カメラ


 今日あたしはカメラを買った。超薄型のデジタルカメラだ。
 高校を卒業したら自分への卒業祝いにデジタルカメラを買おう、とずっと思っていた。なんでもいいから沢山撮ろうと思っていた。そういうわけで、いざ電化製品を安売りしている店に行ってみると、この日のためにためておいたお小遣いがふっとんだ。三万円もした。調子にのって予備のバッテリーとかも買ってたら、福沢諭吉がもう一枚飛んでいってしまった。
 数枚の福沢諭吉と引き換えに手元にやってきた新式のぴかぴかデジカメは、銀色で、艶があって、触ると冷たくて、薄いのに重みもあった。
 とりあえず記念すべき一枚目をいい場所で撮ろうと、あたしはカメラとお財布と定期券——まだ少し期限が残ってる——を持って電車に飛び乗る。特に行き先もなくて、定期券が導くまでに学校への道のりを進んで行った。お金がない今、電車賃の二百十円だって無駄にできないのだ、もちろん。
 学校への通学路の途中を撮るのは良いアイディアだと思った。学校の内部は卒業アルバム用に何枚も撮ったし、誰もがやるような、そんな面白みのないことはしたくない。やっぱりここは、自分しか通らなかった——だけど自分は中高あわせて六年も通った——通学路を撮るべきだと思う。
 六年間降り続けた駅で電車を降りて、あたしは良いものを見つけた。駅の名前が書いてある看板だ。上から鎖でつってあるやつじゃなくて、プラットホームにつきさしてあるやつ。地面からはえている方が、地に足がついている感じがして、なんとなく良い印象がする。
 カメラを構えてファインダーを覗き込んでみると、天気がいい青空が後ろにぱっと広がっていて、なんとも良い被写体のような気がした。あたしが写真を撮るとブレさすという理由で、友達からはカメラをにぎらせてもらえなかったあたしだけど、これは大丈夫だろう。なんたって手ブレ防止機能とかいうのがついているのだ、すごいことに。
 あたしはあたかも鳥を狙って銃を構えるハンターの如く、もしくは馬に乗って走りながら弓を射る武将の如く、ファインダーを覗き込んで気持ちをいっぱいに注ぎ込んで、ボタンを押した。
 そしてその場で固まった。カメラは、ちゃんとあたしがボタンを押すと写真を撮ってくれた。すばらしいことに、ブレることもなしに、見惚れてしまうくらいキレイに。問題は撮った被写体だった。
「不二、なんてことを!」
 あたしはデジカメの液晶に写っている今撮ったばかりの写真を見て、あたしの写真の邪魔をしくさった不二に向かって指をつきたててやった。
「あれ、さん。どうしたの?」
 不二は今気付いたとばかりに——たぶん今気付いたんだろうけど——あたしの方を向いて、ひらひらと手を振った。
 あたしの一枚目の写真は、駅の名前が書いてある看板になるべきだった、もちろん。あたしはばっちり意気込んで構えて、ボタンを押したのだ、もちろん。そしたら当然、写真に写るものは駅の看板になるはずなのだ、普通なら。
 でもあたしのデジカメの液晶に写っているのは不二だった。正確にいえば、不二とその後ろにちらっと見えている駅の看板と、どこまでも続く青い空だった。不二はあたしがカメラのボタンを押したその瞬間に看板の前に立ったはずなのに、ちっともブレていなかった。しかも、狙ったように良いお顔をしてモデルさんのように写っていた。
「あたしの一枚目の写真が!」
 あたしが悲嘆にくれて叫ぶと、反対のプラットホームに立っている不二——そしてあたしの写真の邪魔をした不二——が、線路越しに手を差し出した。
「なに、写真撮ったの? 僕にも見せてよ」
 自分がなにをしたか分かっていない不二が、ひょうひょうと笑いかけてくるのが頭に来る。どうして罪悪心というものが生まれないのか。
「不二が至上最悪のタイミングで看板の前に立ったせいで、三万円もしたカメラのあたしの一枚目の写真がこんなになってしまったのを良く見るがいいわ!」
 あたしは怒りにまかせて、不二に向かって勢い良くデジカメを差し出した。
 でも、はっきり言って、プラットホームとプラットホームの間には電車二つ分の幅があるのだ。届くはずがない。無理だった。
「…………」
 突き出した手をひっこめることもできないあたしを見て、不二はくすりと無言で笑うと——あれは絶対馬鹿にした笑いだった——ちらりと時計を見て、プラットホームから下りて、線路を歩いてこっち側のプラットホームまでやって来た。不二にはきっと、罪悪心と常識というものが欠如している。
 不二はらくらくとプラットホームによじ登ると、あたしが持ってるデジカメの液晶を覗き込んで、へえ、といって嬉しそうに笑った。
「良く撮れてるね」
「どこが!」
「だってほら、僕が急いで滑り込んだ割にはブレてないし」
「ああ、それはたぶん手ブレ防止機能が働いたからで」
 説明しようとしてはたと我にかえった。なんだか上手く話しをすりかえられているような気がする。あたしは手ブレ防止機能の素晴らしさを語りたいわけじゃない。手ブレ防止機能自体は、全国の写真下手な人にとってすばらしい科学の発明品だとは思うけど。あたしはそんなことを語りたいわけじゃない。
「最近のカメラって便利だね」
 いつの間にかあたしのデジカメを取り上げて扱っている不二は、あたしの額の青筋を見てもなにも思わないんだろうか。
「あのね、不二はあたしの写真の邪魔をしたの! 折角駅の名前の看板を撮ろうとしてたのに、この写真、不二のせいで看板がちらっとしか見えてないじゃない!」
 不二は不機嫌マックスなあたしの顔を不思議そうな顔をして見ると、ああ、と納得顔で破顔した。あたしのデジカメを指して笑顔でいう。
「じゃあ今度は僕がさんを撮ってあげるよ」
 不二にはきっと、罪悪心と常識と人の話を聞く能力というものが欠如している。
「悪いんだけどとかはちっとも思わないんだけど、力いっぱい思いっきり拒否します」
「どうして? 僕、写真は好きだからよく撮ってるんだ。きれいに撮ってあげるよ」
 不二はおもむろに時計を見て時間を確認すると、あたしを線路の上に押し出そうとした。ありえない。不二にはきっと、罪悪心と常識と人の話しを聞く能力というものが不足しているだけでなく、自分勝手の塊だ。間違いない。
「線路は人が歩くところじゃないんだけど!」
「じゃあ階段を使っても良いけど」
 あたしが抵抗すると不二はすんなりと背中を押すのをやめて、階段を指差した。
 不本意なのも嫌だが殺されるのももっと嫌だ。写真を撮られようとして電車に轢き殺された、なんていう間抜けな他殺もすごく嫌だ。あたしはしょうがないから向かい側のプラットホームまで移動して——もちろん階段を使った——不二に写真を撮ってもらった。
 不二の写真の腕はすごかった。あたしがあたしじゃないみたいにきれいだった。ついでに看板だけ撮ってくれというと撮ってくれた。やっぱりすごく趣がある写真だった。
「気持ちを込めてシャッターを押すと、不思議なくらい、それが写真に表れるんだよね」
 不二はふふふと笑うと、デジカメをあたしに返してくれた。
 あたしは看板がある側のプラットホームから帰りの電車に乗って、不二も乗ってきたから、写真がうまくなるにはどうすれば良いのかと聞いたら、すごく嬉しそうな顔をされてしまった。
「写真を撮るのに良い場所を知ってるんだけど、今度連れていってあげるよ」
「うん」
 不二は自分が持っているごつそうな名前のカメラのことと、不二がいう良い場所にある被写体の話しをして、それはなんだかとても面白かった。面白がってるあたしに不二も嬉しそうに話すから、意地悪くない不二の笑顔と面白い話しが聞けて、写真一枚目を不二が邪魔した件は、しばらくは忘れているふりをしてあげようと思った。
 電車から降りて別れるときに、不二は思い出したようにいった。
「そうだ、今、僕が好きなカメラマンの写真展もあってるんだ。すごく良い写真ばかりで、見たらきっともっと写真が好きになるよ。一緒に行かない?」
 もちろんあたしには断わる理由はなかったけど、ぴかぴかのデジカメを持っている身としては一つだけ問題があった。これだけはきっちり確認しておかないといけない。
「それ、入場料いくら?」

20041103 執筆