすっと左右へ広がる。そのまま、まるで舞でも見せるかのように腕を揺らし、一瞬のうちに矢が消えた。その矢はかすかに揺れ、部屋の木の柱に突き刺さっている。以前に筝市郎が誤って矢で開けた小さな穴の中に、矢の先端が寸分違わず食い込んでいる。ほう、と筝市郎が目を細める。
「お見事」
「筝さんも」
 矢の仕上がりが気に入ったのか、琴子は満足そうに指先を着物の袖へと隠す。
「今日は仕事で、宴席で踊りますの」
「久々にお前の舞妓姿を見るのも良い」
「その後は?」
「その後は」
 筝市郎が薄く笑う。琴子がくっと喉を鳴らす。畳の上には完成したばかりの矢がまだ三本残っている。
 2007.03.10 (オリジナル)
 14.かぜ (風)
 強くはないゆるやかな風がさあっと耳横を駆け抜けた。不二の髪を後ろから前へと流してあっという間に去っていく。一瞬の風、数秒の後にもう一度。風にのって、どこからかテニスラケットのインパクト音も聞こえてくる。
 そういえば近くにテニスコートがあったはずだと思い当たり、少し迷ってからテニスコートの方へ足を向けた。気持ちの良い春の風に誘われて、少し外を歩こうと気ままに足を進めていただけで、今はラケットを持っているわけではない。それでも誰かがテニスをしているとつい嬉しくなって、足を向けたくなるのは性というものなのかもしれなかった。
 公園のすみにおざなりに作ってあるテニスコートは一面しかなかった。使用者の好意でギリギリの整備がされているようなその一面のテニスコートで、不二とあまり年の変わらない女子が二人、セルフジャッジで試合をしている。
 ボールを打つ時の声とともに、きれいに響くインパクト音。二度、三度とラリーが続き、不二から見て向かい側にいる相手がチャンスを逃さず鋭い打球を返してくる。こっち側にいる球を打たれた方は腰を落としてラケットを構える。ボールを捉え、腕を振る。流れるような動作でボールがラケットにあたった瞬間、すべての重さと回転を解放されたかのようにボールが一瞬止まった。自然にボール自らがその道筋を選んでいるかのように相手のコートの中へと入り込んで、落ちる。転がらず、静止するボール。
「ああ、また!」
 向かい側の相手が悔しそうに叫び、ポイントを決めた方が得意げにピースをした。
 不二は数秒のうちに目の前で繰り広げられた二人のテニスに目を見張った。正確に言えばポイントを決めた選手の動きに、だ。不二が得意とする風を使うカウンター技を彷彿とさせる見事なカウンター。相手と、ボールと、吹き抜ける風を完ぺきにつかんでいるショット。
 思わず右手で金網をつかむと、鉄がかすれてかしゃんと音が鳴った。その音に気付いたのか、あるいは視線を感じたのか、不二の方を見る形でラケットを構えていた方の女子が不二に気付く。驚いたように固まったのはさっきのラリーでポイントを取られた方だ。不二に背を向けている彼女は不二に気付いていないのか、サーブを打とうとボールをまっすぐと真上へあげる。
、いくよ!」
「ちょっと待った!」
 気持ちよくサーブを打とうとしたところに停止がかかり、トスをあげた彼女は見ていると思わず笑んでしまうくらい見事にからぶった。回転がかけられていたボールがそのまま下へと落ちて、転がる。
「な、なんなの?」
の後ろにいる!」
「いるって?」
 怪訝な顔をして、と呼ばれた女子が疑わしげにうしろを振り向く。風が駆け抜けて髪を揺らす。ボールがゆるやかに転がっていく。金網の外で試合を見ていた不二と、振り向いたの視線が合う。一瞬、音がなくなり、はとさっとその場に座り込んだ。不二を指差してぱくぱくと口を動かす。
「ふふ、ふ、ふ」
「ふ?」
 不二が首をかしげる。が大きく息を飲み込み、そのすべてを吐き出すような大声で言った。
「青学の不二周助!」
「そうだよ」
 不二がにっこりと笑う。風がやわらかくテニスコートの中を通り過ぎ、あっと言う間に去っていく。その風に吹かれて金網の入り口から外へ転がり出たボールをかがんで手に取り、不二はテニスコートの中へと入った。迷わずのそばへ行き、座り込んだままのに手を差し出すと、あ、とかえ、とか言いながらおずおずと手を伸ばしてくる。不二は楽しげに笑ってその手をひっぱりあげた。
「僕も君のようなカウンターが得意なんだ」
「……あなたも、風が、好きなんでしょ?」
 の言葉に不二が笑う。否定も肯定もしない不二の笑顔を遠慮がちに覗き込んでじっと見つめた後、が少しだけ嬉しそうに笑う。繋いだ手を離し、わたしも好きなの、と小さく呟いた。
2007.03.11 (不二 / 夢 / テニスの王子様)
 15.がいとう (外套)
 三月の半ば、明け方の冷え込みに眠気を妨げられて雛森は目を覚ました。
 寒いと自覚する前に身体が自然と身を縮こまらせていて、ひっぱりあげた布団は肩といわず首筋にまで載っている。昨日までは寒いと感じることはなかったのに、また冬に逆戻りしていきそうな冷え込みに雛森は小さく身体を震わせた。
 障子から差し込む光はまだ微弱で、部屋の中は暗闇に近い。時刻はおそらく五つ時ほどだろう。出勤までには時間がありすぎるが、二度寝をしようにも目が冴えてしまい、雛森は仕方なくもそもそと布団の中から起き上がった。着ていた白い寝巻きだけでは寒く、薄手の紺の羽織を肩にかける。寒さをしのごうと腕をかかえながら障子を開けると、外は雪がちらついていた。
「わあ」
 思わず小さく声をあげる。
 本来なら三月の半ばには降るはずのない雪が、まるで狂い桜のようにひらひらと空から降ってくる。細かな雪は地面には積もらず、降ってはすぐに消えていく。雛森は寒いのも忘れて廊下に出ると、屋根の下からそっと手を伸ばした。上に覆いがない手のひらや指先に、ぽつりぽつりと雪が触れては消えていく。空を見上げるともうほとんど雲はなく、死神達が起き出す頃にはおそらく止んでしまっているだろう。後にも残らず、ほとんどの者が雪が降ったことにも気付かない。
 視線を宙にただよわせてぼんやりと雪をながめていた雛森は、唐突に聞こえた床の鳴る音にはっと振り向いた。と同時に、雛森の顔面になにかがばさっとかぶさる。
「わ!」
 いきなり頭の上に落ちてきたなにかにあたふたと慌てる雛森の様子を見て、誰かが吹いて笑った。聞き覚えのある小さな笑い声に、雛森の動きが止まる。頭からずり落ちた外套を両手でうまくつかみながら、頬を膨らませて目の前にいる人を見た。
「日番谷君」
「こんな時間になにやってんだ」
 日番谷はふくれた雛森が手に握っている外套を奪い取ると、乱暴に雛森の肩にかけた。外套の重みと温かさに、自分の身体が冷え切っていたことに気付く。この場に来るまでおそらく日番谷自身が着ていたのだろう、外套からはほのかに布に残った体温が感じられた。
 わずかな温度と温かい外套に嬉しそうに頬をゆるめておとなしく外套に身をくるめた雛森は、そこでようやく、五つ時だというのにきちんと死装束を着ている日番谷の姿に気付いた。瞬時にしてかすかに表情を強張らせる。
「日番谷君、もしかして今から」
「日番谷隊長だろ」
 日番谷は雛森の言葉をさえぎると、ぐっと腕をあげて雛森の額に手を伸ばした。そのまま指先をぴんっとはじいて雛森の額に小さくでこぴんをする。
「痛たぁ」
「残業が終わって隊舎へ戻るところだ」
 わずかに疲労を見せながらもはっきりとした日番谷の言葉に、雛森は額に伸ばす手を止めた。安心したように息をついて、自分の早合点を恥じるようにえへへと笑う。
「そっか、こんな時間までお疲れさま」
 雛森のいつものふにゃっとした笑顔を見て、日番谷も表情をやわらかくした。外套の襟元を握ってあわせている雛森の指先に視線を移して、眉をしかめる。
「指先、どうした」
 日番谷に言われて雛森が自分の手を見る。かじかんで赤くなった己の指の先を見て、雛森はそこでようやく気付いたのか驚いたように小さく口を開けた。
「あ……雪に触ってたから」
 冷たくなった指先を温めようとそっと両手を口元に寄せるが、雛森が吐く息も白い結晶となって空気へと混ざっていく。日番谷があきれたように眼を細めて、雛森に手を差し出した。日番谷の意図がつかめずに頭の上にクエスチョンマークをとばす雛森を見て、さらに眉根を寄せると強引に雛森の手を奪う。手の先が触れた途端伝わってくる温もりに、雛森は素直に手をひかれた。言葉少なに雛森を気にかける日番谷の行動に、思わず笑みをこぼす。
「今朝が寒くてよかったな」
「なんでだよ」
 寒くて凍えてるくせに、と呟く日番谷に、雛森は繋いでいない方の手を駆使して外套の半分をばさっとかぶせた。少しでも温かいようにと身を寄せてくる雛森に、日番谷がめずらしく慌てた様子を見せる。
「だって、寒くなかったら起きてなかったもん」
 起きてよかった、と笑って日番谷の顔を覗き込む雛森に、日番谷は繋いだ手に力を込めてふいとそっぽを向いた。くすくすと雛森の小さな笑い声が響く。三月の雪はまだ、ひらひらと空を舞っている。
2007.03.15 (日雛 / BLEACH) 
 16.まち (俟ち)
「ねえ、越前」
 は口元を下げて腕を組むというポーズでおおいに悩みながら、部活の休憩中に隣でファンタグレープを飲む越前に言った。自身が所属している女子テニス部と、越前が生意気な実力派ルーキーとして名を通らせている男子テニス部とは、ちょうど秋の学生混合ダブルス大会に向けて休日返上で合同練習に励んでいる。二人ともテニスウェアを着て、手には各々のタオルを持って陽のあたるベンチに腰掛けていた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどね」
「……他のやつに聞いたら?」
 越前はの方をちらっと見て、すぐに興味なさそうに視線を戻した。とことん他人に興味を持たず、前を向いて汗をかいたジュースの缶に口をつける越前に、は慣れているのか平気な顔をして食い下がる。
「いいじゃん、ダブルスペアのよしみでさ。あのね、越前は今好きな人いる?」
「は?」
 飲もうと傾けた缶を中途半端に止めて、越前が間髪いれず聞き返した。めずらしく驚いた様子でまじまじとの顔を見る。
「なんでそんなことが知りたがるわけ?」
「なんでと言われても……うーん、ボランティア?」
 悩んだまま首をかしげるの答えに、越前が拍子抜けしたように小さく肩をすくめた。あっそ、と呟いて飲み損ねたファンタに口をつける。
「で、どうなの? いるの、いないの?」
「さあね」
「さあねじゃわかんない」
「聞いてる本人が興味ないのに言う必要ないじゃん」
「興味はあるよ。テニス部ナンバーワンルーキーの好きな人だもんね。で、誰?」
「お節介はほどほどにすれば?」
 そっけなく言い放つ越前に、がむうっと頬を膨らませる。どうすれば越前が口を割るだろうかという思いが無意識のうちに顔にはっきりと出ている。越前は呆れた顔で、隣でおおいに悩んでいるに視線をやると、一気に残ったファンタを飲み干した。空き缶を斜め左前にあるゴミ箱に向かって軽く投げる。
「ナイスシュート」
 からんからんと音をたてて缶をゴミ箱に入れた越前に、横から賞賛の声がした。ゆったりとした歩調でベンチまで近寄ってきた不二を越前が見上げる。不二は越前を見返すと、の前まで近寄って言った。
「ついさっき、女子テニス部のマネージャーがを捜してたよ」
「え、ほんとですか?」
 不二に言われ、がぱっと顔をあげる。なにか思い当たるふしがあるのか慌てた様子で立ち上がった。
「教えてくれてありがとうございます、不二先輩」
 は律儀に不二にぺこりとお辞儀をした後、越前に向かって手を振った。
「じゃあまた午後の練習でね、越前!」
 そのまま、越前の返事も待たずにマネージャーがいるであろうテニスコートへと駆け出していく。
「……なんスか?」
 ばたばたと駆けていったを見送ってくすりと笑った不二を見て、越前が顔をしかめて聞く。
「いや、越前は意外に我慢するタイプなんだと思って」
「別に。本人が自覚するの俟ってるだけだし」
 ひょうひょうと言ってのける越前に、不二が驚いたようにわずかに眼をあけて、それからゆっくりと微笑む。
が越前を好きになるっていう自信があるんだ?」
「当然」
「でも、それはどうかな?」
 低く言ってにこっと笑う不二を越前が睨み上げる。
 空は雲ひとつない晴天で、陽はさんさんと降り注いでいる。だが、この時なぜか二人の間で火花が散っていた気がした、と後々語ったのは偶然ベンチのそばを通りかけたカチロー談である。
2007.03.16 (越前 / 夢 / テニスの王子様) 
 17.じかん (時間)
 人の時間には限りがある。心臓が動く回数にも、太陽が燃えている期間にも。人が一度に読むことが出来る文字数や、リサイクルの回数や、酸素や水や、そんなものにも限りがある。
 人の価値とはなんですか、という質問の答えは時間だと誰かが言っていた。時間があるから人間には価値があるのだと。わたしにはそれがどういうことだか、いまいち分からない。
「つまり、死人には時間がないんだから、生きているということそのものが価値だということ?」
 Wiiリモコンをすこんと振りながらわたしが言うと、リョーマが眉根を寄せてリモコンを持つ右腕を軽々と振った。スピーカーから音が鳴って、画面の中でテニスボールがはずむ。
「それなら、人間だけじゃなくて太陽の価値も酸素の価値も、どんなものの価値だって時間ってことになるよね。ダイヤモンドの価値はカラットの数じゃなくて時間です、とかさ」
「ダイヤモンドは心臓を動かしたりだとか燃えたりだとか、そういう活動をしてないから、違うのよそれは。言い換えるなら、生物の価値が時間、ってことになるのかも」
「じゃあ、植物は? あれも生きてるんじゃない?」
「植物に思考ってあるの?」
「ナメクジに思考ってあるわけ?」
「うーん」
 呟いてリモコンをぶんっと振ってスマッシュを決めたつもりだったのに、どういう技を使ったのかうまくリョーマのラケットにあてられてしまう。
「違うのかも。思考は問題じゃないのよね、たぶん。そうじゃなくて、時間の感覚があるかないか、よ。植物だって太陽があるのを感知して光合成するわけだから、時間の感覚があるっていったらあることになるでしょ。ナメクジだって眠ったり起きたりするわけだし、そういうことよね」
「つまり、は人間の価値は時間っていう説に納得したんだ?」
「納得したんじゃんなくて、わたしなりに解釈して理解しようと試みたの」
「ふーん」
「ありがとう、リョーマ」
「……何が?」
 ばしっとスマッシュを打たれて30-0を宣言されたあたしがお礼なんていうもんだから、リョーマが変な顔をして聞いてくる。ぴっと笛が鳴る音を待って、トスをあげてサーブを打った。リョーマが楽々とボールをガットのいい場所にあてて打ち返してくる。
「人間の価値が時間なら、リョーマはその時間を今わたしと一緒に過ごしてくれてるんだもんね。だから」
「だから、ありがとう?」
「そう」
 すぱんっといい音が鳴って、コートにボールが飛び込んでくる。思った以上に速さのあるボールをギリギリのところでなんとか拾う。ぱこんと間抜けな音が鳴る。
「それはさ、俺は居たくないのにここに居るわけじゃないし、むしろ俺がここに居たいから居る場合も、お礼を言われるわけ?」
「そのことに感謝するのが片方だけだろうがそうでなかろうが、お礼を言っちゃだめなわけじゃないでしょ?」
「そうだね。じゃあさ」
「うん」
「結婚するとか家族でいるっていうのは、その人の価値の大部分を配偶者や家族と共有するってことになるんだよね」
「通い婚とか、別居とかじゃなければね」
「仮に、結婚を生涯一緒に時間を過ごすっていう意味にしとくとするじゃん」
「うん」
「それで俺が、にこれからの時間を全部一緒にすごそうって言ったとしたら、どうする? つまり、俺がの価値の大部分を独り占めするか、あるいは子どもが出来たら子どもと分け合うってことだけど」
 長引きそうなラリーに突入していた試合だったのに、わたしが思わず打ち損ねたせいでコートにボールがてんてんと転がった。1ゲームをリョーマに取られてしまう。
「言ったとしたら?」
「そう」
「それは仮定よね」
「まあね」
「それじゃ、言われてみないと分からない」
 トスをあげかけたリョーマがサーブを打つのを止めた。ラケットにあたらないままボールがすとんと下に落ちて、フォルトを言い渡される。
は言われたい?」
「リョーマは言いたいの?」
 聞き返したわたしの言葉に、リョーマがめずらしくためらうように言いよどんだ。眼は画面じゃなくてまっすぐにこっちを見ているのに、口元はわずかに動こうとしているのに、言葉は出てこない。
「サーブ打たないと時間切れになっちゃうよ、リョーマ」
「……の価値を俺が独り占めしての生き方を左右させるような、そういうこと言うのって結構勇気いるよね」
「勇気が出るまで待っててあげようか?」
「そんなに待たせる気はないけど」
 でも、とリョーマが言葉を続ける。
「とりあえず、ゲームしながらは言いたくない」
 そんなことを言いながらサーブは思いっきり鋭い球を打ってくるリョーマに、わたしは思わず笑ってしまった。
2007.03.17 (越前 / 夢 / テニスの王子様) 
 18.いち (位置)
 カンっと木刀同士が打ち合う音が聞こえ、雛森は廊下を歩く足を休め振り向いた。砂埃を小さくあげながら、死神の中でも背が高くはない雛森よりもさらに背の小さい二人が組んで外で打ち合っている。身に着けている真央霊術院の制服の色は青と赤だ。
「甘い! 遅い!」
 優勢に押しているのは赤色の制服を着た女子で、男子は必死に彼女の攻撃を木刀で受けていた。青色がじりじりと後ろに下がり、追い詰めた彼女はていやっと木刀を打ち鳴らす。
「隙有り!」
 気持ち良いくらいまでに木刀の音が響いて、男子が持っていた木刀が弾き飛ばされた。木刀は大きく飛んで雛森が立っている廊下のすぐ近くにかたんと落ちる。視線で飛ばされた木刀を追った男子が雛森の姿に気付き、慌ててその場に膝をついた。
「五、五番隊副隊長!」
 男子生徒の言葉に女生徒も振り返り、驚きの表情で慌てて男子と同じく地面に膝をついて頭を下げる。
「ど、どうして護廷十三隊五番隊副隊長が真央霊術院にいるの?」
「視察に来ると先生が言ってたけど」
「でも、どうしてこんなとこに」
 頭を下げたまま明らかに同様した二人がひそひそと交わす言葉がうまく風に載り、雛森の耳まで届いた。緊張した面持ちで泡を食らっている二人を見て思わず口元に笑みを浮かべる。雛森にとっても自身が真央霊術院の生徒だった頃は、護廷十三隊の死神達はそれだけで畏れ多いものだった。いや、今でも自分にとって護廷十三隊の隊長達は畏れ多い。
 雛森は廊下からおりて木刀を拾うと、どうしようどうしようとそわそわしている二人のもとまで近づいた。ふわりと笑って木刀を差し出す。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
 押し頂くようにして受け取ろうとする男子生徒を見て、雛森はふと何かを思い、渡しかけた木刀を止めた。変わりにぎゅっと握って生徒等の前で構えてみせる。
「雛森副隊長?」
 困惑の表情を見せる生徒等に、雛森は歩幅を広げてしっかりと構えのポーズをとってみせた。
「木刀を握る時はね、右手と左手の感覚はこのくらい。しっかり持っておかないと弾き飛ばされちゃうでしょ?」
「あ……」
 刀の扱い方を教えてもらっているのだ、ということを理解した二人が小さく声をもらす。かと思えば、次の瞬間には真剣な表情で雛森の動作に見入っていた。一途に学ぼうとする二人を見て、雛森はつい自分が生徒だった頃を思い出す。強くなって、必ずや護廷十三隊五番隊に入りたいと願ったあの頃。
「攻める時も闇雲に前に出るんじゃなくて、身体の軸をちゃんとして足をしっかりと踏みしめてから、ね」
 二人がうまく捌けていなかった基礎の型を一通り示した雛森は、今度こそ木刀を男子生徒に返した。頑張ってね、と踵を返そうとした雛森を呼び止める声がした。自分の木刀をしっかりと握り締め、雛森を呼び止めた赤い制服を着た彼女は自分よりも背の高い雛森をわずかに見上げる。
「雛森副隊長! あの、もしお時間があれば、少しだけ打ち合いを見てもらえませんか?」
 懇願する視線と雛森のそれとが絡まった。期待と畏れと後悔が入り混じる視線はとても懐かしく、温かく感じる。
「少しだけね」
 雛森はふわっと笑って、二人からある程度の距離をおいて立った。くっと顎をひいた表情が引き締まり、よく通る声がその場に響く。
「では、互いに組んで」
 雛森の号令に、慌てて二人が木刀を構えて対峙する。息を吸い、雛森が開始の号令をかけようとした時、雛森の更に後ろから声がかかった。
「雛森!」
 聞き慣れた声に、あるいは真央霊術院の中では普段感じることのない大きな霊圧に、思わず雛森も生徒等も声がした方を振り向く。
「日番谷君」
「何してる、帰るぞ」
 廊下に立ちこちらを見ていた日番谷は、雛森から視線を外し二人の生徒等を見た。鋭い視線に生徒等が思わず一歩後ずさる。
「日番谷君、この子達が打ち合いを見て欲しいって」
「お前な、遊びに来たんじゃねえんだぞ。懐かしいからってうろちょろすんな。時間だ、時間」
 眉間に皺を寄せて早くしろ、という日番谷に、雛森は頬を膨らませながらも生徒等に両手を合わせた。
「ごめんね」
 視線と霊圧にすっかり怯えてその場に固まってしまった彼らを気にとめながらも、隊の動きをあまり乱す訳にも行かないことを分かっている雛森は大人しく廊下へあがる。それを待って歩き出した日番谷が、ふいに足を止め振り向いた。再度視線を向けられておびえる生徒達に言い放つ。
「組んだ時の立ち位置が近すぎる。木刀はもっとゆったり構えろ」
 言うだけいって返事を待たずに廊下の角を早足で曲がる日番谷を追いかけ、雛森は日番谷の顔を覗き込んでくすりと笑みを浮かべた。
「シロちゃんも、先生に同じこと言われたことあった?」
 日番谷がぐっと眉根を寄せる。足を前へと進めながら盛大にため息を吐いた。
「雛森、日番谷隊長、だ」
2007.03.18  (日雛 / BLEACH)
 19.こーと (コート)
 ぼこんっとすっきりしない変な音が聞こえた。気持ちが悪いテニスラケットのインパクト音。普段部活中にはあんまり聞かない、初心者が打つボールがラケットのフレームに当たる音だ。これじゃ絶対に変な方向にボールが飛んでいく。
「下手くそ」
 思わず呟いた瞬間、俺の目の前に黄色いボールが落ちてきた。ばさばさに毛羽立っているボールがてんてんと転がる。嫌な予感がしてボールが飛んできた方を振り返った。
「すいませーん、ボール取ってもらえますか?」
 案の定テニスコートの中から手をぱたぱたと振って自己主張する人がいる。ただでさえ下手くそなのに、こんなけばけばのボールで練習してもコントロールもなにもあったもんじゃない。まあ、その前にガットにあたってないんだからどっちにしても同じかもしれないけど。
 テニスバックがずり落ちないように肩にかけなおして、ボールを手に取る。相手に届く範囲で軽く投げてやると、まさかと思うタイミングで見事に取り損ねた。どれだけ運動神経がないんだろう。
 上半身をかがめてようやくボールを受け取った相手は、ぺこっと頭を下げてテニスコートへ戻った。いや、テニスコートはすり抜けてその近くにある壁打ち用の壁に向かう。相手の姿も見えないし、一人で壁打ちをやっていたんだろう。けばけばのボールをフレームにあててるようじゃ、いつ上達するか分かんないけど。
 あまりにひどいテニスに呆れて、視線を戻して歩き出す。と思ったら、俺が数歩歩くか歩かないうちに、再びばこんっと変な音がした。激しく嫌な予感がして、反射的に斜め上に右腕を伸ばす。直後、さっき投げ返したはずのばさばさテニスボールが手のひらの中にすぽっと収まった。
 なんなんだ、まったく。なんであの向きで壁打ちをしてこっちに飛んでくるのか意味不明だ。ラケットをバットみたいに真横に振らない限りこっちに飛んでくるはずがない。
「…………」
 あの運動神経じゃ有り得なくない想像に、なんとなく押し黙ってしまう。
「ごめんなさい、そのボールわたしのでーす!」
 ホームランを打った能天気なやつが両腕をぱたぱたと大きく振って自己主張した。なにも考えてないようなへらへらふわふわと楽しそうに笑っているそいつの表情に苛立って、ボールを心無しか強く投げる。
「あ」
 やばい、と思った時はもう遅かった。ボールは結構な勢いを持って正確にそいつのもとへと向かい、笑えるくらい見事に顔面衝突した。ふらふらと身体を左右に揺らしたあと、頭をかかえてその場に座り込む。
「……マジで?」
 さすがに自分で蒔いた種を放っておくわけにもいかず、俺は小さくため息をついてテニスコートへ向かった。さっさと家に帰ってランニングに行きたかったけど、しょうがない。
「ごめん、大丈夫?」
 近寄って立ち上がるのを手伝うために手を出してやると、そいつはへらへらと笑って手を取った。どうせスポーツ選手にあこがれてミーハー心でテニスをやってるか、あるいは誰かの気をひくためにテニスをやってるか、まあ動機はそんなところだろうと思っていたのに、触った手は予想外にしっかりしている。テニスをやってる手じゃないけど、なにか手を使うことをやっているのか指先が硬い。
 立ち上がったそいつは、よく見るとどっかの学校の制服を着ていた。テニスウェアどころかスポーツウェアでもない。手に持っているラケットのガットはさすがにゆるんでまではいないが、フレームは塗装が剥げてぼろぼろに見える。
「あ、テニスやってるんだ」
 俺のテニスバックを見てそいつはなぜか納得したように頷いた。
「なんかね、テニスボールに慣れてるなって思ったんだ」
「……あんたは全然慣れてないよね」
「あ、分かる?」
 いや、あんなインパクト音を聞けば誰でも分かると思うけど。俺の心中のつっこみが分かってるのか分かってないのか、そいつは口を閉ざさずぺらぺらとしゃべる。
「体力つけなきゃと思って、隣の家のおじさんにラケットとボール借りてちょっとやってみてただけなの」
 へらっと笑って言うそいつの言葉からは、けばけばボールを使ってた理由が簡単に想像できた。隣のおじさんとかいうやつが、どうせ若い頃ちょっと遊んでた程度の古い道具一式を押し付けたんだろう。そしてそのけばけばボールがもう使い物にならない球だということをこいつは分かっていない。
「本気でテニスやるんなら、とりあえずボールくらい新しいの買った方がいいと思うんだけど」
「あ、いいのいいの、テニスは本気でやらないから」
 せっかく忠告したのに手をひらひらと振って当たり前のように言い放たれて、少しむっとする。確かにその格好とこの道具で、本気でテニスやってるとか言われても馬鹿だとしか思わないけど。
「その代わり、わたしの本気はね」
 あれ、と言ってそいつが指差した方を見てみると、通学鞄とその隣に馬鹿でかいケースが置いてあった。バイオリンを入れるケースを数倍も巨大にしたみたいなのが、テニスコートの横に場違いに存在している。
「コントラバス。大切なわたしのパートナーなんだけど、とにかくでかいから持ち運ぶのが大変で。それで体力強化をはかろうと」
「で、テニス?」
「そうそう。この前友達に誘われてテニスの試合を見にいったんだけど、そこで試合してた青学の桃城っていう人がすごく楽しそうだったのね。どーんって。それに触発されちゃって」
「……へえ」
「テニスって楽しいね」
 めちゃくちゃ下手くそなくせに、なにを楽しんでいるのか想像がつかない。それでもふわふわの笑顔で心底そう感じてるように言うから、思わず言ってしまった。
「今度の日曜日、青学のテニスコート」
「え?」
「来たら? もっと興奮するゲーム、見られるかもよ」
 俺の言葉に、そいつは大きく眼を輝かせてうんと頷いた。だからもしかしたら本当に来るかも、と思ってたら案の定そいつは制服姿でぼろぼろのラケットを持ってやってきた。しかも、午後からレッスンに直行すると言ってコントラバスを転がしながら。
2007.03.19  (越前 / 夢 / テニスの王子様)
 20.くすり (薬)
 青学には乾というプレイヤー兼マネージャーをしている人がいると日吉が言っていた。彼は野菜汁だとか乾汁だとかの特製ドリンクを作って選手に飲ませているらしい。しかも、なんだかそれは超強烈なのだそうだ。それを知ってわたしは思った。青春学園に氷帝学園が負けた要因のひとつは、氷帝男子テニス部マネージャーであるわたしの責任もあるんじゃないんだろうか。いや、きっとある(これは今日の古典でやってた反語ってやつ)。氷帝にはもうとっても冴える監督が一人いるけど、同じくらい冴えるマネージャーも必要で、それからきっと強烈な特製ドリンクとかが必要なんだ。そういう秘密兵器みたいなのが。つまり、言い換えると秘薬ってやつ。例え氷帝の選手がすごく強いとはいっても、秘薬はないよりあった方が良いに決まってる。
 そうと決まれば思い立ったが吉日。早速ためしに乾汁とやらを作ってみたいけど、でも、残念なことにわたしは乾汁というものを見たことがないし、ましてや飲んだこともない。どんな味なのか、どんな効果をもたらすのか、どうやって作ればいいのかも知らない。いったいなんなんだろう、乾汁って。
「という訳で、とりあえずこんなの作ってみました!」
 迷った末、わたしは試作品第一号として黒煙ジュースというのを作ってみた。トマトから始まり冬虫夏草にいたるまで色んなものをミックスしたものに、最後はいかすみで着色、色を黒くしていかにも秘薬っていう感じにしてある。どろどろしてなくてさらさらしているから、飲みやすさと消化性吸収性にも長けているはずだ。ちなみにもちろん自分でも飲んでみたけど、意外とそれほどまずくはなかった。友達にあげたらすごい顔してトイレにかけこんでいったけど、まあそれは好みの問題。それに昔から良薬口に苦しって言うし。
「先輩、それ……ほんとに飲み物なんですか?」
「なっ、長太郎なにを言うの! もちろんよ! オブ・コース!」
 いつもは可愛い長太郎のこの失礼発言はどうかと思うけど、この飲み物の威力を見抜くとはさすが長太郎。他のみんなも、特に岳人なんて分かりやすいくらい怯えている。なんでかは分からないけど、きっと秘薬の色を見て武者震いとかしちゃってるんだろう。
「大丈夫、ちゃんと味見もしてあるし、さあ」
「おい
 どんな効果が得られるだろうかと期待を込めて注いだカップを岳人に差し出したところで、ストップがかかった。振り向かなくても分かる、テニス部部長の跡部さまだ。
「うちのレギュラーにそんなもん飲ませるな」
「そんなもんって……跡部ひどい!」
「ひどくねぇ。そんな汚染されたドブみたいなもんを飲まそうとするやつの方がよっぽどひでぇ」
「跡部、なにもそこまで言わへんでも」
 忍足がなだめてくれたけど、跡部は当たり前のことを言ったまでだとばかりにふんぞり返った。そりゃそうだろう、見た目は確かに黒でよく分からない飲み物だから、飲みたくないって思うのも分かる。でもわたしはちゃんと味見したし、毒見も(友達に)させたし、普段は読まないような分厚い本を広げて健康に良い食品をあちこちで探して努力したのだ。見たこともない乾汁に打ち勝つか、あるいはそれと同等の効果を得られるように。頑張ってるレギュラー達が存分に力を発揮できるようにと思って、わたしは頑張ったのだ。
「おい、さっさとそれを捨ててこい」
 跡部のむげつない俺様口調に、コップを持つ手が震えた。跡部はわたしがどんな思いでこれを作ったのか、考えることなんてないのだ。立派な部長と冴える監督がいれば、副部長なんていなくてもやっていけるし、無能なマネージャーなんて邪魔だと思っている。
「聞いてんのか、
 苛立たしげに言う跡部をきっと睨みつける。なんでか知らないけど視界がぼやけておかしい。ぼんやりした視界で見えた跡部がこっちを見てちょっと驚いたような顔をしたけど、どうでもいい。わたしは勢いよくコップに口をつけて特製黒煙ジュースをごくごくと一気に飲み干した。確かに美味しいとはいえない味がぶあっと口の中に広がってくる。
「おい!」
 跡部が今度こそ驚いたように手を伸ばしてきた。むかつくほど綺麗なその手を払いのける。
「悪かったわね、汚染されたドブみたいなものを飲ませようとして! どうせわたしが頑張ったって余計なことするだけだもんね、もうなにもしないから安心してよ!」
 言いたいことはまだまだあったけどどうせ言っても無駄だし意味がないし、とりあえず口をつぐんだ。そのままずかずかと部室のドアへ向かう。部屋を出ようとしたら腕をつかまれた。跡部だ。
「どこ行くんだよ、まだ部活は終わってねぇだろうが」
「……退部する」
「あぁ?」
「練習メニューは監督が考えるし、ユニフォームの洗濯は新入生がやるし、マネージャーなんて言ってもわたしがここにいる意味なんてひとっつもないじゃない。どうにか役にたとうっていろんなことしようとしたけど、その度に『引っ込んでろ』とか『邪魔するんじゃねぇ』とかそればっかりで! わたしだってね、わたしだって、皆の邪魔したいわけじゃなくて役にたちたかったの!」
 勢いにまかせて跡部の手を振りほどこうとしたのに、逆に痛いくらい腕をつかまれた。睨みつけようと跡部を見上げたら、怖いくらいに強い視線が絡んでくる。
「まあまあ、あんまりそう脅かさんと」
 忍足がやんわりと間に割って入ってきて、跡部の腕を外した。思わずさすった腕が、放されてもまだ痛い。
 不機嫌そうな跡部を背で隠して、忍足があやすようにわたしの頭をなでた。
はドジやからなぁ、跡部も心配やったんやろ」
 忍足が言った有り得ない発言に思わず聞き返す。
「心配?」
「それに、俺達のために頑張ろうとしてくれる先輩の姿は、それだけで俺達も頑張らなきゃって気にさせてくれるんですよ」
「長太郎……」
「大体、跡部が存在意義のないマネージャーをいつまでもここに置いとくかよ」
「宍戸」
「……おい、
 よく通る低い声で名前を呼ばれて振り向くと、腕を組んだ俺様跡部さまがむかつくほど端整な顔で言い放った。
「お前の退部は俺様が許可しねぇ。分かったか、あぁ?」
2007.03.20  (跡部 / 夢 / テニスの王子様)