アイスついてるよ


 今年の夏はすごい。
 ていうか、夏に限定されずに今年の異常気象はすごい。地震に台風に津波に猛暑、暑さで天国への階段をのぼっていった人が数百人もいるって話しだ。今この瞬間にも、畑でたおれてるおばあさんとか、屋根から吹き飛ばされてるおじいさんとかがいるかもしれない。気温が40度を超えてるとこでは、スズメが自然鉄板に焼かれて焼き鳥になってるかもしれない。
 今、地球が大変なことになっている。それなのに、あたしはのんきに自分の部屋で夏休みの宿題をやっていていいんだろうか。人間が絶滅する危機に瀕しているのかもしれない時に、そんな悠長なことをやってていいんだろうか。
「よくない、よくないよ!」
「……何が」
 シャーペンを握り締めて思わず叫んだら、隣でうっとうしげにうちわをあおいでる越前リョーマ(いっこ年上)がだるだるした口調で言った。アイスおごるから英語教えてって頼んだのに、さっきからちっとも教えてくれない近所の兄さんだ。
「だからね、地球温暖化なのに今あたしはこんなとこでこんなことをしている場合じゃないっていう」
「締め切り迫ってんのに宿題やんないでなにすんのさ」
「いや、だから、地球のために二酸化炭素のこととかを調べた方が有意義じゃないかっていう」
「調べてどうにかなるわけ?」
「いや、だけど」
「それ、現実逃避って言うんじゃない?」
 越前リョーマがはあっと息をついて、呆れたように肩をすくめて首を軽く左右に振った。
 なんなんだろう、この「これだから勉強ができないやつは」と言わんばかりのジェスチャーは。多少英語ができるからって(そりゃまあ多少どころかぺらぺらしゃべってたけど)、年がいっこ上だからって(そりゃあたしは後輩だけど)、教える気がないなら帰れという話しだ。さっきからうちわをあおいでるばっかりで越前リョーマは何もしてない。宿題に苦しめられているあたしの観察だけしてて楽しいんだろうか。
「ねえ」
 相変わらずだるだるしている越前リョーマに、服のすそをくいっと引っ張られた。やや越前リョーマの方につんのめってしまう(いやいや、なんのこれしき)。
「何ですか、リョーマ兄さん」
「アイス食べたい」
「……英語の宿題教えてくれたら」
「アイス食べたら教える」
「……」
「先払い」
 越前リョーマが勝ち誇ったようににっと笑う。なんて奴だ。
「食い逃げしない?」
「しないよ」
「ほんっとに?」
「ホント」
 服のすそをぱっと離して、早くアイスを取りにいけとばかりに越前リョーマが手をひらひらさせる。なんだかうまくあしらわれてる気がするけど、しょうがない。あたしは英語が大の苦手だ。
 部屋を出て、買い置きしてたカップアイスとスプーンを二個ずつ取り出す。ちょっと考えてからお盆とコップを出して、冷たい麦茶も入れてみた。もちろんあたしが飲みたいからで、越前リョーマの分はおまけ。グリコのキャラメルのおもちゃみたいな感じで。
 部屋に戻ると越前リョーマがあたしの宿題を見ていた。シャーペンで、何やらチェックを入れている。やたらとチェックを入れる動きが多いのは気のせいであって欲しいのだけど。
「……それ、もしかして間違ってるとこ?」
「たまには勘がいいじゃん」
 越前リョーマが手の動きをとめて、立ったままのあたしを見上げた。またもやにっと意地悪く笑う。そのままシャーペンをさっさと放り出して、お盆の上からアイスとスプーンを勝手に取って、早速ぱくつき始めた。なんて奴だ。
も早くアイス食べれば? 溶けるよ」
「い、言われなくても食べます。食べますとも!」
 定位置に戻って座って、アイスのふたをびりっと開ける。このさいチェックを入れられたところは無視しておこう。赤ペンでばつばつってつけて答えを見直しとこう。そうじゃないときっと、ばつだけつけて教えてくれない越前リョーマが隣にいたら、とてもじゃないけど宿題は永遠に終わらない。
「んー、んまい」
 開けたばっかりのアイスを口に入れたらひんやりと甘い味が広がって、ちょっと良い気分になった。やっぱりアイスはおいしい。
 スプーンがカップにあたる音だけたてながら、あたしも越前リョーマも無言でアイスを食べ続ける。ちょっとした至福だ。特に、宿題を頑張ったあたしには。

 名前を呼ばれたけど返事をするのもおっくうで、かわりにアイスを一口ほおばる。
「んー?」
「ここ、アイスついてる」
「え、どこ?」
 言い終わるか終わらないかのうちに、越前リョーマの顔がドアップになった。下唇を軽く噛まれて、舐められる。
 呆然となって目が点になって、何が起きたのかを数秒考えた。
「……はああああ!?」
 理解したとたん、思わず飛び退って口に手をあてた。越前リョーマ、今あたしに何をした、何を。なんだったんだ、今のは。
「えっ、何、ちょっと!?」
 軽くパニックになりかけのあたしに、越前リョーマがむかつくほど勝ち誇った顔でいつものようににやっと笑った。
「ごちそうさま」

2007.08.12 執筆