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小説「上総岩富寺縁起」その3

 11.佐渡へ

 華奢で貧相な子供だな、が菅原真子に会った粟飯原(あいはら)の印象だった。父親の孝標の話では佐渡行きをいやがった真子に、紫式部の足跡が訪ねられるではないか、と言ったら、真子の考えの風向きが変わったとのことであった。真子は紫式部を尊敬していると同時に密かにライバル視していて、出来れば自分も紫式部を越える日記を書きたいと願っているようだとのことである。菅原孝標の話によれば孝標の周辺は女流文学者の巣窟のようなのである。そのみんなが紫式部を意識しているので、菅原氏の女たちにとって、紫式部は元気の元といった存在らしい。


 粟飯原はもちろん紫式部も女流文学も何も知らない。読んだこともなければ関心もない。
 しかし、客人である真子がそうなら、ということで、紫式部が彼女の父と共にたどった越前国府までの道を行くことになった。
 一行は、粟飯原と大ノ符理男と、菅原真子である。荷物運び人が数人と馬四頭ですべてである。真子は従五位という貴族の一員だから私用でも駅家の宿舎が使用できる。しかし貴族の女の旅に用いる輿はない。粟飯原等の経済力ではそこまで用意できなかったのである。真子は馬で行くか徒歩で行くか選択を迫られ結局徒歩ということになった。

 出発当日になった。
真子は旅立ちだというのに陰陽師も誰も来ず、荷物運びが道の隅っこでしゃがんでたむろしている中、粟飯原がおもむろに「じゃ行きますか」と云って、ただ一人見送りに来た菅原孝標が、「娘を宜しくお願いします。真子よ達者でな」と続けたものだから、そのあまりにも劇的でない場面に、鼻で笑って、しかし、何も言わなかった。


 旅だといっても、その最初は、粟田口から逢坂山、大津までは、都の郊外であり、真子も何度か寺社への参詣で慣れた道である。行きかう人も多い。そのほとんどが大ノ符理男の異相を珍しげに眺めた。しかし眺めるだけであえて尋ねて来る人はいなかった。
 道すがら粟飯原は「あんた、上総の国府で天羽直幸さんに怒鳴られた娘さんかね?」と、尋ねた。「そんなことがあったかな」と、真子はそうだとも、そうではないとも言わずに、話をはぐらかした。そして、歌を吟じた。


 「めぐりあひて 見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし よはの月かな」
 「あんたの歌か?」、「まさか、紫式部が越前行きにあたって、見送りに来た人に送った歌よ」、「ほかにどんな歌を詠んだのか?」、「そうね、旅の順にいうと、まず琵琶湖では、三尾の海に 網引く民のたまもなく 立ち居につけて 都恋しも。塩津から深坂峠では、しりならむ ゆききにならす 塩津山 よにふる道は からきものぞと。越前の国府では、ふるさとに かへる山のそれならば 心やゆくと 雪も見てまし。などなどかしら」、「これらがあんたたちに名歌となるのか?旅はつらい、都が恋しい、故郷の京が恋しい、ということは分かるが」、「確かに都が恋しい、が主題なんだけど、これは読む人が都の人ということでの作者の立場、前提なのね、歌っているほど本人は都を恋しがっているわけではないと思うの。これらの歌の魅力は、ひとつは掛詞の妙よね。例えば、深坂峠での歌は、前書きで、賤の男、これは荷物運びの人夫ね、この人たちが、「慣れているが、なほからき(辛い)道」とぼやいたのね。その返歌なのよ、この歌は。塩津山の塩から「からい」を懸けて、世に経る道を、世に「古道」と懸けているわけね」、「まあだじゃれか」、「だじゃれといえば駄洒落だけどこれで深さ、軽妙さ、そして時には長い長い土地の歴史を物語ることも出来るのね」


 真子はさらに話を続けた。
「だけど、紫式部の歌の深さは、それだけじゃないのよ。実はこの越前行の本当の主題は、恋なのよ。なぜ越前に行ったのか、実は彼女、越前から帰ってすぐに結婚しているのよ。あまり意にそわない結婚みたいだったけど。それをもとに推定すると、歌の一つ一つに別の意味が入っていることが分かるわけね」
 ほうほう、と粟飯原は感心した。紫式部の恋の解説はまた後で聞くことにした。真子はそのあとも、道々の土地の歌枕を粟飯原に説明解説した。つい最近、肉親や猫を亡くして嘆き悲しんでいた少女には見えない。生き生きしたものである。

 旅の第一日目は大津で宿泊した。翌日は琵琶湖を船で塩津まで行く。
 三尾崎ではそこらの漁師が今日も網を引いていた。粟飯原は一瞬、上総の八幡の海を思い出した。上総の海に比べて波がおとなしいから乙女チックな漁に思えた。真子も熱心にながめていた。
 右に竹生島を見て、塩津に上陸。旅はまた徒歩になった。そしてこのころになると街道を行く人の姿がぽつりぽつりとなり、長い直線路の前後に人が一人もいないといったことが多くなった。そして、このころから真子の元気がなくなった。
 真子は歩いては止まり、また歩いては止まり、していたが、ついに道にしゃがんでしまった。粟飯原が、「どうした」、というと、蚊の泣くような小さな声で「おしっこがしたい」といって真っ赤になってしまった。そこらへんでしてくればといいかけて、真子にとって屋外での用足しは初体験ではないのかと思い返し、大ノ等の旅の一行を先にやらせ、真子をこっちへ来いと草むらに連れ込んだ。
 真子はそれでも小用が出せない。どうしても出ないというのである。そういわれても粟飯原にはどうしようもない。粟飯原は真子に背を向けて遠い山を眺めていた。あのあたりが深坂峠かとあたりをつけていた。


 たかが小用に何時間使うかと思えるほど長い時間が過ぎて、草刷りの音がして「すみました」と真子がいった。そうかといった形で、粟飯原は街道へ向かった。あとから追いついた真子が、大きなトチの木があって、まわりに小さな花がたくさん咲いていてきれいだった、といった。トチの木は上総にはない、と粟飯原は思った。

 街道を急いで、大ノ符理男等の一行に加わった。真子は、荷物担ぎの一行に、「おしっこに行ってきたの。ごめんなさい」といった。そのひとことを聞いて、人々は、貴族に似合わない率直な物言いに好感を持ち、まるで自分の孫娘を見るような慈しみに満ちた顔になった。それが真子に通じて、真子の顔つきが自信に満ちたいい顔になった。
 しばらくして、大ノ符理男が、粟飯原の傍にきて、粟飯原を肩でつついて、「あの貴族の女の子は貧相なキツネみたいだった。急に小鹿のようになった。何があったんだ?」と聞いて来た。
 「なにもねえ。ただ、のっぱらでしょんべんをしただけだ」
 「貴族の女は旅の途中でしょんべんをしねえのか?」
 「しねえみてえだ。輿の中でしているだろうと思うのは男の考えのあさはかさよ。考えて見ねえな。担がれて上下に揺れている輿の中で小便は出来ねえ。だから旅の移動の間は小便が出ねえように湯茶を控えてひたすらがまんしているのだろうよ。宮中だってそうだ。あの大それた着物を着て、しょんべんをどう出すかだ。出るわけがねえ。」
 「大変なものだ。しかし何のために」
 「それが貴族の貴族たるゆえんよ。総大将の藤原道長からしてそうだからよ。そこいらの人間や犬畜生とは出来が違うといいてえのだろうが、そうは問屋がおろさねえ。出るものは出る。それをミエでひたすらがまんしている」
 「たいへんなものだ。しかし、何のためだ」と大ノ符理男が繰り返した。
 粟飯原にも分からない。ただ、菅原孝標が愛娘を粟飯原等に預けた目的だけは分かったような気がした。


 これから、ずっと峠が続く。木の芽峠、安宅の関、倶利伽羅峠と、難所だらけだ。時には昼食を食べ水を飲まねば進めまい。これからは、真子に積極的に水をのませ、握り飯を食わせ、鹿の干し肉も食わせてやろう。野原で小便を体験した真子は拒みはしないだろうと思った。

 粟飯原忠直、大ノ符理男と菅原真子の一行は、直江津から佐渡島に渡って、両津に着いた。
 山がちな佐渡であるが、両津から真野に至る中央部だけは、周囲三十五里の小さな島とは思えないほどの田んぼが広がり、無数のトキが舞っている。そして里山のふもとの古社にはどこにも決まったように能楽堂があり、これらの形はみやびていて畿内と変わらない。
 真子はきょろきょろあたりを眺めながら「上総よりよほど開けている」と、粟飯原にいった。幼いころにいた上総の印象と比べているのだろう。
 真子は佐渡までの旅の体験で、出発時よりよほど世間の事が分かったような気でいる、と粟飯原は思った。今度の旅は、駅家を渡り歩いた旅であり、金もある。本当の旅は金もなく宿は、良くて村外れのお堂であり、普通は野宿である。これと比べたら真子の体験など全くたいしたことはない、と、粟飯原は思っている。


 粟飯原一行は大ノ符理男の仲間等がいる彼らの本拠地を目指している。西三川というところで、そこで大ノ符理男らは白鳥珠を使って金を発見したのだという。
 今は、まず、真野の国府を目指して進んでいる。


 「佐渡の歌枕にはどのようなものがあるのだね?」と粟飯原が真子に尋ねた。
「あまり聞かないなあ。万葉集には流罪になった穂積朝臣老(ほずみあそんおゆ)という人の歌があるのね。志賀の唐崎が恋しいという歌なのだけれど、それくらいで、これも佐渡そのものは歌っていないし」
「その辺は上総とどっこいどっこいか?」、「いいえ上総にはまだあるわよ、馬来田とか千草浜とか、でも全体に一流ではないな。B級かな。同じ坂東でも、武蔵野の草から昇る月とか、墨田の都鳥とか、真間の井とか、筑波峰とか男女川とか、白河関とかと比べると地味ね」


「しかし、例えば佐渡など、そこのトキの飛翔など、何で都人は歌にしないのかね?上総だって、紅花とか真珠とか都会人好みの名物があるのになあ」
「新しい発見や独創性を競っているんじゃないのよね。いつの頃か名ある人がそう決めた。後の人はそれを尊重して前例の再確認しているわけよね。それが歌の道なわけよ」

 真野の国府で、一旦、真子と別れた。真子は西三川までついていくと言ったが、久しぶりに都人が来たと、国府で真子を手放さなくなり、それ歌を教えてくれとか、やれ都振りの書を教えてくれとかの依頼が殺到したからである。何だかんだとケチをつけても、田舎ではやはり都人は歓迎される。それを幸いに真子を国府に置いて、粟飯原と大ノ符理男は二人で西三川に向かった。


 真野から海岸に出ると八幡の浜である。ここは、対岸が一里先にあることといい、まわりの景色といい、粟飯原が白鳥珠を海中から引き揚げた、あの上総の浜に良く似ていた。おまけに地名も一致していた。


 浜伝いに南下していくと、砂浜はすぐになくなり、断崖絶壁の連続となる。海には奇妙な形をした岩塊がいたるところに突き出ていた。
 潮掛鼻という奇妙な名前の村まで来た。人家はここで途絶え、この先はすべて山と崖とブナと細流の世界だった。
 大ノ符理男は「こっちだ」と、小さな小川の上流を指差した。二人は、この小川を遡上した。対岸はすぐに高い絶壁となった。しかし山の標高は高くない。景色は上総と変わらない。そしてここで金が取れたのだから、上総も取れるのではないかと、粟飯原は思った。
 そして、やっと大ノ符理男の仲間たちがいるキャンプに着いた。
 大ノ符理男の姿を発見したのか、キャンプから大きな女(らしい者)が飛び出してきて、ウオーッといいながら、大ノ符理男に飛びついてきた。粟飯原の存在も気にならないのか突然に抱擁が始まった。この女も金髪で赤ら顔で丈は五尺八寸はあった。だから符理男と女はまるで仁王様の取っ組み合いである。


 なんだかんだと二人で話し叫んでいたが、やがてあっけにとられている粟飯原に、符理男が目くばせしたかと思うと、二人は傍らの草むらに行った。そして、突然にまぐわいが始まった。ウオー、ウオーッと女が叫び、大きな尻がぶるぶると震えた。そして大きな女陰にこれまた馬のように大きな男根が見え隠れしているのが見えた。まるで赤熊のまぐあいである。粟飯原は、あんぐりと口を開けていた。カルチャーショックを受けた。
 まぐあいが済むと、女はおとなしくなった。そして不思議なのは、これだけ門口で大騒ぎしているのに、キャンプの中はそれに無関心のように平然としていることであった。
 粟飯原はようやく獣の皮を張った小屋に招き入れられた。小屋はこの一張りしかない。
 大ノ符理男は、粟飯原に仲間たちを紹介した。一行は大ノを入れて七人。男が五人女が二人である。長老の名前がジルカルンダ。以下、ソチ、ハルネン、マテヲ、そして符理男である。女は、符理男とまぐわっていたのがアイネ、他にパッソネであった。


 金髪は符理男とアイネだけで他の五人は日本人に近い顔つきをしていた。ただ毛深く見鼻立ちがくっきりしていた。
 男たちの酒宴が始まった。二人の女がかいがいしく給仕をする。酒は国府あたりから仕入れてきたのだろう日本の酒であった。しかし、酒の肴はみな獣肉であった。
 日本語は符理男しかしゃべれないから、粟飯原は符理男を通じて彼らの事をいろいろと話を聞いた。
 話によると、彼らは奥州出羽の俘囚長である清原氏の招きで日本に来た。奥州の金の探査を終え、まだほかにもあるだろうと目を付けたのが佐渡島であった。そして佐渡島の金を発見し、これから、奥州に戻り、さらに故郷に帰るということであった。
 故郷での本来の暮らしは馬の放牧で、馬と共に草原を移動して暮らしている。今は、山で熊、猪、鹿を追い、里の日本人に皮を売って、そして金を探して暮らしている。日本の山人に近い暮らしだといった。


 彼らは獣の筋で作った糸で毛皮をたくみに縫い合わせて衣類を作る。これは女の仕事である。女はこのほかに食事の事、商業の事、計数のことを受け持つ。男は狩りや屠殺などの力仕事と戦士としての役割を担う。女は手先の仕事と頭脳労働である。
 長老というリーダーはいるが統制はゆるく、共同生活の中のもめごとの裁定が主な仕事である。夫婦関係ははっきりしない。符理男とアイネも必ずしも夫婦ではない。ひとつ部屋で雑魚寝して、たまたま気が合って同じ夜具に寝ている時があったとして、その時だけが夫婦であるといえばいえる。男女ともに、昨日と今日の相手が違っていたとして、誰も非難はしない。


 こういう人間集団であった。
 しかし、全体としてこの集団は元気がない、と粟飯原は感じた。
 そのことを符理男に言うと、「確かにそうだ」といって、理由を説明した。
 それによると、理由は暑さのための匂いである、という。故郷では、毛皮もにおわないし、自分たちの排泄物もにおわない。ものの腐る匂いもしない。一年のほとんどは雪と氷で覆われていて匂いがないというのである。符理男にいわせると、仏教で薬師如来の住むといわれる瑠璃光浄土とは符理男たちの故郷のようなところだそうである。白夜に氷が青く輝いて匂いが無く、病気がなく清浄であるからである。


 そんなわけで、符理男たちは寒くならないと元気が出ないということである。
 「日本の女は好きか」と粟飯原は長老のジルカルンダに尋ねた。
 符理男の通訳を通して返ってきた答えは次のようであった。
 「陽気が暑くてもにおわないのはいいが、あんまり好みではない。着ているものといい、体つきといい、顔立ちといい、全体に平らであり、角ばっている。我らの好みはカーブである。それも三次元的に広がったカーブである」
 彼らの美意識に合うのは、「観音様」くらいである。あの服装や顔つきは我らの好みである、ということであった。

 翌日、粟飯原は長老ジルカルンダから、彼らが今まで集めた砂金を見せられた。全部ここ西三川産だという。粟飯原が手に取って見ると五百匁くらいはありそうであった。この数年で、この人数で、しかも片手間でこれだけのものが集まるのだから、西三川は金鉱山としてはかなりのものだということになる。
 ジルカルンダにいわせると、佐渡では、西三川の他に、同じ西海岸だが国府の北の相川でも白鳥珠の反応があったという。しかしこちらは砂金の形では見ることは出来なかった、という。そして多分こういう形の石に金が含まれているのだろうと、ひとつの鉱石を見せてくれた。相川の山中で拾ったのだという。
 その鉱石は白っぽい堅い透明感のある石に、多数の葉脈のような模様が走っているもので模様は黒っぽく、しかし、輝きを見せていた。
 粟飯原は手に取ってしげしげと眺めたが、金色は確認できなかった。不信顔の粟飯原にジルカルンダが解説した。
 金の粒が極端に小さいために黒っぽく見えるが金に間違いない。さらにこの鉱石には銀も含まれている。この石から金や銀を取り出すのは簡単ではないが、もし成功すれば、金が一に対して、銀が百くらいは採れる、とのことであった。
 粟飯原は、こういう緻密な鉱石は上総ではないな、と思った。上総の石はやわらかく、軽い。

 また次の日、粟飯原は符理男と二人で砂金山に出かけた。いよいよ白鳥珠の金反応を実地に見せてもらえることになった。
 現地に行って見ると、砂金山そのものは何の変哲もない山だが、符理男にいわせると、ここから流れ出る細流のよどみには砂金が集まっており、そのみなもとはこの山だそうだ。
 符理男はさっそく準備にかかった。
 氷のかけらや焼酎を水鉄砲のような金属製の管に入れてプシュプシュやり出した。しばらくたって、符理男が触って見ろというので粟飯原が触ると筒がかなり冷たくなっていた。
 符理男はこの筒を、折れ曲がることのできる管で、大きな風船がつぶれたような入れ物につないだ。これが巨大生物の胃袋で作ったものか、と粟飯原は思った。この風船は動物の骨を張り合わせて作った弓のようなものがたくさんくっついていた。


 符理男は最後に、「これが例の真珠だ」といって、一寸よりちょっと小さな真珠を粟飯原に見せて、これを風船の小窓から中に入れた。粟飯原にとって、白鳥珠を目にするのは、藤原道長との対面の時以来である。
 「さて、準備ができたからやってみるぞ」と、符理男が言った。
 粟飯原がうなずくと、符理男は、そばのひもを小刀でパツンと切った。そうすると、どういう仕掛けになっているのか、大きな風船が見る見る膨らんで、球のようにパンパンに張った。
 符理男は粟飯原にここを覗いてみろと言った。そこは玻璃のような透明なもので作った小窓のようなところであった。
 粟飯原が覗くと、中は真っ暗であった。しばらくは何も見えなかったが、そのうちかすかに白鳥珠からのリン光が見えた。
 眼が慣れるに従って、白鳥珠からのリン光の他に、あたりに無数の小さなリン光も見えた。
 「これが金に反応している白鳥珠の光だ」と符理男が言った。
 「確かにリン光が見えるが、これはわしが天羽の駅家で見たものと変わらないように見える」
 「あの時も近くに金があったのだから同じに見えたかもしれないな。金に反応していない所を見ないと分からないかもしれぬな。じゃ、反応のないところに行ってもう一度やるから、今のこの光をよく記憶しておけよ」
 そういうことで、符理男と粟飯原は、砂金山から一里くらい山中を移動した。
 そして、またさっきと同じ準備をした。二度目なので、粟飯原も手助けが出来た。符理男は、水の周囲を周りから気が入らないように急に広げると冷たくなって、霧が発生するのだという。この霧に白鳥珠から出ている何らかの妖気が反応しているのだろうと解説した。
 「ここは以前の調査で金反応がなかったところだ。ここでのリン光とさっきのリン光が区別できればいいのだが。我々から見ると枝分かれした光の曲りがずいぶん違うのだが、あんたにはどう見えるか・・・・・・」


 粟飯原は「枝分かれ」の言葉にびっくりした。枝分かれ自体、見えているかいないかの認識がない。まして先が曲がるとかは想定の外の範囲だ。こんどはしっかり確認しようと粟飯原は決意した。
 しかし、今度のテストでも粟飯原には、リン光の違いは分からなかった。曲がっているようにも見えないし、枝分かれも見えなかった。まったく前の金反応したとされるリン光と変わらなかった。
 符理男の結論は二つであった。一つは、もっとはっきり見えるような、言い換えれば濃厚な霧が発生する場所で繰り返し訓練修行しなければリン光の違いは分からないだろうということ、もう一つは日本人は近くの景色ばかり見ているので目が悪くなっている、我々は十里先の人の名前を言える眼を持っている、といった。
 この結論を聞いて、粟飯原はやはり本場へ行こうと決意した。
 キャンプに帰って、長老ジルカルンダに相談すると、我らの帰国に同行するなら喜んで白鳥の湖まで案内し、白鳥珠の修行も手伝おうと言ってくれた。

 粟飯原は佐渡の国府にもどった。大陸へ渡る諸々の準備をするためである。まず、菅原真子の帰京について決め、上総の天羽直幸に大陸行を説明し了解を得なければならない。これだけでも文書の行き来で一ヶ月ぐらいは簡単に過ぎてしまう。ジルカルンダ等の帰国は二ヶ月後だという。
 国府に顔を出すと、粟飯原宛に上総の大佐野から手紙が届いていた。
 中を確認すると、大佐野の故郷甲州には黄金伝説が少なからずある、ついては大ノ符理男にお願いして粟飯原共々甲州に来てもらえないだろうか、○月○日甲州国府で落ち合おうと、日付まで指定した依頼であった。
 粟飯原にとってはきびしい依頼事項であったが、天羽氏や上総平氏の金ヅル大佐野の依頼であれば、無下に断れるものではなかった。とにかくジルカルンダに相談して決めようと思った。
 菅原真子に会った。真子は国府に来る役人やその婦人たち相手に毎日、歌(短歌)の講義で忙しいようであった。粟飯原の目からは顔つきがしまって喜怒哀楽の表情がさらに豊かになったように見えた。
 「歌は進んだのか?」と粟飯原が尋ねた。真子は、粟飯原と佐渡に来た時、粟飯原が言ったトキの飛翔の美しさが気になって、その後、トキについていろいろ調べたようである。調べによれば、伊勢神宮の神宝の矢の羽は佐渡からトキの羽が寄進されるらしい。二十年に一度のことだが、この準備は大変だということ、この羽の美しさと、伊勢斎王の孤独の影を秘めた美しさを入れて、佐渡を舞台にした都恋しいテーマの歌を作りたいと、毎日ウンウンうなっているが、まだものにならないと、明るく言った。
 「そういう、明るい顔つきで、都恋しいとおいおい泣くような歌を作るのが分からない。なぜそういうことになるのかね」
 「創作のための虚構よ。いつかも言ったけど、読者層が都人だから、都はすばらしい、それなのに私はこんなみすぼらしいところにいる、というのが一つのカタチになるのね。読者層が男だからこれを意識して、勝手気ままな男を思いつめて、ついに振られる女を演じるのよ。歌いながら舌を出して、べーッだ、というのが創作よ」
「・・・・・・じゃあそういうことで、・・・・・・・なにがそういうことか分からないが、だいぶ歌の道も進んだようだから都に帰ろう」と粟飯原が言った。
 「・・・・・・・いやだなあ。それであなたは上総に行くの?」
 「いや、これから西の海を渡って韃靼よりずっと遠いところに行く」
 粟飯原は西三川での白鳥珠の試験について語った。白鳥珠を極めるためには、どうしても白鳥の湖に行かねばならないことを伝えた。あんたなどから見ればなぜそれほどまでして、たかが真珠や宝探しに夢中になるかと思われようが、儂にも分からねえ。乗りかかった船だから最後まで行って見てえというのが、一番正直な答えだ、といった。
 「それなら、私も行く。連れてって」
 「ああん?それはだめだ!あれは、あんたのような人が行くところじゃねえ!」
 粟飯原は、西三川のキャンプ初日の符理男とアイネのくんずほぐれつのまぐあいを思い出しながら言った。あの光景は東海の絶海の孤島のちんまりとした王朝美学とは対極にある風景だ。怨霊にとりつかれたのほれたのうらぎられたのと三十一文字でやりあう世界ではない。
 「大陸に行くには、ひとつ部屋で男も女も雑魚寝で、全員が何らかの仕事をしなければだめなんだ。飯の支度から、繕いものもしなければならない。歌ひとつのためにウンウンうなっている暇はない。それに馬に男のように乗れなければならない。そして何もかにも凍りつく世界だ」
 「平気よ。歌ひとつというけれど、ウンウンうなっているより、手で機でも動かしている方が創作は進むはずよ。古典(万葉集)には働く女の姿の歌はあるけれど、働く女の内心が歌ってないよね。歌っていても働いている実感、リズムが見えないのよ。大陸行がそういう場所なのなら、私にとって願ってもない場所よ。頑張るから連れてって」
 「・・・・・・・・・」粟飯原は今度は、粟飯原の目の前で真子が若手のソチに犯されている光景が目に飛び込んできた。とても我慢できるものではない。
 「とにかく、父上の許しを受けてもらいたい」と粟飯原はいった。
 翌日、粟飯原は真子を伴って、再び西三川に向かった。目的は、一つは、甲州の金探査についてジルカルンダに人の派遣のお願いをすること、そしてもう一つは、真子にキャンプ生活の実態を見せつけて大陸行をあきらめさせることであった。
 ジルカルンダは、粟飯原の依頼をあっけなく請けた。大ノ符理男を派遣しようと言った。甲州での探査を終えた後に、大ノ符理男は、ジルカルンダ達一行の後を追って帰国することになった。
 二人の女たちは、真子の出現に創作意欲を刺激されたらしい。ありあわせの毛皮で、真子の背丈に合わせて、子供向けのコートと、スカート、それにブーツをたちまちのうちに作ってしまった。女たちが真子に着て見ろ着ててみろとさわぐので、真子もその気になり、女たちに着方を倣いながら着て見たのであった。


 真子は、日本の着物と違った立体裁断の服の着心地と、そのプロフィルにカルチャーショックを受けると同時に、こちらはこちらで創作意欲が大いに刺激されたようである。無理矢理に匈奴の服を着せられ悲嘆に暮れて都が恋しいと歌う姫様あたりが真子の頭に浮かんでいるのかもしれない。

 夜もふけて、今日は、東海のお姫様を向かえたと、また酒宴が始まった。真子は例の匈奴の服を着たままである。粟飯原が、もし真子が行きたいと言ったら、儂と二人を連れて行ってくれるかと半ば冗談半分に問うと、ジルカルンダはまったく問題ないと言った。長老がそれを女たちに話した時、女たちは目を丸くして歓迎の言葉をしゃべった。出来れば、一日も早く片言でもいいから言葉を覚えてくれたらなお歓迎だと言った。
 真子はどこまで理解しているか不明なところがあるが、機嫌よくお願いします、といい、肉料理も嫌がらずにどんどん食べていた。
 やがて、就寝の時間になり、女たちは当然のことのように、粟飯原と真子のためにひとつの寝具を用意した。真子は喜んで粟飯原の寝具に入ってきた。粟飯原は、今日は周囲の魔者たちから、真子姫を守るために一睡もしないつもりでいた。


 やがて、部屋の中は寝息が満ちてきた。そんな闇の中、ソチとアイネの床、マテオとパッソネの床で男女の営みが始まったような音がした。女たちは控えめであるがそれらしい声を上げている。
 真子は、すっぽりと粟飯原の腕に抱かれている。男に抱かれているという現実と、他人のカップルの情事の現場の傍にいるという現実が重なって、さすがにショックを受けたのか、かすかに震えている。しかし、粟飯原が、唇で唇を塞いで、背中を撫でさすってやると落ち着いたようであった。やがて寝息がもれてきた。

 粟飯原と真子は西三川から佐渡の国府に帰ってきた。大ノ符理男を同道していた。符理男は一人甲州へ向かう予定であった。
 それ以後、粟飯原は上総との手紙のやり取り、菅原真子は父親との手紙のやり取りに没頭した。二人は、それぞれがやり取りはするものの、たとえ相手先からだめだとの返事があったとしても大陸行をあきらめる気はなかった。とはいえ、絶対だめだと言われるのと、是非行ってこいと言われるのとでは出発時の気持ちはずいぶん違う。粟飯原の上総の留守家族の心情も違ってくる。もちろん、無事に帰ってきた後もずいぶん違う。
 粟飯原は真子の父親は激怒するだろう、場合によっては国府に真子の身柄保護を依頼するかも知れないと思っていた。もちろんそうなることを半分は期待していた。現地人との同行とはいえ日本語も通じない異界で真子が生きられるとは思っていない。
 万一、菅原孝標がOKをした場合、真子を引き留めるのは粟飯原の役割となる。これは気の重い役割だった。
 まず、返事が来て決まったのは大ノ符理男の甲州行であった。
 次に決まったのは粟飯原の大陸行であった。上総からは、ぜひ頑張って行ってこい、お前の修行が上総を救うといった調子の格調の高さであった。そして、最後に奥州事情、特に岩手とか弘前といった遠い奥州の事情をよく見てきてくれということが書かれていた。支配者のこと、その評判のこと、奥州と京との交易のこと、物産のこと、・・・・・・・と数限りない箇条書きが添付されていた。この数にしては、同封されていた金の少ないことに驚愕した。しかし、こういうことは粟飯原は慣れている。
 なかなか決まらなかったのは真子であった。決まるも決まらないも、菅原孝標からの返事が来ないのである。真子は毎日イライラしていたが、粟飯原は、この返事の遅れは、あるいは親父さんは金策に走っているのではないか、と言うことは、親父さんは娘の大陸行に積極的に賛成したのだと思っていた。
 そして、ようやく菅原孝標からの返事が来た。OKだったと喜び勇んで真子が粟飯原に報告に来た。おまけに、こちらは驚愕するほどの金付きである。


 真子が粟飯原にいきさつを説明した。
 まず、なぜ大陸を目指すか、ということについて、真子は、漢の時代、匈奴の王に嫁いだ王昭君の足跡を実地に体験したいと書いたのだという。「王昭君とは何だ」と粟飯原が聞くと、「今から千年も前の中国漢王朝の故事で、匈奴との外交上の約束で、漢皇帝の官女で美女の誉れの高かった王昭君を匈奴王にという命令が来た、王昭君はいいなずけがいたにもかかわらず彼と別れて匈奴に嫁いで行った、ということであった。
 なるほど、とにかく故事に弱い菅原孝標の心のいいところを突いたものだ、と粟飯原は真子の戦略に感心した。粟飯原たちがこれから行くところが匈奴と言われる国なのかどうかは分からないが、ジルカルンダの話では、韃靼よりさらに西だというのだから、匈奴か匈奴の影響を受けているところだということは言えないことはない。
 そして、この真子の機転に、たかが「歌」の美学追及に、真子もそして菅原孝標も並々ならぬ決意を持っているのだと、平安王朝貴族の表面には見えない「根性」を見たような気がした。何でもかんでも悲劇の題材にしてしまい、にこにこ笑ってあっけらからんと都恋しいとさめざめと泣く物語にしてしまう、その安直さの根源には障害をいとわず美を追求し続ける鬼の姿があったのだと思った。
 粟飯原は真子と孝標父子のそんなやりとりを見て、真子の大陸行きを止めるのをやめ、むしろ出来る限り応援、サポートしようと思った。

 翌日は大ノ符理男が甲州に旅立つということで、夕暮れの中、三人それぞれの門出を祝って、三人だけの酒宴となった。
 こういう場合、平安朝の貴族なら互いに歌を送ったり吟じたりしつつ酒を飲みかわすのが普通だが、この三人の酒宴は、歌はない。そして男たちは烏帽子をつけず、真子はキャンプの女たちが作ってくれた毛皮の匈奴服であった。酒は日本酒だが、肴は獣肉であった。
 粟飯原は、とにかく白鳥珠の故里に行って、そこで金反応のリン光を確認し、その変わり方の判断に習熟するのが、自分の熱き思いだと決意を語った。
 菅原真子は、日本の歌に匈奴の美学を入れて見たい。将来に歌枕として残るような言葉の一つ二つを発見したいと言った。先祖の菅原道真は、大宰府に行っても、歌うのは恩賜の着物であり、庭の梅でしかない。大宰府はおろか鎮西を何も歌っていない。私はこれを越えたい。距離の長さを越え、歌も超える、というのであった。
 大ノ符理男は、弓、矢、馬、鎧、冶金など日本は我々より劣っている。唯一優れているのが、鉄の焼き入れと鍛造である。日本刀はすばらしい。儂はこの素晴らしさの秘密にせまりたいといった。甲州に行って、もし良い刀鍛冶が見つかったら、まだまだ日本に残るかもしれないといった。
 翌日、大ノ符理男は甲州に旅立った。
 粟飯原と真子はジルカルンダ等の一行を待つ。ジルカルンダの話によると、奥州の清原氏配下の船が来るというのである。そして、我々は佐渡を立ち、奥州十三湊によって、その後は海を渡って、ナホトーカに向かうというのである。

 12.氷の世界

 ジルカルンダと粟飯原一行が、ここに着いたのは夏の真っ盛りであった。ここは、ナホトーカから海沿いを北上して、黒竜江(アムール川)という名の大河のほとりであった。
 あたりは白樺林が延々と続き、遠くはとがった山の樹形をした杉の林であった。大地は大きな波のうねりのような起伏があるが、東西南北どこを見渡しても山影は見えない。
全体に湿気が少なく空気はカラッとしているが、土地は沼地が多い。そして白樺は不毛の印であり、田畑はまったくなかった。村は広大であるが、人はジルカルンダ等の集団に同じく、十人、二十人の集団がポツンポツンといるだけであった。百人を超える集団は稀であった。
ジルカルンダは、粟飯原に、夏の間はここで逗留し、九月の冬の始まりと共に、黒竜江に沿って全員馬で奥に入って行く。冬が進むにつれて川が凍結するので、そうすると凍河が通行可能になり進行速度が格段に速くなり、順調に行けば、十月の末か十一月の始めには故郷のイルクーツクに着くというのである。もっとも順調に行かず、十一月になっても到着出来なければ、我々は全員くたばる、といって笑いながら片目をつぶった。


 粟飯原がなぜ、夏に出発しないのか、と、聞くと、夏は、ここのような逗留地を一歩外れれば、そこはヤブ蚊とぶよと南京虫の世界でありまあ一日ですたこらと退散してくるのがここの世界だと言った。 もっとも、真冬は真冬で、まつ毛も凍り、一尺先も見えなくなる真っ黒な雪吹雪の中では、こっちは痒いどころか死の世界となる。だから移動は真夏と真冬の間の期間のわずか二、三月がチャンスなのだよと教えてくれた

 ジルカルンダの一行の中で、パッソネは日本を出発した時から妊娠しており今月が産み月だという。夏の逗留期間中にお産が出来るのでなかなか具合がよろしい、とジルカルンダはいった。
一行の中で、粟飯原と真子の役割も決まってきた。粟飯原は猟であり、真子は炊事と裁縫である。もっともこれは他の男女もその役割なので、ここで生きる限り、客人であろうが、貴族であろうが金を持っていようが、誰でも働かねば食ってはいけない。
 しかし、粟飯原は医療の知識の面で認められつつあった。薬草に詳しく、この地では貴重な食べられる緑の野草に詳しく、腰痛治療に長けていたからである。例えばここについてから、蚊いぶしを作ってずいぶん感心され、これが蚊だけでなくぶよや南京虫にも効果があると知られて喜ばれた。
一方、真子は、計数に明るいということで一目置かれるようになった。そらで計算する能力は魔法使いのように珍しがられ珍重された。こういう能力がある人は、普通は、その他の生活日常の仕事は全くダメということが多いが、この娘は、日常の仕事もてきぱきとこなすことができた。ジルカルンダ等から見るとまったくの幼女のような顔・姿なのに、人間の男女の恋のこと人間のお産のことを知っており、特に人間のお産の立会いなど何回も経験があると自信ありげであった。


 ジルカルンダ等は馬の交接やお産には詳しいが、人間のそれは、意外に知識がなく、すべて馬と同じだろうといった、不思議な軽視の考えを持っていたので、人間の生理は馬とは別であるといった真子の妊婦への丁寧な接し方には新鮮な感慨を抱いたようであった。
 そんなことで、真子はジルカルンダ等との雑魚寝の中で、暗闇でも、真子にけしからぬ行動を仕掛ける男はいない、という立場を勝ち取っていた。もっとも、そうなる理由は、真子があまりにも小柄で華奢で、幼女のような顔つきなので遠慮していた面があったかもしれない。
真子は一日中あれこれと忙しく立ち働いていた。しかし、真子はどんなに忙しくても、日本から持ってきた、筆記用具と、手帳は手放さなかった。ちょっとした暇が出来ると、すぐに手帳に何かを書きつけている真子の姿があった。
 粟飯原と真子が一番閉口したのは、食事である。固パンと馬肉、ヨーグルトが主体の食事は、たまに馬の血のソーセージなどというものまであって、慣れるまでずいぶんの時間が立った。
なお、言うまでもなく粟飯原と真子の仕事で一番大事なことは、言葉を覚えることであった。そしてこれは、短時間で非常な進歩をした。
 粟飯原のもう一つの訓練は、目の訓練であった。粟飯原は努めて遠くを見る訓練を心掛けていた。これは、大ノ符理男から日本人は目が悪いと言われたからである。ひとえに白鳥珠の金反応を確認するための修行のつもりであった。


 このように粟飯原も真子もこの異郷になじんできてはいたが、しかし、本心では望郷の思いは募っていた。そんなある日、夏だというのに、夕方になって急に冷えて、日本での感覚なら真冬のような陽気になった。そうすると、白樺林の奥から濃厚な霧が押し寄せてきた。
粟飯原はあわてて、長老のジルカルンダを戸外に引っ張り出して、この霧なら白鳥珠のリン光が見えるのではないか、と、問うと、ジルカルンダは、「見えるだろう」と当たり前のように言った。
粟飯原は心の中で地団駄を踏んだ。ここに白鳥珠があれば、リン光確認の修行が出来るのに、これからはるばる白鳥の湖に行かなくても、ここで修行が出来るのに、ということであった。しかし、白鳥珠は今は日本と、白鳥の湖にあり、いずれも千里の彼方であった。粟飯原は人に見られないように涙を流して泣いた。その弱気の心の中で、菅原真子の心中はどうであろうかと心配した。
やがてパッソネのお産が始まった。真子はかいがいしく働き妊婦を助けた。女の子が生まれた。ジルカルンダはミレーヌと名付けた。父親が誰であるかは誰も話題にもしなかった。真子はミレーヌがパッソネの乳を飲んでいる時だけ以外は、ミレーヌを付きっきりで世話することを申し出た。真子の仕事がまた一つ増えた。


 そんなある日、粟飯原は、外でミレーヌを抱いてあやしている真子に話しかけた。
「これからまだ厳しい旅が続く。後悔していないか?」真子が「もうだめだ」ということであれば、仕方ない、ここから引き返して、ナホトーカに戻ろうと半分は決意していた。
「食べ物もいや、パオもいや、花もない、おぼろ月夜もない、小川のせせらぎ、真っ赤な紅葉もない。お産もいや、この子もいや。そして粟飯原さんもいや、何もかもいや!」
そして輝くように笑って、「だから、ここから引き返すのもイヤ」
「そうだよな、儂もいやだな」
「もう少し、何とかならないのかね。在原業平ならもう少し気の利いた歌が返ってくるんだけどなあ」
「そういうあんたも、うたになっていねえじゃないか」
「うんと、うんと、うなって考えてるのよ。さあて、ミレーヌちゃん、おっぱいの時間かな?」といって、真子はパオに入って行った。
そして、季節は冬になった。

 冬の始まりと共に、ジルカルンダ、粟飯原等の一行は、白鳥の湖への旅に出発した。粟飯原や真子の日本の感覚では記録的な真冬だが、ジルカルンダ等にいわせるとまだまだ生ぬるく気もち悪いという。
 旅の最初は、白樺並木を馬ソリで行く。馬の首につけた鈴が鳴り、ソリは快適に進んだ。
 馬にエサはいらない。馬たちは、タイガの森の中でエサを自分で探す。木々の下の苔のような下草が主食であり、冬が深まれば、樹皮が主な餌となる。
休息のパオの中では、人々の打楽器や、弦楽器が鳴り、そして女たちの胡旋舞は華やかで、男たちの弦楽器が風に鳴っているような不思議な歌謡があり、裏声の歌があり、重低音の朗詠があった。すべてが日本とは違っていた。菅原真子は目を丸くして舞踊に見惚れ、歌や楽器の調べに聞き耳をたてていた。そしてメモ帳に何かを書き続けていた。
 旅が進む中で、冬も進んでいた。道の両脇は樹氷になり、それもやがて雪の中で目立たなくなって行った頃、大河に到達した。川はまったく凍結していた。
 気温が下がるにつれて氷が滑らなくなり、旅は乗馬となった。凍結した川を馬で行くのである。川の氷はひび割れた跡がすぐに凝固して、無数の白い帯となって、縦横無尽に交錯していた。そんな中を、一列の馬隊が進む。馬の体から発散する体熱が霜を作り、その霜が馬毛にこびりついて、馬はみんな白馬になってしまった。人々は声を立てずただ黙々と進んで行く。

 この雪と氷の大陸に寒波が押し寄せ、吹雪となった。こうなると風がやむまで滞留せざるを得ない。ジルカルンダ等はタイガの森の中に、本格的なビバークをすることとなった。パオを氷で包む操作をしパオの中に煙突の付いたストーブが作られた。火がたかれると防寒着を脱いでも生きられる気温となった。防寒具を脱いだのは何日ぶりだろうと粟飯原は思った。
 パオの入口は毛皮のドアであった。誰かがこの扉を開くと外部の冷気が白い煙のようになって屋内に侵入してきた。粟飯原はまた白鳥珠の霧が出た、ここに白鳥珠があったらリン光が光るだろうかと思った。
 夜半はまたはげしい吹雪となった。家の人達も寝静まり、真子もミレーヌも眠り、粟飯原一人だけがいつまでも目覚めていた。長い旅の間、パオの中で寝る場所は自然に決まっていた。粟飯原とミレーヌと真子が川の字になって寝るのである。間のミレーヌは真子になついてまるで母と娘のようであった。
 粟飯原はこれから何日で白鳥の湖に着くのだろう、そもそも無事につけるのだろうか、着いたら着いたで、白鳥珠の修行がスムーズに始められるものだろうかなどととりとめない不安が心を覆っていた。
 吹雪の風はさらに激しくなり、タイガの森の大樹がきしみ不気味な音を立てた。そのあと、突如雷鳴がし、氷で密閉されたパオのどこから光が届くのか、稲妻までが室内に走った。


 二つ目の雷鳴で、真子は目覚めたらしい。
 小声で、「まだまだ激しくなるのかしら」と不安そうに言った。イルカルンダ達は目覚めていない。
 パシッ、パシッと稲妻が走ったが、その後は雷鳴は聞こえなかった。しばらくたってから粟飯原は 「もう峠は越えた。大丈夫だろう」と言った。

 こころなしか風も弱くなったような気がしたからである。
 パシッ、パシッと稲妻が光る中、粟飯原が真子を見ると、ニコッと笑いかけた。
 粟飯原が、寝具から片手を出して、手招きすると、真子は率直に粟飯原の寝具に入ってきて、すぐに下着を脱いだ。
 翌日は、風がなぎ、まっさおに晴れた中、また、凍河を馬で行く旅が始まった。世界は青と、白だけの色彩しかなかった。
 粟飯原は、薬師如来の住まう瑠璃光浄土を今、目のあたりにしているのだと思った。不意に、しばらく脳裏に浮かんで来なくなっていた、薬師如来の真言が浮かび、彼は馬上でとなえ続けた。「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ、オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ、オン・コロコロ・・・・・・・・・・・」

 13.北の白い湖

 そしてようやく粟飯原等は白鳥の湖に着いた。あの白樺の里を出発してから丸々二ヶ月目であった。
 「どうだ、これが、我らのバイカルだ。あんたらに説明した白鳥の湖だ」
ジルカルンダは誇らしげにこの湖を説明した。
湖は南北に長く、長さは実に百七十里。この説明に粟飯原は、上総から京の距離だなと思った。さらに驚くのは深いこと底が知れないことである。しかしこれらに比べると東西は、十里から二十里と短い。日本と違って基本的に乾いた土地だから昼間であれば対岸はくっきりと見える。大小約四百本の川が流入するが、流出する川は一本だけである。と、ジルカルンダは説明した。
これだけの大きな湖だから、周辺は周囲に比べたら気候が温暖である、と、ジルカルンダは付け加えたが、粟飯原が見る限り、湖面は氷結し、湖岸の山には樹の一つもない。寒さも今までより和らいではいない。

 ジルカルンダ等の故郷は、この湖の湖岸にあるイルクツクである。イルクツクは夏になるとそれぞれの集団が無数の馬を引き連れて集中し、人口が五倍くらいになる。ここに大きな市が立ち、あらゆるものが取引される。それぞれの集団が、次の夏までの自給自足ではまかなえない必需品を、この市で買い求めるからである。
 ジルカルンダは故郷について、これからの厳冬期を乗り切るために家を造りだした。基本的な構造はパオと変わらない。ただ、雑魚寝の状態からは解放され、粟飯原と真子のための家が与えられた。ジルカルンダ等の一行は二百メートル四方の土地の中に数棟のパオ状の家が建っており、その中の一つが粟飯原の家である。築地塀はおろか、しきりというものは一切ない。もちろん庭園などという設備もなく従って庭木もない。このような集落の中で、粟飯原等一行は、旅の疲れを取ることとなった。これから一週間は、食べては寝、飲んでは寝、また寝ては食べて体を休める。真子にいわせると、カエルの冬眠だが、この蛙、寝ても起きてもなぜか馬の背に揺られている感覚が消えない、と、真子はこぼした。粟飯原も同感である。


 旅の疲れがようやく癒えて、粟飯原はジルカルンダ等と白鳥珠修行の日程について相談した。そして真子の目的、王昭君の足跡を見て回ることについても相談した。
ジルカルンダは次のようにいった。
 白鳥珠修行については、それほど問題はない。白鳥珠と、あの例の古代動物の胃袋で作ったフードを貸し与え、サンプル地として、金鉱脈のない場所、ある場所を指定して、後は数回の教授をするから、その後は自分で繰り返し納得のいくまで調べればいいということであった。
真子の望みについては、「王昭君」の故事の話を聞くかぎり、たぶん、その場所はウランバートルではないかと思われる。ウランバートルはここバイカルから南に山を越えるが厳寒期の今は越えられない。夏になるのを待って越えるに行ってやってもいいのだが、二百里近くある上に高山があり、簡単ではない。


 それに無理に行ったからと言ってウランバートルは、あなたたちが想像するような大きな都があるわけではない。行って見たら失望するだろう。
 そこで相談だが、この季節にここに集まってくる商人たちの商品を見て、唐、宋などと関連ありそうな商品を持っている商人に王昭君のことを聞いて見たらどうだろう。聞いたら書物であれ、経典であれ何でも出て来るのが、この大陸を西に東に南に北に行き来している商人である。我々の言葉がしゃべられて、なおかつあの漢語が書けるのだから真子女史の研究のためにはここでも充分な環境だ、ということであった。


 商人たちは、徐々に集まりつつあるから、随時行って見たらよい。歌であろうが音楽であろうが、手品、幻術、踊り、武術何でもある。仏像もある。金を出せば何でも買える。それこそ日本の刀や槍もある。
そうだ、忘れていたが、白鳥珠修行に使うあの古代生物の胃袋も売っているぞ。あれは、巨大ふいごのための空気だまりの入れ物であって、我々はそれを改造して霧箱にしたものなんだ。
と、いうジルカルンダの提案で、粟飯原直忠は白鳥珠修行にせいを出し菅原真子はもっぱら市場ウオッチングにせいを出すことになった。真子は古の弘法大師のように、書籍や経典や仏具や異国趣味のものを買いあさるつもりでいる。そして、後は聞きに聞きまくって行くつもりである。

 ジルカルンダから紹介された、白鳥珠の師匠は、毛むくじゃらでずんぐりむっくりした四十代の男であった。名をアネッサン・チカマタリノンという。もったいぶって重々しくものをいう癖がある。しかし根は親切な男である、と粟飯原は思っている。
 本人に、日本語で何を意味するかの説明や同意なしに「アネサン」と粟飯原は呼びかけるつもりでいる。
 「この宝珠と同じものが、極東の島にあったのは不思議である。あなたはいくつ見たのか」アネサンが、粟飯原に質問した。
 「儂が確認したのは、儂が海岸から引き揚げたものがひとつ。それと日本の最高権力者の藤原道長が持っていたものがひとつ。合計ふたつだ。いずれも、百済国、これは韃靼の南であり中国の東であり、日本の西であるが、この百済国から日本に渡来したものと思われる」
 「日本に渡ったのは何時の事なのか」
 「百済国滅亡の頃、今から六百年前だが、この頃に難民と共に日本にもたらされたものと、儂は理解している」
 「すると、我らが湖に宝珠の母なる巨大な石が落ちて、四百年後に日本に宝珠が到着し、そして六百年後にあなたが宝珠のふるさとを訪ねて来たということになる」
 「儂のように極東から宝珠のことについて修行に来たものはいないのだろうか」
 「わたしは知らない」
 「なぜ儂がこう言うかというと、宝珠と黄金との不思議な因縁があるからだ。宝珠と黄金、あるいは黄金採掘技術とは対になって日本に来たとにらんでいる。日本の黄金の道は、百済道と、もしかしたらもうひとつ儂の国で蝦夷と呼んでいる北の国の道があるのでは、と、儂は見ている。儂が今度ここに来たのは、この北の国の道をたどってきたのだ。もしや蝦夷の方から、儂のような者があなたたちに教えを乞いに来ていないのだろうか」
 「わたしは知らない」
 「宝珠は全部でいくつくらいあるのだろうか」
 「おそらく百個程度と考えられる。もう世に出つくしたと考える。なぜならこの十年、もはやこの湖から宝珠は採れていない。新たなものが採れない以上、すでに世にあるものはやがて散逸する。するとやがてこの地でも宝珠の秘密を知るものはいなくなるだろう。だから、あなたがここに修行に来たのは天の神地の神の導きであろう。わたしはあなたに宝珠のすべての事を伝えるつもりである」
 それはありがたいこと、よろしくおねがいしたい、と粟飯原はアネサンにお礼を申し述べた。そしてこれはあたかも、あの弘法大師が恵果から密教の灌頂を受けるような場面だと気がついた。その類推からすると、菅原真子はさしずめ、弘法大師が砂金でもって書物や経典を買いあさっている役どころとなる。同時に菅原真子の華奢な姿と、弘法大師のずんぐりむっくりの姿が二重写しになって粟飯原の脳裏に浮かんだ。
 「宝珠の霊気を見るのは霧が要素となる。霊気が霧に反応して人の目に見えるようになるということだ。しからば、霧をどう作るか」
 「厳寒のこの地ではごく簡単に霧が作られる」
 アネサンはそういうと、パオの扉をパッと開いた。とたんにパオの中は真っ白な霧に覆われた。
 「これを我々は居留霧と言っている。人の体温でパオ内部の温度が上がっている中に外の冷たい空気が流れて霧を作る」
 アネサンはそういうと、パオの扉を閉めた。すると、パオの中は真っ暗になり、それと同時に、宝珠から放射状にリン光が輝き出していた。

 「ようく、じっと見ていたまえ。この光が黄金なしのリン光だ」
 粟飯原は目を凝らして、リン光を見つめていた。白鳥珠のリン光を見るのは、天羽の郡家の部屋と、佐渡の巨大生物の胃袋の中と、そして今度で三度目であった。三度の中では今度のリン光が一番強く輝いていると感じた。
 「リン光について言葉であれこれと教えることは出来ない。ずっと見て感じてもらわねばならない。まあ、数日、この中に逗留して、リン光を見続けることが大事だ。この宝珠はしばらくあなたに貸し与えよう」
 といって、アネサンは出て行った。二日後に来て、今度は黄金のある場所に移動して同じことをやってみようと言い残していた。
 粟飯原は、リン光を凝視していた。リン光は全体として放射状に広がっていて、時にビームのように長く連なることがあり、そういう時にはビームの中にかすかな模様が現れることがあった。リン光は幾何学的な直線ではなく波状に曲がることがあった。時に部屋に強い風が入ると枝分かれして見えたりした。さらに強い風が入ると稲妻状にもなった。


 壺の湯が冷めてしまうくらいの時間でリン光は薄くなり、やがて消えた。
 しかし、パオの扉をぱっと開けると再び、白い霧が室内に充満して、またリン光が復活するのであった。
 粟飯原は、寝そべって見たり、立って見たり、しゃがんで見たりして、リン光を観察した。アネサンが持ってきた鉛の箱に宝珠を入れて見たりした。蓋を急に開けて見たりした。そして得た結論は、白鳥珠から出てくる「気」はそもそも目に見えないが、この「気」が霧のような微小な水滴に当たると小さな稲妻を発生させ、それが人の目に見えるのだろうということであった。
粟飯原は今日はこの部屋でリン光と共に寝るつもりであった。

 二日後、約束通り、アネサンが粟飯原を迎えにきた。今日は十里先の金鉱のあるところでリン光を見ようというわけである。アネサンは古代生物の胃袋を携えていた。
 粟飯原は、まずここで、金反応のない胃袋の中でのリン光を見てみたいというと、アネサンはもっともだと納得して、胃袋を膨らませ、中に白鳥珠を入れさらに小さな懐炉を袋内に無造作に投げ込んだ。


 そしてしばらくたってから、胃袋についた蓋を開いた。アネサンは玻璃で作られた小さな小窓を指さして、粟飯原にのぞいてみろといった。粟飯原がのぞくと、確かにあのリン光が見えている。昨日、部屋の中で一晩中見ていたリン光が、部屋の外からも確かに見えることを粟飯原は確認した。ただ、胃袋の中は風がないらしく、リン光は曲がらず、枝分かれせず、比較的単純であった。
 粟飯原が、アネサンにこの蓋を少し開けてもいいかと問うと、アネサンがうなずいた。粟飯原が蓋をあけると、中のリン光はかすかに波のように曲がった。また枝分かれしたものもあった。粟飯原は納得したようにうなずいた。
 「確かにリン光の枝分かれや曲がりの原因は、箱の中の風にある。しかし、金鉱脈に近づくと、風もないのにリン光が揺れだす」と、アネサンは解説した。
 こうした実験をした後で、粟飯原とアネサンは金鉱脈のある場所に移動した。馬での移動であり、しかもソリでの移動だった。移動中に馬は白くならなかった。長老のジルカルンダがいったように確かにここは陽気の温和な土地だった。
 しかし温和な陽気の土地であっても、金鉱脈のある山も一面の雪と氷の世界だった。山のところどころに崖が形成されていた。その崖の色は白く輝く花崗岩のようであった。
 アネサンがこの辺でいいだろうと足を止めた場所は、周囲が低い崖に囲まれた狭い窪地のようなところであった。粟飯原は、風のない場所を選んでいるのだろうと察して、そのことをアネサンに確認すると、確かにそうだとのことであった。
 「この山一帯は金鉱脈が潜んでいる場所だ。ここではたしかに白鳥珠に金反応が見られる。それでは今度はあなたが胃袋の膨らませからやってみなさい」と、アネサンは言った。
 粟飯原はさっそく胃袋の組み立てに入った。この古代生物の胃袋は、佐渡での体験もあるので手慣れたものであった。少し離れた場所で、アネサンが腕を組んでその作業を見守っていた。アネサンは粟飯原の作業の手順の良さに感心したようであった。


 またたくうちに、胃袋の箱が完成した。
 粟飯原は、袋の中に白鳥珠を入れ、懐炉を入れた。そして、粟飯原自身の判断で、蓋をあけるタイミングを計り、蓋をあけた。
 粟飯原はアネサンに会釈すると、そのまま玻璃の小窓を覗いて見た。しかし、小窓が内部側で曇ってしまったのか何も見えなかった。困ったようにアネサンに救いを求めると、アネサンは両手を肩まで上げて、「ダメ」の合図をすると、「懐炉が熱すぎて、内部の温度が高くなり過ぎているのだろう」と、いった。このまま少し待って、玻璃の曇りがなくなったら、もう一度外気を入れてみろといった。
 粟飯原は、しばらく玻璃の様子を見ていたが、やがて、再び蓋をあけた。
 期待に満ちて、粟飯原が小窓を覗くと、今度は若干薄いがそれなりにリン光が見えていた。金反応はと、期待を込めてリン光を凝視する。


 たしかに、リン光は波打ち、枝分かれし、そればかりか周囲に丸い副次的なリン光の中心が現れた。粟飯原にとって初めて見る黄金反応のリン光であった。胃袋の蓋を開けなくてもすなわち風がなくてもリン光は波打ち、枝分かれしていた。もちろん蓋を少し開けて風をいれてもリン光の様子は変わりがなかった。しかし、粟飯原は風による波打ちと金反応の波打ちは違うと感じていた。言葉では言い表せないが何かが違うと見ていた。そして粟飯原は、ひとたび体験すると、こんなにはっきりした違いがなぜ佐渡では分からなかったのだろうと、わからなかったことのほうが不思議に思えてきた。

 アネサンの金反応の教授はここまでであった。あとは、胃袋を貸しあたえるから、今日、出発した場所から、この場所まで再び移動し直して、複数の場所を探査しながらリン光の様子を確認したまえ」といって、そそくさと帰り支度を始めてしまっていた。粟飯原は従わざるを得ない。
 村に帰って、それから三日間、粟飯原は金探査の実験方法を計画した。出発点から終着点までの間で二里ごとにリン光を見て、その違いを確認すること、そして、その違いを一人でなく自分と真子で確認することとした。
 さっそく真子に手伝いをしてくれるように相談すると、真子はしぶしぶ同行に納得した。真子の方はバザールめぐりで忙しく、結構楽しかったらしい。本来的に、金探査の科学実験などは女の好みではない。


 白鳥珠修行に同道した真子のいでたちは、目だけをのぞかせ、あとはすっぽり防寒服を着た、匈奴の女そのものであった。目はしっかりと前方に向け、堂々と大股で闊歩する姿には、だれの助けを受けることなく自立しているという自信が見えていた。これが、市女笠をかぶり虫除けの薄衣を垂らして、内股でちょこちょこ歩き、屋外での放尿もできなかった女と同一人物だと説明したら誰もが嘘だろうと思うだろう。
 粟飯原は二里ごとに馬を止めて古代生物の胃袋を膨らませ白鳥珠のリン光を観察した。リン光は予定通りの輝きを見せて輝いていた。リン光を真子に見せると、最初はさすがにきれいだと感心したが、その後はまったく興味を示さなくなった。粟飯原はそんな中で、黙々とデータを記録し、時には蓋をあけ時にはより熱い懐炉を投げ込み、そしてリン光を観察し、メモを取った。
 白鳥珠の探査は、四回目まで来たがリン光に変化はなかった。そのため、五回目からは一里刻みで行い、アネサンのポイント金鉱脈地点を超えて二里先まで調べることとした。
その結果、五回目、六回目に黄金反応が認められた。この黄金反応を真子に見せると、真子も、黄金反応のリン光とそうでないもののリン光の違いを確認してくれた。しかし相変わらず「それがどうした」といった態度ではあった。粟飯原のように自然現象に敏感に感心する性質では真子はないらしい。
六回目探査地点はアネサンが指定した金鉱脈中心点であったが、七回目地点で早くも黄金反応が消え、八回目もまったく金反応はなかった。


 このことから、白鳥珠の黄金反応の感度範囲は一里四方が限界であることが分かった。
 八回目の探査が終わり、その記録を終えてようやく粟飯原の実験が終わった。そのことを真子に告げると、真子はほっとしたように「お疲れ様。白鳥珠のことよく分かったの?」といった。粟飯原はうなずいて、白鳥珠の実験が非常にうまくいった。これで日本からここまで来たかいがある。協力してくれてありがとう、といった。そういいながら、そういえば、金塊をそばに置いた場合の白鳥珠反応を調べていなかったことに気が付き少しうろたえた。村に帰ったら、さっそくアネサンにヒアリングして、できれば砂金を借りて実験してみようと思った。粟飯原の内心のこの仕事残りを気にするうつろさを真子が察したのか、真子の表情が曇った。この人はいったいどこまで白鳥珠を追いかけたら気が済むのだろう、ということだった。


 今日は朝から移動しながら白鳥珠の実験を八回も繰り返したため、村に帰り着く時間を失してしまっていた。今日は金鉱脈の山のくぼみでビバークすることにした。この辺も二人はすでに慣れたものである。
 二人一緒の寝袋の中で真子は話した。
「あなたの実験を見て、リン光の様子を見て分かったことは、私たち平安京の都会人が、いままで怨霊だとか、運命だとか、仏罰などといって恐れていたものは事象のとらえ方が違うんじゃないかということ。つい最近、私の姉も若くして亡くなったけれど、これは運命でもなく、仏罰でもなく、何かはっきりした原因があってのことだと思うの。それがなんであるかはわからないけれど、あなたの実験のようなことを繰り返していけば、いつの日か、その根源がわかってくるのだということが分かった気がするの。


 それにもうひとつ。歌を詠まない男も好ましい時があるのだということも分かったわ。心がここにない感じで、ひたすら実験に没頭する男は、いつの間にか男の子に戻って、暗くなる道をいとわずにどこまでもトンボ釣りに走りつづける。そんな男の子を心配して探しに行く母親の気分になるの。ここで歌がひとつできそうなんだけれど、私にはできない。歌はできないけれど、私のこの気持ちは分かってくれるかしら・・・・・・・」
 真子の話を子守唄に、粟飯原はすぐに深い眠りにおちいっていた。

 14.二人

 今日は、粟飯原(あいはら)と真子と連れ立って、バザールに出かけることにした。真子の買い物があまり進んでいないということで、粟飯原は真子の買物ぶりを見てみようと思ったことと、もうひとつは、あの古代生物の胃袋で作った入れ物がバザールに出ているものなのかどうかを調べようと思ったのである。
 イルクツクのバザール会場もご多聞にもれず見てくれが悪い。雪原に、にわか作りの粗末な商店小屋が並んでいるばかりである。これらは主として野菜や小麦粉、肉類の商店である。これらの店員は、これも世界標準の女である。これらだけをざっと見ると、規模の小さなフリーマーケットであるにすぎないが、実は奥が深い。バザールの「奥」は、バザール周辺の商人たちのパオで、このパオには商人の住居と倉庫の区別がある。住居は時によっては、演芸や手品、武術などの見世物のステージにもなる。倉庫は、高額品、大型品の陳列場、兼、商談の場所である。


 バザールの本格的な季節はまだ数か月先であるので、最盛期の三分の一程度の出店だが、それでも、日本のちょっとした都市の市場よりよほど規模が大きい。
 粟飯原は物珍しげに、きょろきょろとあたりを見回していたが、真子は慣れた足取りでさっさと歩いて、時には顔なじみの店員に挨拶したり、立ち話をしたりしている。粟飯原はそんな真子の後ろに従っていかざるを得ない。
 真子は大きなパオに入っていった。
 粟飯原も入ると、そこは見世物小屋のようなところであった。真子はまず、粟飯原をバザールで慰労するつもりらしい。
 見世物が始まって、最初に出てきたのは女の集団踊りであった。胡旋舞というものでやたらにくるくる回る舞踊であった。伴奏は琵琶のような弦楽器一本で、おおかたはリズムの目立つ指さばきだが、見得を切る場面があって、ここで舞踊がピタッと止まり、その時哀愁に満ちた旋律が繰り返される。その後、また激しい胡旋舞が始まる。演じている目鼻立ちがはっきりした大柄の女たちである。
 次に出てきたのは、武人による剣の舞であった。この出演者も、中国というより天竺よりさらに西の雰囲気があった。


 粟飯原が注目したのは、皮製の鎧と、三日月刀であった。鎧は軽快で、やたらに綺羅を飾る日本の鎧より運動性に優れているように見えた。

 その後、手品があり、最後には虎まで出てきた。最盛期ではない始まったばかりのバザールの演芸でこのレベルだから最盛期になったらどんなにすごいものが出てくることだろう、と粟飯原はこの地域の意外な開けように感心した。
 見世物小屋を出て、粟飯原と真子は馬乳チーズを買って、その場で食べた。真子は、昔からやっていたといわんばかりに付近の風景に溶け込んで、片手で持って、前歯でこそぎ落として食べ、その後、もぐもぐ噛みながらあたりを睥睨しつつ、またかじる、という動作をしたので、真子の尊敬する父親や紫式部が見たらどう思うだろう、と粟飯原は顔に出さずに笑った。
 「こちらに来てから、日本こそ辺境だなと、つくづく思うのね。私たちは洗練されていると自己評価しているけれど、世の中の関心を向ける範囲が圧倒的に狭い。この場でたとえば「源氏」を読み聞かせたら、心理描写や舞台設定に感心するけれど、だからどうした?と、逆質問されてしまいそう。とにかく景色であれ、気候であれ、人事であれ、スケールが違う」と、真子はいった。ただ買い物は、まだアクセサリ類主体の段階であった。やはり女一人では信用がないのであろう。大型の買い物や文化性の高い買い物は相手にしてくれないようであった。
 内実は、金の持ちようも文化的教養度も真子の方が粟飯原よりはるか上なのに、周りの商人には少女のような人は少女のような内実である、と決めつけているようであった。
 粟飯原は、これからは、市場に精を出して出かけ、真子の買い物のための看板の役割を果たそうと思った。これは真子のためだけではなく、あの古代生物の胃袋で作った入れ物を探す粟飯原の仕事を完遂するためにも必要なことであった。


 そこで男の目で「ここは」と訪ねたのが、火薬屋であった。そこの商品は爆竹のようにただ動物を驚かせるためのものだったが、爆発的に燃える物体は粟飯原には珍しかった。そして、火薬屋のつてで、同じく工学系の羅針盤屋、印刷物屋が見つかった。特に、常に北を指すという羅針盤は粟飯原の好奇心をくすぐった。さっそく一つを購入。原理と作り方を教えてくれといったが教えてもらえなかった。


 次に印刷屋を回った。ここでは印刷の実演を見せてくれた。結局、逆文字を陽刻した鉛の板をローラー状に曲げて、そこに墨をつけて、紙の上に押し付けて回すだけである。写経生が写すに一時間かかる一枚の文書が二秒で出てきてしまう。原版はどう作るのかと聞いたら、これも簡単で、まず、写経生に一枚書かせ、それをひっくり返して平らな銅板の上に貼り、その上から文字を小刀でなぞって削るのである。この陰面を鋳型にして溶けた鉛を流し込むと鉛の陽版が出来て印刷が出来るというわけである。


 真子を連れてきて印刷物を物色すると、真子の好きなものが続々と出てきた。真子が嬉々として買いあさったのは、山水画、儒教の新解釈学である朱子学、それと契丹の寺院だという、斗供を組み込んだ(後に宋様式といわれる)大きな建物の製図などであった。
 しかし、真子が求めていた、王昭君の事績は見つからなかった。
 女の物語で見つかったのは、介添えがなければ立つことすらできなかった超美人の楊貴妃に類する話と、それとは真逆の残虐な則天武后に類する話の二種類だけであった。恋の悩みを美しい文書で綴る女は大陸にはいなかったのである。
その他に、真子が独自に見つけてきたのが、青磁の食器であった。唐三彩や須恵器しか知らず、せいぜいが灰釉の磁器しか知らなかった真子にとって、青磁の透明感のある白と青、およびこの世のものと思えないほどの磁器の薄さと、完全円形の磁器皿は、人間にとって、大げさでなく五感知覚の革命であった。真子は、今後この器に盛った食べ物の話を書こうと思った。

 冬が去って、粟飯原忠長と菅原眞子の二人はナホトーカに帰ることになった。ナホトーカまで行けば本の蝦夷の船が常に出入りしているので、清原氏の名前を出せば十三湊までは行けるのである。
 彼らの買い物の成果を紹介しておく。
 真子は文化的な買い物がほとんどであった。たとえば山水画、建物の製図画、印刷物では朱子学の本数十巻、契丹文字の文書、西夏文字の文書、それと青磁の器。あとは真子自身が書き留めた、民族説話や民話などであった。
 この中で契丹の寺院建物製図が画期的である。後の日本の巨大木造建築物(東大寺大仏殿、南大門)のモデルになったものである。

 粟飯原は工学的な買い物がほとんどであった。一つは粟飯原悲願の古代動物の大きな胃袋で作った容器。そしてもう一つは羅針盤であった。あとは、技術ノウハウであるが、白鳥珠の黄金反応判定技術、これに付随して高温時での濃霧発生技術である。これとは別に、印刷技術や火薬製造技術の聞き書きが残った。
 これら一つ一つはたいした大きさではないが、まとまると結構な荷物になった。そこで運搬人を雇って、リレー形式でナホトーカまで運ぶことになった。
 粟飯原と真子が帰るということで、盛大な送別会が開かれた。幼いミレーヌは行かないでとワンワン泣いた。久しぶりに顔を出したジルカルンダは目をしぱしぱさせながら、「日本に、わしは再び行くことはないだろう。佐渡の人たちにくれぐれもよろしく言ってくれ」といった。アイネ、パッソネやソチらも顔をそろえた。たぶんデカプリオの帰国とすれ違うだろうから旅人に注意して、もし会ったら近況を伝えてくれと言った。


 こうして、粟飯原らは帰国の途についたのだが、荷物が多いため、馬数十頭の大キャラバンになってしまった。結果的には、この大量の荷物が、荷物運搬人たちに悪心を起こさせてしまったらしい。
 それはともかく、旅は順調に始まった。運搬人のリーダーは気持ち悪いくらい愛想が良く、低姿勢で裏表なく働いているように見えた。荷物運搬人は出発から約二十里で次の運搬人にリレーする予定だった。
 粟飯原が異変に気付いたのは翌日の夕方には約束のリレー地点に着くだろうというところであった。運搬人リーダーと並んで馬を進めていた粟飯原は、とりとめない話が途切れた時、リーダーがふと仲間たちを振り返って見せたあごのしゃくりあげにただならぬ殺気を感じたのである。粟飯原は自分たちが明日の明け方襲撃されると悟った。これは、日本で山地を彷徨していた優婆塞忍生の本能であった。そして月の出を計算すると、逃げるならいまだという結論に達した。
 やがて、今日の旅を終えた一行は野宿の体制に入った。粟飯原は、そろそろリレー交代だから、今日は酒を少し配って寝る前に一杯やってくれとリーダーに言った。運搬人から歓声が上がった。そして、我々は少し離れた場所に寝るといって、一丁ほど離れた場所に真子と一緒にたき火を囲んだ。運搬人一行から見てこの振る舞いも納得のいく自然なものであった。

 時がたち、運搬人たちのささやかな酒宴が始まった時、粟飯原は真子に目配せをし、「あいつらは今夜俺たちを襲うつもりだ。今から逃げる」といった。
 真子は目を丸くしていたが、かすかにうなずいた。
 二人は、たき火を盛大にして、その後、そろそろと馬により、手綱を引いて、ゆっくりゆっくりその場を離れて行った。抜き足差し足の逃亡を三十分も続けた後にようやく乗馬による逃走を始めた。粟飯原は時々後ろを振り返って敵を確認したが追ってくる気配はなかった。
 月夜の中、夜通し走って、主道を避け、五里行ったところで格好の高台を見つけ、粟飯原はここでビバークをし、簡単に防戦の準備をした。二人は泥のように眠った。
 翌日は移動を避け、この場で待機することとした。荷物を置いてきたのだから、自分たちを追ってくることはあるまいと考えられるが、それは分からない。追ってくる危険性もあるのである。
 そしてひところのパニックが去り、冷静になると、真子が怒り出した。せっかく集めた荷物のすべてを失ったからである。それも戦わずに逃げた。多勢に無勢で戦ったところでだめだと頭では分かっているが感情が収まらないのである。粟飯原も落胆した。残ったのは自分の馬に括り付けていた路銀のためのわずかな砂金と食糧とビバーク用品だけだったからである。
 ところが翌朝に奇跡が起こった。
 粟飯原が馬のいななきに目覚めてみると、数十頭の馬が荷物を背負って集結していたのである。一瞬粟飯原は、これは追手に追いつかれたと思ったが、運搬人たちの姿が見えないのである。
 粟飯原はいろいろ思いをめぐらした。そこで得た結論は、何らかの理由で運搬人たちが目を離したスキに、馬たちが粟飯原の乗ったリーダー(だったのだろう)馬の後を慕ってここまで走ってきたと解釈せざるを得ないということであった。


 この馬群の行動で、粟飯原らは期せずして荷物を取り返したのである。
 こうなると人は欲が出る。粟飯原はあたりの木切れを切って弓矢を作り出した。防戦を始めようとしたのである。しかし、どう考えても、敵に発見され、こちらが絶滅(二人だが)するのは見えている。粟飯原はぶるぶるとふるえだした。
 「ふるえているね。こわいの?」と、真子が言った。「武者震いだ!」と粟飯原は真子の冷たい冷静さに腹をたてながら言った。
 「それより、どうだろう。せっかく追って来てくれた馬たちだけれど、これらを連れて行けば敵の襲撃確実なんだから、追い返したらどうかな?馬が帰って行けば、盗賊たちも私たちを追いますまい」
 粟飯原が冷静になった。それもそうだなと思った。
 「分かった。追い返そう。だが一つだけ胃袋だけは持っていきたい」
 「それぐらい許してくれるでしょう。それなら私は青磁の器だけもらいましょう」
 粟飯原と真子は馬群の荷物の中から巨大生物の胃袋と、青磁を取り出し。そして、(粟飯原が乗っていた)リーダー馬を帰参組に仕立て直した。
 「追い返すなら早い方がいい。まだ心残りのものはあるか?一つ二つなら何とかなるぞ」と粟飯原がいうと、「このメモが手元に来たのだから他は実は何もいらないの」と真子は明快に言った。
 粟飯原が馬群を制御して、リーダー馬を先頭にたたせ、一鞭入れると馬群が元来た道を疾走していった。そしてまたたくうちに見えなくなった。その後あたりはまったくの静寂。
 二人はにわかに笑いの発作に見舞われた。雪の中を転げまわって笑いあった。真子が粟飯原の武者震いとその時の表情を真似して、これでまた笑った。
 粟飯原らはその後、二日間その場にとどまって追手の様子を確認した。そして追手はないことを確認して、東に出発した。

 15.帰国

 粟飯原と真子の二人だけの旅が始まった。二人はひたすら東を目指して突き進んだ。季節は春になりつつあるが、厳寒さは変わりがない。ただ、氷が滑りやすくなり、ソリが使えるようになったことで季節の変わり目が解かるばかりである。ソリは飛ぶように走った。
 二人にとってうれしい誤算は、荷物がなくなったため旅の進行が素晴らしく早くなったことと、粟飯原がイルクツクで買って盗難からも守った古代生物の巨大な胃袋で作った容器が、ちょっとしたパオの替りとなり、その大きさ広さがビバークの苦痛を大きく和らげたことである。ついでに言えば荷物がないので盗賊に襲われる心配がなくなったこともある。
 そんな中で、粟飯原と真子の仲は親密なものになり、近頃は、暇さえあればお互いにお互いを求め、気が付くとまぐわっていた。繰り返される肉体の狂演の中、真子は目くるめく性の喜びに目覚めた。真子は肉体的な人間の女としては一つの頂点を迎えていた。
 白夜の雪原で、オーロラが揺れて輝く大空の下で、粟飯原と真子は修行の義務にかられるようにお互いを求め合った。

 現実は、春とは言え、この厳寒の地では、外で番うことはできず、したがってまぐわいながら同時に雪原やオーロラを目にすることはないのだが、真子の心象では、粟飯原との行為の最中には常に、白夜の雪原が現れ、オーロラと、ときめき輝く銀河が現れ、その中で真子は誰はばかることなくよがり声をあげ、そして絶頂に達して果てるのであった。

 二人は人との交流をできるだけ避けた。必要最小限の食糧を求めるために、道を行き交う旅の商人や時には小規模の村落に立ち寄ることがあったが、そそくさと帰ることはまるで新婚の夫婦のようであった。時に、固定した建物の旅籠のような施設があり、そこの主人から寄ってらっしゃい泊まりなさい旅の疲れが取れるよと言われても、この二人はそれを断って、何を好んでか、あの胃袋のテントに戻ってきてしまうのであった。
 真子はいつも「あなたが求めてくるから」と、粟飯原のせいにしては、粟飯原に行為をねだった。そういう粟飯原も似たようなものなのだから、傍で見ている人がいたら、何をかいわんやこの好きものがと水でもかけてやりたいような塩梅であった。

 実際、他人に見られたこともあった。
 ある白昼の雪原を突っ走っているとき、どちらからともなくまぐあいを求めた。さっそく胃袋の容器に入って、粟飯原が真子を四つん這いにさせて、真子の後ろから番りだした。真子の気がいいところに達した時、突然入り口が開かれた。二人の動きがストップモーションのようにその場で止まった。
 白昼なので、行為の振動で、おそらく胃袋容器が右に左に揺れていたのが遠くから目立って見えたのであろう。それを不思議に思った一人の旅人が近づいて胃袋の帳を開けたのであった。
 旅人は、目撃した行為の意味を悟った後、長嘆息して、言った。
 「真昼間からたまげたもんだ。呆れたもんだ。このスキ者めらが」これを二回繰り返してひげもじゃの哲学者風の旅人は出て行った。
 旅人が出て行った後、しばらくストップモーションのまま止まっていたが、やがて粟飯原が笑い出した。まだ怒張したままつながっている男根を通じて笑いの振動が真子の陰核を刺激して、真子は頂点に達して、またそこで笑いが伝染した。
 夢のような痴態が繰り返されている中で、旅は終わりに近づいていた。
 そしてある日、真子はかすかな潮のにおいを嗅いだ。
 「あなた。出てきて潮のにおいがするわ」
 粟飯原が寝ぼけ眼で胃袋テントから出てくると、大きく深呼吸をした。確かに潮のにおいがした。もうナホトーカは近いのだ。
 夢のような長い旅は終わりに近づいていた。

 ナホトーカでの宿は、日本の蝦夷との交易をしている商人の家が求められた。粟飯原と真子はここで日本に向かう船を待ってそれに便乗して帰国するつもりであった。
 ナホトーカに到着した時点では、予定の立つような便船の情報はなかった。しかしここまで来てあわてても仕方がない。二人とも気長に待つつもりでいた。
 オーロラの下での二人だけの東に向かっての疾走中、ついに大ノ符理男の噂は聞かなかった。またここナホトーカでも聞いていない。あるいは知らないうちにどこかですれ違ったのかもしれない。
 この宿で、真子は日本の装束の古着を求めて着替えた。すると、女とは不思議なものである。粟飯原から見ると、あのオーロラの下の真子とは違った印象になった。それは何とはなしによそよそしいのである。


 そんな中、粟飯原はまた別な心配が芽生えた。ここで、もし真子が妊娠していて出産などということにならないだろうか、ということである。
 ある日、粟飯原は真子に聞いてみた。
 「心配しなさんな。仮に子供が生まれたとして、それは私の子供であり、あなたの子供ではない。あなたとの子供でもない」と、真子は答えた。最後の言葉に、粟飯原はカチンと来た。
 真子は続けた。
 「落ちぶれたりとは言え、私は菅原の姓を持ち、従五位下前上総介の娘である。その子供なのだから粟飯原よりよほど上である。私は私の子に粟飯原の姓を名乗らせはしない」
 粟飯原の沽券は完全に潰え去った。しかし、粟飯原は、あのかっての天羽直幸のように、そこの小娘もう一度言ってみろ、お前を養なっているのは誰だと思っているのか、と啖呵を切れる性格を持っていないし、客観的に見てその啖呵を切る立場ではないことをはっきりと認識できるだけの冷静さを持っていた。たしかに自分は粟飯原という姓すら婿入りで名乗っているホームレスである。しかし、だからと言って、言い方があるだろうと、粟飯原は思った。


 真子がそれを察して、「私が心配?」といたずらっぽく聞いてきた。
 その時、宿の主人が入ってきて、海岸に行ってみなされ。蜃気楼が出るかもしれませんぞ、と言ってきた。粟飯原と真子は救われたように、宿の主人の誘いに乗った。
 海岸に行くと、何人かの蜃気楼見物の人が出ていた。しかし、沖合にまだ蜃気楼はなかった。粟飯原と真子はそろって歩を進めていたがお互いに気まずい雰囲気を感じていた。粟飯原はだんまりである。真子があれはなに?これはなに?と聞いても、粟飯原はだんまりである。
 波打ち際を見ると、この北の海ではまだ流氷がいくつも漂っていた。それが穏やかな波に揺られて、上に、前に、後ろに動いていた。氷の冬の海に春の波が寄ってきているのである。
 長い沈黙の後で、真子が、口ずさんだ。
 「口きいてくれず 冬濤(ふゆなみ)みてばかり 天地(あめつち)のはて 添い寝せし身に」
 粟飯原が初めて聞いた真子の歌であった。この歌で、粟飯原は真子の心情を了解した。そして、これに応えるものを作りえない自分を恥じた。粟飯原は、ただ一言、「ごめん。言っても仕方ないことを言って、聞きたくないことを聞いた。あんたに言いたくないことを言わせてしまった。」といった。真子は微笑みで返した。


 自分がふてくされていたところで仕方あるまい。あのオーロラの下での真子も真実であり、今、ナホトーカで憎まれ口をたたく真子も真実である。事実をあからさまに言われたからとふてくされても仕方あるまい。聞きたくないならどうしようもない質問はするな。
 (注:この歌は鈴木真砂女の俳句に下七七を加えて短歌仕立てにしたものです。鈴木真砂女については、デン助ブログでも取り上げましたが千葉鴨川出身の恋を詠んだら右に出るものはいない俳人です。詳しくはインターネットで検索ください。)


 その時、遠くで人が騒ぎ出した。蜃気楼が出たぞ、という声が聞こえた。二人が沖を見ると、確かにいくつかの船が空中にゆらゆらと浮かんで見えた。

 その蜃気楼の船の中をこちらから出た実体の小さな船が混じっていた。こちらはちゃんと海に腹をつけていた。粟飯原はじっと蜃気楼を見つめていた。大陸生活で粟飯原の視力が向上していたのかもしれない。粟飯原は、蜃気楼の船の中に日本の船が一つあることをとらえていた。
 「わたしの真子よ、もうすぐ日本に帰れるかもしれない」と、粟飯原は言った。
 「え?」と真子が粟飯原を見上げた。
 「あの蜃気楼の中に日本の船が見える。おそらく明日か明後日にはここに入港するだろう」と、粟飯原が言った。真子の顔が喜びにゆがんだ。「あなたの異能さで、何回も私は救われた。いったいあなたの出自は何か?粟飯原とは聞かぬ姓だが」


 「粟飯原は上総平氏の末だが、実は儂の本貫は石上だ。代々古代神道の行者でな。直接の先祖は、大仏建立の時、優婆塞として上京し百済王家に仕えた忍山という人だ。これで白鳥珠との縁が出来た」
 「それであなたはこれからも白鳥珠の威力や使い方を求め続けるのか?」
 「そういうことになる。そして何とか白鳥珠を東国のため、いや上総のために役立てたい」
 粟飯原は白鳥珠という言葉を久しぶりに口にしたように思った。粟飯原の思いでは、白鳥珠は巨大生物の胃袋の容器につながり、この容器はオーロラの中での真子とのまぐあいにつながっていた。
 しかし、粟飯原はこの連想を口にだすことはなかった。あれは蜃気楼のようなものなのだと思うことにした。
 三日後、漆や黄金、蕨刀などを積んだ日本の十三湖からの船がナホトーカに着いた。

           小説「上総岩富寺縁起」その4に続く