郷土の先駆者刈込碩哉の足跡

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 昭和21年(1946)のひとつのNHK録音番組の内容抜粋を紹介します。これは苅込碩哉さんのその後の郷土を思う公的活動の発端となった出来事です。
 苅込碩哉さんは大貫小久保の人。旅館「さゞ波館」の主人として、また、町会議員、市会議員、教育委員会など長年の公職を務め上げた人です。氏の青春の頃の志は博物学の研究者、または理科系の教師になるのが夢であったのですが、田舎の地主の長男として生まれた立場上、結局は家業の旅館を継ぐことになりました。しかし、終戦の直後、町長の公選制を唱えて若者の会、「潮会」を発足させ、町の文化向上を目指して、活動を始め、それがNHKの耳に入り、録音番組で報道され、その勢いをかって、大貫夏期大学を主催、これを10年の長きにわたって存続させました。

 氏はいくつかの著作を残しています。その中身は、我が町小久保の郷土を文化的、経済的に如何に発展させていくかの熱意にあふれており、地方創成が叫ばれて久しい、今、読んでも示唆に富むものが少なくありません。

 このコーナーページでは、著作の中の代表的な内容をいくつか紹介していきます。まず手始めに、NHK録音番組抜粋を多少の脚色をした形で紹介します。

 一部内容に不適切な表現がありますが、時代風潮を重視して訂正せずにそのまま紹介します。
 
 なお、苅込碩哉さんのその他の著述については、上の「苅込碩哉記録」のプルダウンメニューを表示・選択し、進んで下さい。


 NHK録音放送抜粋記録(昭和21年6月19日放送)

 タイトル「明日の市民の時間」封建制打破を演劇に、地方にもりあがる文化運動、潮会の討論録音。BGMと共に町の紹介のナレーション。


 録音隊は去る13日南風の吹く房総半島へ向かった。東隣の外房に、黒潮が回流しているので、その影響からか、この海岸地帯の空気は盛夏を思わせ、車窓より見る砂地の畠には、もう実った南瓜の濃紺の肌が強い陽に照り映え、田植えは今が真っ盛りである。緩い小山の起伏に囲まれたこの町は、半農半漁の一次産品を売ることと、別荘を中心とした観光が産業である。現金収入源として頼っていた東京が破壊された今、経済的には必ずしも豊かではないと聞くものの、天の恵みがあるので、食糧事情はまったく急迫していない。その証拠には私達都会人なら胃の腑を鳴らすような小鰯がたくさん砂に捨てられてひからびていることで窺えるし空襲がなかったためだろうが、街には豪華な造りの家が多いのである。


 これからの日本文化の発展は、この町から四隣に及ぼうとしている。放送局のマイクは、この町に芽生えつつある文化運動を収録すべく運ばれてきた・・・・・・

 「フランスを偉大なる文化国家に創り上げたルソーの名を知らぬ者はない。しかし日本に課せられた自由主義的民主国家建設には、唯一人の精神的指導者も見当たらない。結局、われわれがこれを成し遂げねばならない!」苅込会長の発言で潮会の打ち合わせは始まった。

 企画している討論会の内容を要約すれば、「好人物ぞろいの一家が封建的な考え方のために悲劇を巻き起こす」という劇を潮会がやる。これを元に、観衆が議論をし、観衆に解決の道を話し合って貰おうということである。今日は、この企画の善し悪しについて、討論の持って行き方についての打ち合わせである。まず、会長から演劇の内容が紹介された。

 「ここに1軒の漁師の家がある。父は善人、その妻もまたよい人で、2人の息子と1人の娘があった。戦争で息子2人は出征し、2人とも終戦前に戦死公報が来て町葬までやる。そして終戦。やがて娘が嫁ぐべき相手の従弟が帰還する。ここで問題が起きた。息子2人がいなくなった今、娘は嫁に行けず、婿を取らなければならない。しかし従弟は自分の家を継ぐべき位置にあるため、2人は結ばれそうにない。従弟も、娘もこの状況を納得する。

 ところが、次の8月15日。戦死したはずの息子の一人が働けそうもない不具の体となって復員して来る。捕虜となっていたのだ。

 その息子を母や妹は素直に喜んで迎えるが、父は武士道精神で喜ばない。むしろ世間に対して申し訳ない。捕虜になるとはもっての外だと嘆く。息子は父から不甲斐ないといわれ暗い気持ちを一層暗くする。


 知らせを聞いて従弟がやってくる。捕虜となっても恥ずかしいことではない。逃げるに逃げられず自決も出来ず捕虜になっただけで、国への忠誠が足りなかったわけではないし、戦友を犠牲にしたわけでもないではないか。お義兄さんが生きて帰って来た今、考えて見れば、私たちの結婚だって、家族からとやかく反対されるべきではない。家を継ぐことが大事ではなく、二人の愛情が大事なのだ、と。

 しかし、息子は、帰還して最初の食膳に米一粒もなく、代用食の南瓜がわずかにある現実を見てしまっていた。手足の動く人たちばかりの食でさえこうなら、働けない自分がいたらさらに貧しくなると、冷たい現実の風をひしひしと感ずる。そして自殺を決意し、帰還して妹にあたってもらったカミソリで懐かしい浜辺で月を見ながら自殺する。かけつける人々を前に父は「一体誰が悪いんだ」と叫びながら悲痛のあまり発狂してしまう。」


 ここでは日本の旧来の道徳でも、新しいデモクラシーでも救われない、日本の暗い現実がある。劇は未解決のままで観衆に解決してもらおうというのがねらいである。


<男>青年団も演劇をやっているので、われわれが開催しても、またきた、という心配はないでしょうか。
<女教師>これから農繁期に入るのに演劇のために仕事を休むのはどうかしら。
<婦人>劇のテーマが戦争、戦争・・・・ってのはどうかしら。文化運動なのだからもっと明るい、健康的なものの方がいいのではないでしょうか。例えばスポーツとか。
<男>この劇は、封建制打破のためにやるのだ!・・・・・・・・・・・・・

 演劇の可否について活発な討論になったら、停電。ここにも今の日本の現実がある。

 録音班が忙しく立ち回り、状況再開で、討論の続きをどうぞといったら、討論は終わっていて、その結論は「上演決定」となっていた。

 この観劇をステップにして、その後討論会をするという試みについて、識者はどう考えているだろうか。私達が取材した、「通信文化新報」の阿川さんはこう語った。

 「一般に行われる素人演劇は玄人演芸の真似で、演目と言えば、「父帰る」、「恩讐の彼方に」などである。これらは演目の作者が戦前の人であり、当然のことながら従来の封建思想の中に立っていた人たちなんですね。だから結論も見えているわけですね。


 それを避けて、課題をポンと投げるだけ、結論は皆さんで考えて下さい、というのは、無責任といえば、無責任ですが、今の日本は混乱だけあって、柱がない、あるいは民主化というお題目だけが決まっている状況では、ひとつの試みとして面白いのではないでしょうか。この大貫町の例は、今、全国的風潮である農村素人演芸の行き方として、将来の日本に大きな課題を投げるものではないかとおもいます。注目していきたい」と、語った。・・・・・・

 潮会の座談会活動をもう一つ紹介する。

 平和が甦り、各地の青年団活動が活発化し、一部には、ヤクザ踊りに、うつつをぬかすほどひとしく開放感に酔いしれている。どこの町でも村でも秋祭りが復活し、盛り上がりを見せている。


 ここ、大貫では、一般にある祭り囃子、獅子舞い、神輿、山車などの他に、弟橘媛の故事にちなむ御着衣(オメシ)の馬出し、さらに「お振り(おぶり)」と称し、太い真竹2本を節をそろえて組み合わせ、真ん中にその時とれたイナダ、スズキ、タイなどを2尾をペアにして吊し、青年たちがワッショイワッショイかつぎ廻り神社に奉納し、大漁満作を祈願する行事が昔から伝えられていた。


 問題はお振りである。怪我や乱暴が絶えないのである。このお振りかつぎは、威勢がいいほど良しとされる風潮があるためか、天下御免の気分になり酔いも手伝って時には乱暴なハプニングを起こす。例えば、青年達が示し合わせて、有力者の家に飛び込み、神事にこと寄せ、清めてやろうとの建前で、実は鬱憤晴らしで、家の造作や植木を壊したりするのである。


 お振りをどうするか、潮会主催の討論会は木更津市の隆高鑑師を講師とし、柳田国男著「先祖の話」をテキストに展開し、多くの参加者を集めた。
これがきっかけで、民俗学への関心を誘う試みともなったと、会長は熱っぽく語るのである。