本気、出そうか


さんの好みのタイプって、どんな人?」
 卒業アルバムに使う写真をどれにしようかと、机いっぱいに広げた大量の写真とにらめっこしていたは、突然の質問に数秒遅れて顔をあげた。
「……え?」
 委員会でやるべき作業がまにあっていないを気遣い、手伝うよ、と申し出てくれた不二は、迷いなく手を動かしながら、趣味のサボテンの話しをしている時と同じトーンで質問を繰り返す。
「どんな人が好き?」
 は不二の言葉を頭の中で繰り返し、完ぺきに作業を止めた。質問の意図を考える。日が沈みかけた夕暮れ時に、せっかくテニス部の練習が休みなのにわざわざ手伝ってくれている不二が、の好みのタイプを聞く理由。
 頭の上にクエスチョンマークを飛ばしながら不二をじっと見つめるのようすを盗み見て、不二がくすっと笑う。それを見ては、ようやく意図をつかんだのか、ああ、とうなずいた。より分けたばかりの写真を1枚手に取って、不二に見せる。
「たとえば、この写真の大野くんの表情はすごくいいと思うの。ほら、めいっぱい楽しそうで。でも、となりにいる宮原さんが目をつむってて、卒アルにのせるのはどうかなって」
「うん?」
「わたしの好みとしては、こんなふうにしあわせな空気が伝わってくるような写真を選びたいんだけど、でも、みんながいい表情で写っている写真となると、探すのがなかなか難しいよね」
 視線を手元に戻しながら、みんなの卒アルなんだから偏るのもよくないし、と言葉を続ける。予想とは違う方向へいってしまったの答えに、今度は不二が手を止めた。
「それは、さんの写真の好みの話しかな」
「うん。卒アルにのせる写真の方向性の話しでしょ?」
 突然好みのタイプなんて言うからびっくりしちゃった、と笑いながら、不二くんは?と聞き返す。
「どんなふうに写真を選んでるの?」
 できるだけ指紋をつけないように気をつけながら、1枚1枚ていねいに、候補の写真とそうでない写真をより分けていく。あ、これいいかも、と何気なく手にとった写真にはテニス部のレギュラージャージが写っていた。いつ撮られたのか、テニスコートを背に手塚と不二が真剣に話しあっているようすが切り取られている。まさに青春の1ページという感じで、は満足気にうなずきながら候補写真の山の上にかさねた。
「僕の場合は、そうだね」
 写真を選び続けるの手の動きを視線で追いながら、どうしたものかと考え、不二は言葉を選んだ。
「もちろん笑顔の写真もいいけど、真剣になにかに取り組んでいる姿や、がんばっていることがわかる写真ものせたいかな」
 たとえば、と長くきれいな指を伸ばして、のとなりに追いてある写真の山を指差す。
さんが選んでくれた、その写真みたいに」
「これ?」
 は山の上にかさねたばかりの写真をもう一度手にとった。不二が言うとおり、真剣な表情でテニスと向き合っている写真からはエネルギーが伝わってくるような気がする。カメラの方を向いているわけではないのに、写真越しにでもその瞳を見ていると、吸い込まれそうな感覚になるほどに。
さん?」
 名前を呼ばれて、ははっと顔をあげた。本人の目の前で写真を凝視するなんて、失礼だったかもしれない。唯子はそっと不二のようすをうかがったが、不二はいつものように微笑んでいた。
「あとは、アルバムにのせるかどうかはともかく、好きな人の写真にはつい目がいってしまうよね」
 の手から写真を取り上げ、そっと山の上に戻す。
さんは、そういうことってない?」
「え、と、そうかな。どうだろう。わたし、好きってよくわからなくて」
 不二にまっすぐに見つめられ、は言葉をつまらせながら視線をそらした。顔がほんのり色づいてしまったかもしれないと不安になり、自分の頬あたりを両手でぱたぱたとあおいでしまう。そんなの仕草をおもしろそうに見ながら、不二は自分がより分けた写真の山から1枚取り出した。
「たとえば、この写真とかね」
 不二に差し出された写真を見る。これもまたいつ撮られたのか、と親友のが図書館で勉強している写真だった。確か期末試験が近く、お互いの苦手科目を教えあっていた時のものだ。
 はしげしげと写真を見て、不二を見て、また写真を見た。ふたりとも写真に撮られているなんてつゆとも知らず、まじめに勉強に取り組んでいる。卒アルを発注している業者から来たプロのカメラマンの手によるものなのだろう、窓からは美しく日差しが差し込み、絵になりそうなほど上手に撮られている。この写真なら写っているのが誰であれ問題じゃないな、と考えたところで、は不二の言葉を思い出した。驚いたような表情で、ぱっと顔をあげる。それを待ち構えていたかのような不二と、みごとに視線がかさなる。
「不二くん」
「うん」
 は一度視線をはずし、そのままどこを見るでもなく視線をさまよわせ、そしてまた不二の方を見た。
「あのね、不二くん」
 不二の名前をもう一度繰り返す。それから、気まずそうに言葉を続けた。
には彼氏がいるんだ」
「……うん?」
「ごめんね、でも、言わない方が傷つけるかと思って」
 視線を伏せて、居心地が悪そうに膝の上で両指を絡ませる。ショックだよね、とか、を好きになる気持ちすごくわかる、とか、精一杯の励ましの言葉をさがし続けるの姿を見ながら、不二はストップしかけた思考をなんとか稼働させた。
「……ライバル達が苦戦してたのは知っていたけどね」
 誰にともなく小さくつぶやき、そして、これまでにないほどきれいに口角をあげた。瞳の中に小さく熱をともらせ、微笑む。とまどい続ける唯子から視線を離さない。
「そろそろ本気、出そうか」
「……本気?」
 は不二の口調を聞き、ほとんどの人が勘づくことすらない微妙な雰囲気の変化に気付いた。
「あのね、不二くんのこと応援したいけど、でもは今すごくしあわせそうで」
「そうじゃないんだ」
 不二はの言葉をさえぎり、机をはさんでと向き合うように座っていた席から立ち上がった。のとなりに移動し、不自然なほどの方に椅子を寄せ、机ではなくの方を向いて座る。
「ふ、不二くん?」
 身体が密着しそうなほど近付かれ、は視線のやり場をなくす。両手をかさねてきゅっと握りしめ、どうしよう、と絡ませた指を見ていた視界に、不二の両手が割り込んできた。なにが起きたのか把握することもできないまま、不二の手がの絡んだ指をほどいていく。そのかわりに、手のひらを密着させながら、自分の指を絡ませた。が振り払えばそうできるほどの力しか入れられていないのに、状況についていけないは、自分の指とは確かに違う男性の指が絡んでくる感覚に、息をすることすら忘れてしまう。
「僕が好きなのは君なんだ」
 不二がの目をまっすぐに見つめながら言う。言葉の意味を理解するよりもまず、その声の優しさと、そして力強さが頭の中に流れ込んでくる。は驚きで固まったまぶたをそのままに、ゆっくりと不二の方に向き直り、そして自分を落ち着かせるかのようにまばたきをした。長いまつげが2回、閉じて、開く。
さんが好きなんだ」
 視線が確かに絡んでいることを確認し、不二がもう一度、ゆっくりと言った。どんなにが鈍感でも、決して意味を取り違えることのないように、まるで身体に染み込ませるかのように、繰り返す。
「不二くんが、わたし、を」
「好きだ」
 呆然と繰り返すの言葉に言葉をかさねる。トーストにはちみつがじわじわと染み込むように、の中に不二の甘い言葉が浸透していく。そのことを自覚したとたん、は一瞬で顔を染め上げた。反射的に不二の手を離そうとして、逃さないと言わんばかりに力強く握りしめられる。痛くはない。本気で嫌ならいつでも逃げられる、そのことをは知っている。でも、逃げることができない。もしかしたら、逃げたくないのかもしれない。
「不二くん、わたし」
 は必死に言葉を紡ごうとする。不二は優しくの言葉を待つ。
「恋を知らなくて、好きって、わからなくて」
 緊張でふるえる声を隠そうともせず、必死に不二に気持ちを伝えようとするの姿に、不二は表情を変えまいと平静をよそおった。本当はすぐにでも抱きしめてしまいたいのに、心をコントロールするのはむずかしい。
「不二くんのことは、好きだけど、でもあの、を好きなのと同じような感じで」
「うん」
「不二くんの気持ちに、ちゃんと応えられるか、わからなくて」
「大丈夫だよ」
 不二の言葉はあいかわらず優しかったが、疑う余地がないほどはっきりとした物言いに、はじっと不二の目を見た。不二の視線が熱い。
「大丈夫なのかな」
「うん、大丈夫」
「だけどもし、不二くんを傷つけたら」
「大丈夫。は全力で僕と向き合ってくれる人だから」
 少しの違和感もなく名前を呼ばれ、でもそれが心地よいと感じたことに、はびっくりする。そんな、まさか、と思う。たった数分のあいだにこんなに距離を縮められたのに、少しの違和感もないなんて。
「本気、出すよ」
 優しく見つめられながら言われた、前後がつながらない不二の言葉に、え、と聞き返す。
の気持ちが僕に追いつくように」
 本気で行くから覚悟してくれる?と耳元に口を寄せて嬉しそうにささやかれ、は思わず身体をぴくりと動かした。心臓のドキドキがいっこうに止まる気配を見せない。
「ふ、不二くん」
「ん?」
「どうしよう、もう、写真を選ぶ余裕、全然、ないよ」
 真っ赤な顔で泣きそうになりながら、それでも不二から離れるそぶりのないの言葉に、不二はたまらず絡めた指をはずし、そのままの頭ごと優しく抱きしめて、楽しそうに笑った。

2019.04.30 執筆