play tennis with me
〜絡めた指の先〜


 ボールを高くあげ、風をきってラケットを振り下ろす。
 パンッと気持ちのいい音が鳴り、ボールは鋭く相手のコートへと入っていく。
 白いキャップを深くかぶって構えの体勢を取っていた少年は、相手がラケットを振り下ろした瞬間、地面を強く蹴り、吸い付くようにボールが流れるコースまで走った。勢いを殺さずにラケットの面をボールにあて、強く打つ。
 サーブを打った少女がコートを走り、ぐらついたラケットを両手で持って打ち返す。打ち返したボールが高く上がり、少年が走る。そのまま跳躍してラケットを振りかぶりスマッシュを放つと、あっけなくボールは少女のコート内でワンバウンドし、跳ねて後ろの壁に当たった。勢いを失くしたボールがてんてんと地面を転がっていく。
「……ふう」
 少年が小さく息をつき、キャップのつばに手をやり、白いそれをかぶり直した。
「darn it!」
 悔しそうに叫ぶ少女をよそに、少年はあまり乱れてもいない呼吸を軽くととのえ、平然と近くに転がっているボールをラケットで拾い上げた。
「ああ、もう。これで0勝403敗……くらいだっけ」
 その様子を目で追って呟きながら、少女が長い髪を結んだゴムに手をかける。取り外し、ゴムを手首にかけながら頭をゆるく左右に振ると、限りなく黒に近い緑色の髪が背中に流れた。リョーマがボールをもてあそぶようにラケットで地面と垂直に打ちながら、少女のとなりに並ぶ。
「悔しいんなら、もう一試合やる?」
 深くかぶるキャップのせいで隠れていた顔をあげ、綺麗に澄んだ眼でにっと笑う。
 は生意気に笑むリョーマにむっとした表情を作った。自分より背の低い少年の白いキャップのつばに手をかけ、上へ引っぱって取り上げる。
「……なに?」
 ラケットの上で操るボールを落としもせず、顔をしかめたリョーマが聞いてくる。少女と同じ色をした、少年の短い髪が夕焼け色に染まった空の下に現れる。
「リョーマ、可愛い顔してるんだから隠さない方がいいよ。この付近の女の子の目の保養のためにも」
「可愛いっていわれも嬉しくないんだけど」
「なんで? いくらアメリカが広いからって、アメリカでリョーマみたいな日本人を見ることなんて滅多にできないよ、きっと」
「それほめてんの?」
 細めた目でぐっと見上げてくるリョーマにはふくみ笑いを返し、自分のラケットでリョーマのラケットの上にあるボールを取った。
 軽く空に向かって打ち上げながら、簡易更衣室の方へ向かって歩きだす。
「これ以上試合やってたら、夜になっちゃう」
 遺憾だけど、と付け足してさっさと更衣室へ向かっていたが、途中で足を止め、振り向いて言った。
「リョーマも早く着替えなよね。それと」
 言葉を区切り、が顔の笑みを深くする。
「明日のウィニングショットこそ、わたしの番だから」
 挑発的な笑顔を見せ付けられ、リョーマも不敵な笑みを返した。
 まっすぐに伸びた背筋を見せて歩いていくを視線に入れたまま、ボールを取られたリョーマが、手持ちぶさたに腕を曲げてラケットを肩にかつぐ。
 一度だけテニスコートを見渡し、リョーマはと同じように、広い公園に備え付けられた更衣室に向かって歩き出した。


 リョーマが公園の出口について数十秒後、着替えてラケットバックを担いだが、リョーマの白いキャップをかぶって駆けてきた。
「お待たせ」
 がリョーマのとなりに並ぶのを待って、リョーマは先に家に向かって歩き出す。その後を、半歩遅れてが続く。白いキャップの下からのぞく、の緑色の長い髪が揺れた。
「ねえ、それ返してくれない?」
「それ?」
 聞き返すに、リョーマがちらと視線を向け、わざとらしく溜め息をついた。呆れたような、扱いに困り果てたようなリョーマの様子に、がごめんと笑いながら自分の頭からキャップを外す。そのまま、つばが右の耳の上辺りにくるようにして、リョーマの頭の上にキャップを乗せた。左手をあげてキャップの位置を変えようとするリョーマの手を邪魔するように、数度、リョーマの頭にぽんぽんと軽く手を置いてキャップを押さえつける。
「わたしも買おうかな、白いフィラのキャップ」
「なんで?」
「リョーマとおそろい」
 がリョーマの顔をのぞきこむようにして、笑う。
 リョーマの表情をうかがい、明らかにその反応を面白がっているに、リョーマは再度溜め息をついた。
「あ、なによそれ、その溜め息!」
「別に」
 ふいと顔をそらしたリョーマに騒ぎ立てるの言葉を適当に流し、リョーマは歩みを進めた。もその横を無理のない歩幅でテンポよく歩く。
 ふとは言葉を止め、思い出したようにいった。
「そうだ、聞いてリョーマ。明日ね、うちの学校のテニス部の、レギュラー選手の発表があるんだ」
 段々と暗くなっていく空模様に、町には光がともり、道路は溢れる車で徐々に混んでいく。リョーマがの方を見ると、視線が合った。期待と不安と緊張と、なんともいえない心情が伝わってくる。
「へえ」
「リョーマはわたしが選ばれると思う?」
「大丈夫なんじゃない?」
「そう思う?」
 いつの間にかいたずらめいた雰囲気が消え、真剣に問いかけてくるに、リョーマは少し首をかしげ、うなずいた。リョーマの肯定に、の顔が心なしか明るくなる。
「じゃ、俺こっちだから」
「あ、うん。そだね」
 四つ角で分かれ道となる場所に着き、じゃあね、とそっけない言葉だけを残して歩いていこうとするリョーマの後ろから、の声が聞こえた。
「明日もいつもの時間に、あの場所でね!」
 何年もそうしているのに、念を押すように約束をするに、リョーマが呆れたように笑みを浮かべた。に背を向けて歩きながら、了解の言葉の変わりに軽く手を振る。
 車が走る音の隙間から、聞きなれた足音が遠ざかっていくのが聞こえ、リョーマも歩みを速める。
 しばらく黙々と歩き、家まで数メートルの辺りに来ると、向かい側の道から見慣れた姿が歩いて来ているのが見えた。げ、とリョーマがあからさまに顔をしかめる。
 向こうを歩いてくる人影もリョーマに気付いたのか、大声でリョーマの名前を呼び、大きく手を振った。リョーマはすっぱりとそれを無視すると、仏頂面をして坦々と歩調を進めていく。
 ちょうど玄関の前で鉢合わせをした自分の父親の姿を目にし、リョーマは何気なく頭に手をやり、横にかぶっていたキャップをまっすぐに深くかぶり直した。
「よおリョーマ、いいところに帰ってきた」
 南次郎はへらへらと笑うと、リョーマに続いて玄関をくぐり、後ろ手にドアを閉めた。
「実はな、おまえに話しがある」
 シューズを脱ぎ捨て、さっさと父親から離れていこうとするリョーマの後ろから南次郎が言った。
「俺はない」
 簡潔に答え、自分の部屋へ行こうとするリョーマの襟首を、南次郎が逃がすものかと捕まえる。
「まあ聞け、大事な話しだから」
 南次郎の手を振り払い、面倒そうに振り向いたリョーマに、南次郎は満足そうに腕を組む。ごほんごほん、と一呼吸置き、真剣な顔をして口を開いた南次郎が言った言葉に、リョーマの眼が見開かれた。
「そんなこと一言もいってなかったじゃん」
「急に決まったんだよ。こっちのジュニアテニス大会も終わったとこだし、タイミングもいいだろ」
 突然の南次郎の予想もしなかった言葉に、愕然としたようすで浮かない顔をするリョーマに、南次郎は首をかしげた。
「なんだ、なんか都合でも悪いのか?」
「……別に」
 一言呟き、無意味にキャップをかぶり直して部屋へ戻ろうとするリョーマを、ちゃんと用意しとけよ、と言う南次郎の声があとを追う。聞こえているのかいないのか、すぐにドアが開閉する音が聞こえたのを最後に、玄関口は静まり返った。


 は公園の更衣室で着替え、リョーマがまだ公園に来ていないことを確認すると、空いているコートへ向かった。
 適当に場所を選び、数個持ってきた黄色いボールのうちの一つを、手のひらの中に収める。上空に向かって高くあげ、力一杯ラケットを振った。
 小気味良い音が鳴り、一度跳ねたボールが相手側のコートの中へ沈んでいく。
 調子がいいのか、は笑みを浮かべて近くに置いていた別のボールを手にした。高く上げ、打つ。ラケットがボールを打つ乾いた音がどこまでも響く。
 がサーブの練習を繰り返していると、唐突に相手側のコートになにかが滑り込み、打ったボールが跳ね返ってきた。白いキャップに、その下からのぞく短く切った濃い緑色の髪。
「リョーマ」
 突然コートに入り、それでもボールを正確に打ち返してきたリョーマにが嬉しそうな笑顔を見せる。
 はコートの手前に駆け寄り、ネット越しに大声を出した。
「リョーマ、わたしテニス部のレギュラーに選ばれたよ!」
 ネットに両手をかけ、嬉しそうに笑顔をこぼし、身を乗り出して話すを見て、リョーマもラケットを肩にかけ、ネットへ近づいた。
「よかったじゃん」
 声をかけたリョーマに、がサンクス、と笑顔を返す。
「明日から十日間の強化合宿なの。今日が終わったら、しばらく試合はお預けね」
 声をはずませるに、リョーマはキャップで表情を隠したまま顔をあげた。
「明日から?」
 聞き返したリョーマに、がイエスと答える。
「うちの合宿すっごく厳しいんだよ。わたし、絶対強くなって帰ってくるから」
 は誇らしげに笑い、他のレギュラーのことや、合宿の日程や、場所や他校のことを話し始めた。期待に溢れる思いを押し隠すこともせず、それはとどまることも知らない。
 話すことを止めようとしないに、リョーマが小さく、低く名前を呼んだ。

 その声は、の明るい声にかき消される。
「そしたらショートセットじゃなくて、久々にアドバンテージ・ゲームやろ! 念願のリョーマに初勝利が叶うかも」
!」
 語気を荒くしたリョーマの声に、が驚いたように唐突に言葉を切った。
「……なに?」
 ワンテンポ遅れていつもとは違うリョーマの様子に気付いたのか、が怪訝そうな顔をする。
 リョーマはキャップを深くかぶり直した。鼻から上が陰になり、目を合わせることができない。強い風が吹き、コート内に散らばっている黄色いボールが転がっていく。
「俺、日本に帰るから」
 視線を合わせず、キャップのつばに手をかけたまま言ったリョーマの言葉は、小さく、低く強く、それでもの耳に届いた。
「……え?」
 が間の抜けた声を出す。瞬間的に頭の中が空になり、リョーマの声を反芻し、それから多くの情報がとめどなく押し寄せてくる。気の抜けたような間抜けな声が、風のようにの喉の奥から出ていった。
「いつ?」
「一週間後」
 考えるよりも先に口から出た問いに、リョーマが一瞬の間も与えず即答する。
「そんな急に!」
「しょうがないじゃん、俺が知らないうちに勝手に決まってたんだし」
 押し黙り、呆然としたの視線が、キャップに隠れたリョーマの表情を求めるように一点に突き刺さる。
 リョーマはの視線から逃げるように顔をそむけた。
「俺だって帰りたいなんて思ってないけど。でも、どうしようもないし。だから、とは、もう会えない」
 一年以上も前からずっと続いてきた約束に、終止符を打つ。
 リョーマが通う、外国の人間を受け入れることを盛んにしているスクールと、が行くテニスが強いことで有名なスクールでそれぞれが一日の大半を終えたら、古くからあるこの公園に来てテニスをする、と言う、約束として決めたことはないのに、いつの間にかそれが当たり前となっていた約束は、リョーマの帰国と言う事実で唐突に終わりを告げた。
 なにもこたえないの顔を見ることもできず、リョーマは風で転がってきたボールをラケットですくう。
 突如、地面になにかを軽く叩きつける音がした。いつもより荒々しい、聞きなれた音にリョーマの動きが一瞬止まる。
 振り返ると、泣きそうな顔で睨むようにリョーマの顔を見ていると視線が合った。
 は視線を絡ませたまま口を開き、しっかりとした声で言った。
「ウィッチ」
 時間が早いため、利用者がまだあまりいないコートに、のしっかりとした声が響く。
 リョーマは一瞬言葉に詰まり、それでも絡んだ視線を外すことができず、ゆっくりと一度、自分を落ち着かせるように目を閉じた。まぶたを開き、ラケットですくったボールを軽くはじいて手の中へ納める。身体の向きを変え、トスの体勢をしていると向かい合う。
「アップ」
 リョーマの言葉に、が立てたラケットを回し、手を離す。ラケットがからからと音をたて、裏を向いて倒れた。
「サービス」
「エンド」
 リョーマが手に持つボールを差し出すと、がそれを受け取る。指先が触れたようなそうでないような名残を残し、互いの手が離れていく。
 リョーマはに背を向け、自分が立っていた方のコートのベースラインへ向かった。途中でコート内に転がっているボールを外へ出しながら、レシーブをする位置へ足を運ぶ。
 適当に場所を選び、そこに立ち構える。視線を前へ向けると、反対側のベースラインでボールを手に握り締め、目を閉じるの姿があった。
 いつもテニスをしていたこの場所に、の痛いほどの緊張感が広がる。
 が目を開き、ボールを高く上げ、ラケットを上へ持ち上げる。ガットがボールを拾い、ボールが滑るように空を走る。
 リョーマは地面を蹴り、空間を切るようにコートへ飛び込んできたボールに喰らいついた。


 辺りは深い黒色に包まれ、公園の近くにある電灯は数時間も前からともっていた。
 ネットを挟んで倒れるようにして寝転がるとリョーマの息は上がり、今日の夕方までは綺麗だった服はあちこちが汚れていた。
 手加減をせず圧倒的な力でゲームを勝ち取っていくリョーマに、切れそうな気迫に精神が悲鳴をあげながらも、はサーブとレシーブを繰り返す。二度、どうしようもなく真剣なアドバンテージ・ゲームを繰り広げ、三度目のトスをしようとネットへ寄ったところで、同時に膝をついた。
 肺を大きく動かし深呼吸をして、速い脈拍で波打っていた心臓が、ゆっくりと時間をかけて落ち着きを取り戻す。
「リョーマ」
 目の前に広がる暗い空と、ちらちらと見える星を眺めながら名前を読んだに、リョーマも視線を上に向けたまま、なに、と答えた。
「わたし、強くなるよ」
「うん」
「リョーマよりもずっと強くなる」
「そんなことできんの?」
 リョーマの言葉を聞いて小さく声に出して笑ったに、リョーマもつられたように唇に笑みを乗せる。
「強くなって、リョーマにまた試合を挑みに日本まで行くから」
「……
「そのときは覚悟してよね。リョーマなんか小手先でもてあそんでやるんだから」
 いつもと同じ、それでも空まわった威勢のいい言葉に、リョーマは思わずもれそうになった言葉を押しとどめようと唇を噛んだ。右手をあげて額の辺りへ持っていくと、フィラの白いキャップが手にあたる。
「これ」
 寝転がったまま、リョーマはぬいだキャップがネットを越えるように軽く投げた。上を向くの顔の上に、ふわりと落ちる。
「リョーマ?」
「あげる」
 ネット側へ手を伸ばし、指先にあたったの指に自分のそれを絡める。ラケットを握りすぎたせいでできた怪我や、擦り傷があるの手をリョーマは握り締めた。
「フィラのキャップ。欲しいって言ってたじゃん」
「……うん」
 リョーマと絡めていない方の手でキャップのつばを握り締め、顔を隠したままが声に出して嬉しそうに小さく笑う。
 絡めた指は力を込められ、暗闇の中で段々と溶けていく。時間が過ぎ、強く絡んだ二つの指先は、そしてやがてそっと解かれた。


「Hey, Ryoma!」
 部活が終わり、青学の部活仲間と行ったファストフード店から出た直後に、聞こえてきた聞きなれた声が、リョーマを立ち止まらせた。越前、と自分の名を呼ぶ桃城の声が遠くに聞こえ、振り返るリョーマの頭をよぎる、まさか、という考えを吹き飛ばすように、重ねて元気の良い声が後方から聞こえてくる。
「Ryoma! It's me. Do you remember?」
 振り向いたリョーマの目に、暗い夜の中で目立つ、白いフィラのキャップが飛び込んできた。アップでまとめた緑色の髪の上からキャップをかぶり、夜の街にラケットバックを担いで立っている。リョーマと視線が会うと、からかうような笑顔で笑った。
「Shall we play tennis with me?」
 の問いに、リョーマが思わず声をだす。
!」
 突然誰かの名前を呼んで別方向へ向かって歩調を速めて歩き出したリョーマに、部活の仲間たちが何事かと振り返った。
「越前?」
「すいません、俺、用事ができたんでここで失礼します」
 後ろから追いかけてくる不二の言葉に、リョーマは立ち止まり、振り返って声をかける。そしてそのまま部活仲間を残し、自分がかぶっているのと同じ白いフィラのキャップを目指して小走りに駆ける。
「よかった、覚えてた」
 焦ったような様子を見せて目の前に来たリョーマに、がかけた言葉はそれだった。リョーマが一瞬の間を置いて、いう。
「当たり前じゃん」
 馬鹿にしないでよね、と続けるリョーマの言葉には笑い、確かめるようにいった。
「ねえ、わたし、強くなったよ」
「俺だって、強くなった」
 得意そうな顔をしていうリョーマに、は一瞬呆気にとられたような表情をしたあと、笑みを見せた。覚えているか、と暗に訊いたあのときの言葉を、うまく言い返されるとは思っておらず、予想外の言葉に嬉しくなる。
「リョーマに、テニス馬鹿だとは思われたくないんだけど」
「うん」
「今からでも、試合がしたいな」
「俺も」
 リョーマがにっと笑った。
「行こ、テニスできる場所知ってるから」
 もっと昔のあのときのように、リョーマが先に歩き出す。興味深々といった感じでこちらの様子を伺っている青学の部活仲間に、はちらと視線を向けて挨拶代わりに手を振ると、後ろを気にする様子もなくさっさと歩いて行く越前のとなりを、半歩遅れで歩き出した。
 右肩にラケットバックを担ぎ、やっぱりフィラのキャップを深くかぶるリョーマの姿に、こらえられない笑みを隠せず、は思わず唇の端をあげた。それに気づいたリョーマが、視線で、なに、と促したが、は笑うだけで首を振った。かわりに、空いているリョーマの左手に、はしばらくためらってから、指先でそっと触れる。
 はリョーマを見たが、リョーマは顔色ひとつ変えなかった。なにもいわないまま、触れた指先が絡め取られ、ただ強く握りしめられる。
 逡巡したことが馬鹿みたいだ、とは思い、繋いだ手を持ち上げた。リョーマの指先に、軽く自分の唇をあててキスをする。
 リョーマが慌てたように振り向き、が笑った。あの頃のようにからかいの笑みを見せられ、不覚にも動揺したリョーマがばつの悪い顔をしてそっぽを向く。
 向かう先はテニスコート。あの頃と違うのは、となりを歩く人と指先が触れ合っていること、夜が来ることが終わりではないこと。
 あのとき離れた指先は、あのころからずっと続いていたかのように、暗い闇の中でまた、そっと繋がった。

20040411 執筆(20060221 改稿)
てにゆめりんく Spring Dream Festival 参加作品
(2006/02/05〜05/31)