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小説「風雲佐貫城秘聞」その4


 31.真夏の八幡村

 長岡の何日目かの八幡村行き。相場の妻女との面会はまだかなわなかった。しかし、美斧は長岡を拒否はしなかった。むしろ好意を持たれているように長岡には思われた。長岡はそれだけで幸せだった。美斧を目にし、美斧の声を聞くことがうれしかった。長岡の日課に、相場の墓参りと、八幡の美斧の学校の手伝いが加わった。もっとも学校の手伝いは三日に一回くらいのものなのだが、長岡は毎日でも行きたいくらいなのである。


 八幡は今、真夏。浜では毎日のように地引網。土用波がくるまでの勝負である。浜は一年で一番にぎわっている。


 今日も例の子供達と恒例の浜の散歩。今日は少し遠くへ行こうと船端の方へ。崖が峨々とそびえ、形の良い松も二、三本。とにかく見えるところにはすべて松がある。(原作では長岡と美斧、馬で来て、血盟隊から抜けてくれ、抜けられないで喧嘩)。この小説では・・・・  


「松が皆んな根上がりしてますね」と、長岡。「そう。根が人の脚に見えてこういうのは暗闇で見たら怖いでしょうね。私も不思議に思ってとなりのおじいちゃんに聞いたら、言い伝えがあって古代の歌垣でタブーを冒した男女が松に変えられたのだそうです。その子孫の松がみんな根上がりするということになっているそうなの。」


「万葉集などに出て来る東歌の歌垣の場面をわたくし唯何となく腰蓑をつけた野蛮人がたき火を囲んでドンドコドンドコ太鼓をたたいて踊っているようなものだろうとおもっていたのですけれど、場面は実は松林で、暗闇の中、海ホタルや夜光虫の青い輝やきに緑の松と本物のホタルを配して美しい男女がいたらこれは相当な恋の場面になると思うようになりました。」


長岡は万葉集の知識がなく、ただ話の内容は良く理解できた。大奥女子大出の女性は男に向かってずけずけときわどい話しをするものだなと感じた。そしてそう言えば、美斧の筆写した吾妻鏡はどうなったかと思い出し「吾妻鏡・・・・」と云おうとして、イヤその場面ではない、ここは・・・・と思いとどまった。


 しかし、現実は何ごともなくそろそろ戻ろうとしている時に、にわかに夕立。子供達を近くの漁具の物置小屋に避難させ、長岡と美斧は、ヨシズ屋根の老人たちの涼み小屋へ。粗末なベンチがしつらえてある。雨はかなりはげしく降っている。屋根がヨシズなので美斧の日傘で二人は雨をしのぐしかない。つげ義春の世界(浜辺の叙景)。長岡と美斧は相合傘状態。雨はすぐ小ぶりになってきた。


 この期におよだら長岡がんばるしかない。たとえ逆縁の仲だとしても、たとえ親の敵だとしても、やってみるしかない。ふられたらカッコウ悪いなんて言っている場合じゃない、どうなろうがいいから行け!、行け!、行けーっ!、長岡!、行けー!


 「あのう、美斧どの」、美斧、何?といった顔。「私・・・・・二年前にもどってよいでしょうか?日月神社の時の続きがしたい」、美斧、長岡を横に見上げて、少しにこっとしてすぐ下に目をやって、はにかみながら、「わたしはー、いいよ」


 長岡おずおずと右手を美斧の左手につないだ。美斧、下を向いている。「二年前、本当はこうしたかった。嫁かないでくれといいたかった」、と、長岡。美斧、長岡の手をにぎり返してきた。


 長岡の頭の先から旋律が走った。ピアノの響きが聞こえた。


 「見いちゃった、見いちゃった」、キヨが二人の前で歌った。雨はやんでいた。シンがにこにこしながら二人を見ている。キンは離れたところでもういたずら。「おねえちゃんとイサミかわいいよ」、イサミは照れて手を離す。美斧、長岡の手を取って、「そうよ、かわいいでしょう」、長岡は二年前とは違って手をほどこうとはしなかった。


 「勝ってうれしい花いちもんめ、負けてくやしい花いちもんめ、キヨちゃんがほしい、シンちゃんがほしい」、キヨが歌った。長岡も歌いたかった。


 「帰りましょうか」、「ええ」、「キンちゃん、帰るわよ」、と、美斧。


 手はにぎったまま。キンが二人のところに来て、「オシッコ」という。美斧、「じゃ、あっちの草の方へ行って、してきなさい」、キン、とことこかけていくと、おしりを出してしゃがんだ。長岡と美斧、手をつないだまま、あれー?っとした顔をして、お互いに顔を見合わせて、プーッと吹きだした。笑いが止まらなくなった。男の子だとばかり思っていたキン(之助)が女の子だったのだ。笑いながら、「こりゃ、しつけの方針を百八十度かえなくっちゃ、お嫁にいけなくなっちゃう」と、美斧先生。「何ヶ月も見ていたんだろうに」、「だって、あのいたずらはどう見ても男の子よ」、二人はすでに両手をにぎってダンス状態。


 キンがもどって来てキョトンとしている。「波うち際に行って、お手々あらってきなさい」と美斧。キンが手を洗って帰ってくると、美斧の帯の上から魔法のように手ぬぐいが出てきた。
 八幡の浜に近づくと二人はさすがに手を離した。


 美斧が二年前の日月神社の帰りの時の話をした。


 「あなたがふてくされた。すねてかわいかった。嫁に行くのは決まっていたが、手をにぎったのは本気だった。あなたがにぎりかえしてくれていたら、引っ張ってくれていたらどうなったかわからなかった」


 浜の対岸に富士が夕日の逆光で形よく、くっきりと浮かび、左手には大島の煙があがっていた。
夕焼けで浜は真っ赤。

 32.元(?)カレ山田登場

 八幡神社の社務所は神主家の好意で今は八幡村の寺子屋になっている。今日は、美斧は幼児担当で保母さんみたいになってお散歩中。長岡は小学児童に習字。学習は午前中のみ。あと三十分ぐらいで授業が終わりといった頃、子供が変なおじさんがおねえちゃんを訪ねてきたと告げた。長岡が玄関に出てみると、長岡と同年代の青年。眉目秀麗で立派な服装をしている。「私、山田直也と申しまする。江戸からまいりました」と、自己紹介。美斧を迎えに来たという。ああこれが美斧の「元」(と信じたい)カレかと長岡戦慄。今、美斧さんはいないというと、では、待たせていただく、と、いうので、失礼ながらあなたは美斧さんの何ですかというと、亭主だと答える。あくまで控えめ、紳士的。ただ長岡の存在そのものを見ていない。わざと無視して頭から相手にする気がないといった顔つきなので長岡も会話の糸口がつかめない。


 長岡は子供たちを帰した。長岡は山田に上がれとも言わないが山田も長岡に話をしようともしない。こうなったらがまんくらべで、美斧にこっちへ来ないように連絡して、山田があきらめて帰るまでこのままにしておこうかと考えたその時、子供たちを帰して美斧が帰ってきてしまった。美斧の足元には白粉花(昼なので花はしぼんでいる)


 山田を見た瞬間、美斧、顔面蒼白、山田を見つめたままブルブル震えだした。長岡、さっと美斧のそばに行き、山田と美斧の間に壁を作るように立った。山田は長岡を一瞥した。ニヤリと笑った。しかしすぐ目をそらし、伸びをするようにして、長岡の背後の美斧に声をかけた。「美斧、すまなかった。私もいろいろあった。上野では怪我もした。そして何もかも失くした。今はまったくの素浪人だ。だから生まれ変われるんだ。生まれ変わったんだ。もう一度やりなおそう。二人でもう一度夢を語ろう。あなたがもどってきてくれたら私は生きられるんだ。あなたはこんな田舎にいるべき人じゃない」、美斧はだまって聞いている。震えは止まったようだ。「・・・・・・・・」、「・・・・・・・・・・」、沈黙が続いた。山田は話を続ける。「薩長政権になったが、私はこの時代でもやっていける力がある。俗な言い方だが必ずや出世できる。あなたと話した夢を実現できる。親分の小栗さんは無知な連中に殺されてしまったが、私は小栗さんの遺志を継ぎたい。継いで行く力がある。だから、戻ってきてほしい」、「帰って!、もう私たちは終わったの、帰って!」美斧はちいさな声で言った。「・・・・・・・・・」


 山田はもう少し脈のある返答を予想していたのかも知れない。会った時の震え、顔色など美斧のリアクションも予想外だった。これはもう手遅れかなと思いつつ、それならば将来の逆転のため、ずるずると泣き言を述べずに、今日はあっさりとさっと引き上げよう、その方が効果があると山田は思った。


 「突然、何の断りもなく来て、悪かった。今日はこれで帰る。また、来る。その時、返事を聞かせてもらいたい。どうか、もう一度だけ私にチャンスをいただきたい」


 山田は、美斧に深々と頭を下げ、長岡に顔を向けて、「失礼した。あなたは美斧の友達ですか?佐貫藩の方ですか?」、「そうです」と、長岡。「相場の母上はこちらにおられると聞いてきましたが、こんな状態ですから今日はこれで帰ります。よろしくお伝え願いたい。城下に行きましたが、相場の家はどうなったのですか?相場のお父上はどこにおられるのですか?ご挨拶したい」、「・・・・・・・・・」、「ハッハッハッハ、この戦では何もかも崩壊した。もし、相場のお父上の居所が知れたらお教えください。よろしくお願いします。失礼した」山田は去っていった。後ろ姿はこころなしか寂しそう。


 美斧、長岡にしがみついて泣いた。


 その後、美斧が次のように語った。


 山田は「大利根月夜」の世が世であった時の平手造酒と思えばよい。殿(将軍)のまねきの月見酒、すなわち幕府の若き俊英達と大奥女子大学との合コンがあった。勝一派、小栗一派、講武所グループなどが来ていた。山田は小栗一派。彼らは日本のヨーロッパ化、富国化を目指していた。俗な言葉で言うと、き・り・し・た・ん。これに私、美斧も興味を持った。山田は金融や国家財政論、私は教育論。山田とはこの合コンで知り合って意気投合。やがて結婚の約束。


 江戸は市ケ谷番町に住まい。父親は温和で、母親は品のいい人。親戚にうるさい人もいない。高五百石。結婚当初は幸せだった。逢う人みんなにみせびらかしたいだんなだった。私を充分に愛してくれた。私はずーっとかわいらしい容姿ばかりが注目された。かわいこちゃん、おもちゃ扱いが悔しくて背伸びしたかもしれない。私の聞きかじりの教育論に的確に反論してくる山田は唯一私を一人の人間として見ていてくれているように思った。


 「大奥女子大の人はみんなあなたみたいに翔んでいるのかな」と、長岡。「翔んでますね。良妻賢母ではありません。清く正しく美しくですから。宝塚ですね」と、美斧。


 しかし、美斧はやがて山田の性癖に疑いを持ち始めた。山田は何事も極端なのである。プラス方向に情熱、あるいは美斧への深い愛情、と思われたものが、実はヒステリー、または極端な嫉妬なのでは、と思い当たった。ちょっとしたことで美斧を平手打ちしたりすることが多くなった。誇り高い美斧は逃げ出さざるを得なかった。


 ところが、今日の山田は変わっていたというのである。この戦争で山田も彰義隊に加わったり、負けたりしたのであろう。徳川がつぶれて、苦労して成長したのであろう。かみそりのようなぎらぎらがなく、温和になったように見えたというのである。昔なら美斧を強引に引きずっていくようなところがあったのだからというのである。


 振り返って見れば、山田が苦労したこの間、美斧は妻として何もしてやれなかった。山田のヒステリーも実は幕府瓦解中の諸々が原因だと思えば、かわいそうなのは山田ではないか。一度は意気投合して結婚までした夫婦なのだから、やり直せるかも知れない。むしろ、相手が何もかも無くして、内に秘めた自尊心だけで立ち上がろうとしている今こそ、妻として、山田に寄り添ってあげるのが愛情なのではないか。美斧はゆれ出した。


 その心は長岡に敏感に反応した。例えれば、粗末な木切れか何かで美斧とままごとをやっているところに、ハンサムな男が、車に、お母さん、お父さん、犬に家までついたリカちゃん人形を持ってきて、あなたはもともとこっちで遊んでいたんじゃないか、こっちへ来いと誘っているようなものだ。父殺しで鉄工所のワーキングプアではとても勝ち目がない。なにせ向こうは「国家財政論」なのだから。

 33.きこりの夫婦のごとき生活

 山田が来た後も美斧の外見は変わりがない。学校は繁盛している。相場は地所持ちだからつましく生きるかぎり生活に不自由はない。長岡に対する態度も変わらない。美斧にいわせれば山田は「好きだった人」、長岡は「一緒にいたい人」なのだ。長岡は嫉妬心や独占欲が薄い。美斧が山田を好きだったでも好きでも構わないと思っている。


 長岡と相場の妻女との和解はまだ出来ていない。


 仕事の問題もある。佐貫藩がつぶれて藩士たちは、ない仕事を分け合ってタイムシェアリング状態。以前からの上げ地に加えて正当な給料すら遅配が続く。暇だが金がない。母親のわずかなたくわえを切り崩して生活している状態。


 そんなある日、池田代官が長岡に耳寄りな話を持ち込んできた。炭焼きをやらないかということ。池田は小久保村に百町歩の山を持っている。砂地で唐椎だけが生い茂っている、やせ地だが炭を焼けば商売になるかも知れない。江戸が東京になりこれから炭の需要がどんどん高まる。やる気があれば、一切を任せるからやってもらいたい。実は池田が一度試みて、山の中に家もあるし、窯も小さいのがふたつある。他の仕事が忙しくてあきらめた。長岡がやる気なら炭焼きのプロを紹介するから、現状がどんなものか、再開が出来るものか一緒に見に行ってくれないかと言うのである。


 長岡は美斧を連れて行く計画を立てた。二泊三日。美斧は、小旅行かピクニックのつもりか分からないがOK。宝塚と国家財政論が好きなような者が、現場に行ったら行っただけで音を上げるかも知れないが、それならそれで仕方ない。自分とはついに縁がなかったのだとあきらめるしかない。長岡が、この戦の後の生活の、美斧へのプレゼンテーションとして示せるのは炭焼きしかない。これと山田の「国家財政論」とでは、はなから勝負が決まっているようで元気が出ないが仕方ない。


 池田代官の百町歩の土地は、西、南、東側が海抜百メートルくらいの丘に囲まれたスリバチのような中に唐椎(トウジイ=マテバシイ)だけがびっしり生えていた。西の丘をひとつ越えるとすぐ海岸である。丘の上から見下ろすと緑のじゅうたんのようである。全体としては一千町歩くらい。池田の持分は海岸よりだから製品運搬の条件は良い。一行は、長岡、美斧と炭焼きの和助と女房のカン。マテバシイは下枝がない。林の中は下草もほとんどない。従ってクモの巣も張っていない。先頭の鉈一丁でどんどん進めるが、地面が意外に平らでなくコブだらけ。長岡は美斧の手を取って何度か引っ張り上げた。季節の終わりの、少ないツクツクボウシがくたびれた声で鳴いている。地面は腐葉土と新しい落ち葉でフワフワしている。全体に乾燥している。樹冠で少しぐらいの雨だと地面に達しない。風通しは良い。


 道々、和助が説明する。唐椎は炭値が安いが、原木の復元・成長が早い。枝が張らないから薪にするのに手間がかからないので、小さな土地、小人数で運営可能である。近くに生活の水と炭俵用のカヤが見つかれば、ここなら炭焼き一人、きこり一人、俵編み一人の三人で何とかなる。製品運搬は臨時日雇いで行く。半年分の生活費をいただければ、その後は利益を渡せますよとのこと。そのぐらいの初期投資ならなんとかなるかと長岡、頭の中で計算。


 池田の言っていた炭焼き小屋と窯に着いた。まず小屋の掃除と窯の点検をしなければならない。女は掃除、男は点検と別れて作業開始をした。木漏れ日から透けて見える空はあくまで青く、密林ながらすずしい風がいつも吹いていた。落ち葉がしきつめられた地面には小さな無数の太陽が輝いていた。四人は嬉々として働いた。放置されていた炭がおこされ、湯が沸かされた。小屋は二人の女の手で徹底的に洗われた。美斧の手にかかると、炭焼き小屋が、さむらい屋敷のようになってしまった。花瓶でもあれば花をもさしかねない勢い。それはそれでいいのだが、場違いに違いがないのは確か。


 「ご馳走を上げるから二人ともいらっしゃい」、昼時に美斧から声がかかった。二人が小屋のウスベリに上がると、握り飯と漬物とお茶。唯一のご馳走はバカ貝の佃煮があった。


 昼食を食べながら和助が明日は水とカヤ場を捜しましょう。池田様の話では自分の地所はもちろん、周辺にも両方ともないと思う、ということであった。カヤがなければないで外注の手もあるが、水は運搬が大変だから池や泉がなければ雨水をためる設備を作らないとどうにもならない。長期的には井戸の掘削も考えねばならない。それだけ初期投資が大きくなるとのこと。


 美斧がいなくなったなと思っていたら、「ジャラン、どう?」と、美斧がクルッとターン。背負子を背負った山ガツ女のいでたちで出てきた。その似合わないこと、まるでハリウッド女優が振袖を着て演じているような格好に残りの三人は大笑い。


 長岡がためいきまじりに言う。「ああ、あ。「与作」の生活にあこがれていたのに、これじゃなれないなあ」、「山稼ぎはそんな夢みちゃいられねえですよ。炭焼きは楽な仕事だといわれましてな、なんにもしねえでも真っ黒になるから、さも目いっぱい働いたように見えるってな。それだけきびしいんだ。それに夜になればサルや鹿やいのししの土地ですからね。若い夫婦二人で暮らすなんざ無理、無理。特に美斧さんじゃ無理だ」と、カンが言った。


 美斧もその意見は認めざるを得ない。長岡は思った。美斧は良くも悪くも城下町の娘だ。人里から精一杯遠ざかったとして八幡の分教場の先生が限界だ。それが出来なくなったら津田梅子の世界に、山田の世界に行くしかないと。

 34.原生林逍遙

 翌日。長岡・美斧と和助・カンは二手に分かれてそれぞれカヤ場と水を捜すことにした。丘の上から眺めて樹相が変わっているところ、また、丘の付け根などが水の所在を暗示する。一方、カヤは海岸近くの土手などがいいかも知れない。こういうところのカヤは風にやられて一般的に質が悪いが、くぼ地などにいいカヤが見つかるかもしれない。見つかった場所が池田地所の外だったら、小久保村役人との交渉になってこれもむつかしいことになるが、とにかくあるかないか決まらなければ計画が出来ないのである。


 長岡は斧を腰に差し、鉈を手に持って前を進む。三十分置きくらいに「ヤッホー」と大声を出す。遠くで和助が復唱する。どこまでいっても唐椎ばかり。西に二キロメートルくらい来て西丘の付け根にたどりついた。長岡と美斧は丘に上がりあたりを遠望。池田の地所境界からは大分離れてしまった。この際、海まで行って見るかということでさらに西に行くと草地に出た。丈の低いカヤが密生。イバラが行く手を阻む。長岡は鉈を振り、進む。自分の背の高さくらいのカヤになった。少し質が落ちるが俵に使えるかもしれない。これは後で和助に見てもらおうと思った。


 丘のいただきを越えると海が見えた。長岡はあたりのカヤをさっと刈って三メートル径くらいの空間を作って二人は休憩。


 「あなたは山かせぎに慣れているのね」と、美斧。「ひとりでずんずん分け入って行くのは好きなんだ。小さい頃からよくやった」、後世なら、「分け入っても分け入っても青い山」山頭火。「あなたは本質的に孤独の好きな人。私は隣近所に人がいないとダメなところがあるの」、「あなたを山に連れてこられないな。田舎者の自分は、あなたと一緒になって、自分が山かせぎ、あなたが寺小屋のお師匠さんというプレゼンしか示せない」、「・・・・・・・」


 休憩後、あちことを歩いたが水はまだ見つからない。丘の付け根に沿って南に行くことにした。炭焼き小屋からざっと三キロメートル。水があったとして使えるギリギリ。もう少し炭焼き小屋に寄ってみようかと道を東にそれた時、岩かげが現れ、岩が濡れていた。垂水という。地面にセリが生えて、その先に十メートル径くらいの池があった。周囲に水神を祀っているような気配がないから誰も知らないのかもしれない。


 二人は歓声をあげた。手に水をすくって飲む。美斧も飲む。長岡は確信犯的に美斧を池の中に引っ張り込む。お互いに手を取って見つめあい、大声で笑ってそして抱き合う。口づけを交わす。離れてお互いに水を掛け合う。きゃっきゃっと笑う。着物はびっしょり濡れてしまった。


 池から上がって、長岡は美斧を引っ張り上げ、美斧の着物を剥ぎ取り、自分の着物を剥ぎ取り、二人は落ち葉のしとねに寝転んだ。そして交わった。長岡の目の前に不思議な弾力がある双丘があり、どこまでもやわらかく、どこまでも受け入れてくれる、まっ白い裸体が横たわっていた。二人は口づけを交わす。そして再び交わった。


 長岡が目を覚ますと、夢ではなく諸手の中に美斧がいた。美斧は眠っていた。起こさないようにそっと腕を外す。あたりを見回すと、二人の着物が木の枝に器用に引っ掛けられ、干されてあった。長岡が眠ったあと、美斧は後始末をして、お母さんになって、そしてまた情婦になって長岡に抱かれたのだ。この間の光景を眠ったふりをして、盗み見ていたらさぞ楽しかっただろうにと長岡は思った。


 秋の日差しであったが、着物はほぼ乾いていた。長岡は美斧にそっと着物をかけてやった。そしてこのいとおしい、かけがえのない生き物に見入った。

 35.八幡村の祭礼

 長岡は池田代官の提案に乗ることにした。さっそく、和助に準備するようにということで頭金を渡した。カヤについては、例の場所のものは使えないことはないというレベルなので、小久保村とのわずらわしい交渉を考えれば外注化が良かろうとの結論。水については、あの池では遠すぎるので、結局雨水溜めを作ることにした。ということで、結果、初期投資がかなり嵩むことになった。長岡個人では支出が厳しいものになってきた。池田に頭を下げれば貸してくれるだろうが、初期投資金まで借りたとなるとその後の関係が危うくなる。上総さむらいの精神に婿入りするのはやぶさかでないが、金銭まで婿入りしたとなっては、三河の先祖に申し訳ないといったところ。この投資金については殿町の旧誠忠隊の二、三に当たって見るかと長岡は思っている。


 美斧との仲は親密さを増してきたが、生活基盤があやふやなのでふらふらしている状況。長岡と山田のプレゼンの歴然たる格差も気になる。山田がまた来たら、サヨナラ逆転満塁ホームランで美斧を持っていかれてしまう可能性は大いにある。何せ相手は「国家財政論」なのだから。


 一番の悩みは、相場の妻女(=美斧の母)との関係。あの襲撃から、丸々だがまだ半年しか経っていないのだからしかたないと考えればしかたないのだが、面会も出来ていない。美斧が自分の母親にどう説明し、母親がどう反応したかも詳しくは美斧は語らない。だが、話の様子では、母親は美斧そのものに怒っている、または、あきれているらしい。美斧は気にしていない。「母は、母。わたしは、わたし」


 もう一人、いらいらしている母親がいた。長岡の母。毎日、毎日、どうなった、どうなったと騒がしい。長岡はハタッと膝をたたいた。「親にろくに相談もせず嫁に行って、出戻りで、今度は自分の父を殺した男とくっついて翔んでいる娘」を持った母親と、「戦争、政治熱に、にわかに浮かれてクーデターのまねごとをして、戦争に行ったと思ったら十日で負けて帰ってきて、懺悔に行った先で恋愛ごっこをしているろくでなしの息子」を持った母親と、嘆きの母親同士、この二人ならお互い理解し合えるかも知れない。相場の妻女が長岡は許さないとしても長岡の母親だけはせめて敵と思わないとしてくれたら、長岡の心は大分軽くなるのである。


 9月14日。美斧の奔走(殿町にはさすがの美斧も行っていない)で、長岡の母親を池田屋敷に呼ぶことが出来た。今日は八幡神社の宵祭り。祭り見物の目的もあるが、メインは母親同士の対面。相場の妻女は長岡の母との対面には乗り気だったと美斧が言っていたので長岡はそんなに心配はしていない。


 今日は夕方に獅子が出るというので、長岡は祭り見物に廻った。子供たちは皆晴れ着を着ている。男の子は半纏に締め込み、地下足袋、鈴やおサルや馬の形の飾りをつけた派手な前掛けをしている。


 神社に上がって行くと高張り提灯がたくさんあって明るい。社頭に15人の男衆(京都町衆のような浴衣姿)が整列。まず神主が祝詞を奏上、榊を振って、一同一斉に二礼二拍一礼の参拝。チョンチョンと拍子木が入って木遣り唄が始まった。「よ~~~~え~~よ~~~え~~~よ~~~え~~~い~ち~に~めん~た~い~・・・・・・」衣装からして江戸の深川の流れとは違うようだ。よ~~さ~~などのうなりが主体で、簡単な祝い語(めでたい、ありがたい、獅子は守り神だなど)が入っている数え唄から始まって富士の雪が三島女郎の化粧水になるとか、一ノ谷の武将の話、大阪娘の嫁入りの豪華さなどが織り込まれている。いなせなものである。


 木遣りを二回繰り返した後、チョンチョンと木が入って男衆がゆっくりと参道を下りて行く。歩きながら木遣りは続く。取り残された獅子二頭。かしらを大きな子供二人でひとつの頭を担ぎ、唐草模様の布の胴体には小さな子供たちが三十人それぞれくらい。皆、男の子。太鼓の連打で、歓声を上げて全速力で社殿を右回りに一周して木遣り衆の後に追いつく。これから村中を巡回して廻るのである。先頭に提灯二人、木遣り衆、太鼓担ぎ、ハガチという白い毛がふさふさ生えている棒の持ち役が二人、獅子が二頭(男と女の獅子)で総勢百人くらい。その後ろにより小さな子供たち、女の子、見物人、お年寄り衆がぞろぞろ、全体で三百人くらいになる。木遣りは続く。


 最初に立ち寄るのが神主屋敷。門前で木遣り。やがて太鼓の連打で二頭の獅子が全速力で屋敷周りをグルッと回り、廻ってきた後、今度は子供たちがケンカと称している獅子同士の取っ組み合いになり、それをハガチが割って入ってケンカが終わり。それで一軒の祭事は終わり。休憩となる。酒やお菓子が振舞われる。この調子で庄屋、組頭などの村の有力者宅を廻るらしい。


 神主屋敷での休憩中、殿様がおられる殿様がおられるとさざなみのように伝わってきた。長岡がふっと見ると確かに阿倍の殿様。八幡神社の大旦那なので代替わりには神主家に逗留、祭り見物をされることがあるが、代替わりでなく、しかも宵祭りに見えるというのは珍しい。大殿の四十九日も終わり、開城の ゴタゴタも鎮火したのでおしのびの楽しみなのだろう。長岡と目が合ってちょっとびっくりしたようであったが、オイというように手をあげニヤリとした。長岡は目礼。殿にとって長岡は同士というより、長岡をマッチポンプと見ておられるだろう。その顔に複雑な許しを感じ、長岡は感謝した。


 獅子は家々を廻りやがて池田屋敷に来た。池田屋敷も障子を全部開け放し、こうこうと明かりがついている。池田代官は羽織袴で獅子を出迎える。長岡は座敷に自分の母親と相場の妻女が並んで座って獅子を見、時おり話をしているのを見た。こちらはこちらで何とかうまくいったかと一安心。


 池田屋敷でも獅子の祭事があり、例の「ケンカ」があった。長岡考えるに男と女がそうのべつまくなしにけんかもないだろう。「ケンカ」とは子供たちへの教育的配慮であって本当は獅子の交合ではないのか。屋敷を御柱に見立て、イザナギ・イザナミがぐるっと廻って交合したように、獅子が交合することで豊穣を祈っているのであろうと思い当たった。そういうことだと美斧とのあの原生林での一件もイザナギとイザナミの神話になってしまう。


 獅子が池田屋敷を出ると、原生林のイザナミが接待業務から開放されて、すました顔をして同道してきた。「母の方はどうだった?」とイザナギが聞くと、「何とかなった」とイザナミ。イザナギはまた一安心。


 獅子は、あと材木問屋の伊勢屋と山王神社で終わりとのこと。夜が大分更けてきた。


 山王神社の祭事が終わると獅子の一行は人数が減ってきた。長岡ははしゃぎ疲れて寝てしまったキンを背負っている。美斧は半纏、締め込み姿のシンと晴れ着のキヨを両手につないで獅子の後を歩いている。


 「今日は充実していた。殿様にも会えたし」と、長岡。まずは一段落。この時長岡の心にもう一件、卒業しなければならない案件があることに気がついた。しかし、とにかく、今日は良かった。明るい月夜の中、遠くで潮騒。風はまったくない。ベタなぎ。

 36.長岡、卒業旅行へ

 八幡村の祭礼から四ヶ月がたった。明治二年1月。この頃の世の中の動きは以下の通り。(少しさかのぼって紹介)


 9月8日 明治と改元
 9月22日 会津藩降伏
 10月13日 天皇、東京に到着
 12月15日 榎本武揚五稜郭を本営とする。
 1月20日 薩、長、土、肥、版籍奉還を上表
 5月18日 榎本武揚降伏(戊辰戦争終結)


 長岡の心の宿題は戊辰戦争の評価である。会津が降伏し、残るは榎本艦隊の蝦夷地だけ。終結は見えたといわざるを得ない。長岡の疑問は、幕府を長とする東軍がなぜ負け、薩長の西軍がなぜ勝ったのかである。長岡に言わせれば東が負けるわけがないのである。


 兵の強弱  個人戦では東軍だろう。
 武器    西が勝っているとされるが先進藩を除けば客観的に見て大差なし。
 戦争文化  西も東も戦争を知らない人々。にわか勉強で大差なし。
 将を得たか 慶喜が悪いとされるが、西軍も全体の将はいない。西郷にせよ西軍全体の将ではない。個々人の質については、えらい人は分からないが遠望するに似たり寄ったり。
 世論は   幕府が嫌われてはいない。朝廷の存在など世論は意識していない。
 信用度   東の方が上。
 補給    西軍は非常に伸びている。東軍は地元での戦いで東の方が上。


 だが、各戦場個別に考えれば、東軍の稚拙さがある。自分だったらもう少し行けたかもの観があるのである。長岡自身の戦歴から大きなことは言えないのだが、それにしてもというところである。現地で地形を見、可能ならば関係者の話を聞き、長岡の考えを当てはめてみたいと強烈な思いがつのっているのである。以下、長岡が評論家として、東軍部隊のいくつかを、少ない情報からの見方だがあえて断定してみた。


 林・伊庭隊 補給が分かっていない。戦争は極論すれば味方への補給の継続と、敵の補給の切断である。それ以外は余技である。林・伊庭隊は、総大将のやるべき余技(表面の戦争)を汗水たらしてやっている。水ぶくれ混成軍団、武器の不統一、現地調達主義などなど目を覆いたくなる。下の兵はたまらない。(官軍、幕軍のほとんどもこれと同じ)


 榎本艦隊 機械が分かっていない。機械は故障するもの。メンテが必要。十隻所有なら五隻はメンテ中でなければならない。たまたまメンテ中でこうなるのでなく、常にそういう状態にしなければならないもの。持ち船を目いっぱい海に浮かばせ続けて何をするのか?当時の海軍力でこういう状態になっていたのであれば、榎本艦隊が唯一出来たのは、大阪、高知、鹿児島、萩などへの艦砲射撃(榎本は提案はしたらしいが)の繰返ししか出来ない。他の作戦は無理。艦隊決戦など無理。榎本艦隊は嵐との遭遇機械の故障になやまされ続けた。これ、運が悪いのではなく、船とはそういうもの。それを前提に作戦を立てないといけない。


 長岡藩 平和時の藩組織のまま軍事行動。健全な藩内野党がいなかった。または藩内クーデターがなかったため、作戦に緊張感がない。


 土方歳三 あまりに肉体主義、精神主義。刀を捨てられなかった。


 会津藩 敵から東軍の象徴とみなされ集中攻撃を受けたきらいがある。それだけキーポイントに立たされた藩なのにあまりにも政治性がない。本家に遠慮しすぎ。鳥羽伏見で会津が踏みとどまっていたらその後は変わったはず。なぜ容保は北条義時になれなかったのか。近藤勇あたりを泰時に仕立て、戦場からとって返させ、「錦の御旗が出たらいかがすべきか」、の近藤の問いに、容保は、司馬遼太郎風に表現すると、鞭を地面にたたきつけ「良くぞ返ってきた。天皇御自ら出陣されたらその場で降伏せよ。そうでなければ偽者である。錦旗だろうが、親王だろうが、公家だろうが、西郷だろうが構わず踏み潰せ」となぜ言えなかったのか。ここで弱腰の慶喜に替わって、宗家をついだとて文句の出ない家柄、文句の出ない政界実績があった、万一失敗したとしても会津一藩をつぶせば言い訳がたったのだから惜しかった。(この大芝居は、事前に錦旗が出ると察知していないと難しいが、突然出たとしてもこのくらいは出来ないといけない。頼朝や義時や信長や秀吉や家康ならやれたはず)


 長岡は言う。相場様と対峙して、彼の命をうばって、自分は、人の争い、政治などに対して何かが分かったような気がしている。それが何かを確認し、自分の手にしっかりと握ってみたい。そのための旅行だ、三ヶ月の卒業旅行だ。確認が出来たらそんなものからスッパリと足を洗う。炭屋になる。


 美斧はふくれた。緒についたばかりの仕事をほったらかして三ヶ月も留守はないだろう。留守中に山田が来たらどうする?一人では立ち向かえない。山田と一緒に行っちゃうかも知れない。


 長岡は言う。山田とのことは自分で決めてくれ。あなたが山田と行ってしまったら、私は仕方ないと思ってあきらめる。日記に一行書く。「美斧去る」。私は山田のように追いかけない。私は相場様の墓のそばで暮らす。


 「冷たいんだ」と、美斧。「私が居たところで、山田と三人で何をする?私は居ない方がいい」、「それでも行かないで!私と山田の間に入って、あなたの背中に私を隠して!」、「そんなアニメみたいにはいかない」


 長岡は美斧の手を取っておしいただき、そして手を離した。「すまない。私の卒業旅行なのだ。相場様の一周忌までにはかならず帰って来る。」

 37.山田再び

 明治二年2月。佐貫殿町の風景は外見的には変わりがない。将来への漠とした不安はあるが、これはどの時代でも同じこと(幕末に限らず平成だってそうだ)。将来は常に不安なのである。急に国民、臣民にさせられ、教育を受けろ、兵隊に来い、貧乏人も税金を払え、物納でなく金で払えなどと言い出されるのはもう少し先の話。今は毎日のように達しが来て、毎日のように取り消され、結論は従来通り。「キリシタン禁止、さわぐな、忠孝にはげめ」を守ればよいのである。ただ武士の世(=戦闘組織のまま、リストラをしぶりながら村役場をやること)は終わると誰もが感じていた。


 美斧、今日は父の墓参り。母親はまだ殿町に来る気になれないとのことなので、長岡が留守の間は美斧が来る。そんな美斧でも殿町を縦断しなければならない長岡の家へは行く気になれない。


 「・・・・・・・・・・」美斧は父の墓に花が供えられているのを見た。美斧は山田の仕業ではないかと直感した。山田との対峙を見斧は覚悟した。


 墓参りの帰り、美斧が婆懐(ばあばあどころ)の八幡道を歩いていると、八幡の方から男が歩いて来た。山田と知れた。冬の日差しが満ち溢れ、北側の土手の上に背の高い篠竹が密生して北風にさやいでいた。南側は細くうねった染川が日に輝いていた。山田が逆光の中で手を挙げた。なぜか清潔な白い歯が見えた。美斧は水車小屋の前で立ち止まった。山田が近づいてきた。


 「怖がらないでくれ。別れにきたのだ」山田がまず結論を言った。「DVでストーカーかも知れないと悩みつつ、だが、最後に会って結論をあなたの口から聞きたかった」、「私は怖がっていません」、と、美斧。山田は語る。さっき八幡の母上に会ってはっきり離別の挨拶をした。今度の戦争で相場の家も大変だったんだな。お墓参りをさせていただいた。父上とは祝言の時と合わせて二回しか会っていないが上総の代官の話は面白かった。代官でも五百年やれば十万石の大名ぐらいにはなるはずなのに、うちの親戚の池田などは五百年経って痩せ山一山だ、なぜか分かりますか? 私には分からなかった。もう一度父上に会いたかった。かなわぬ夢だが・・・・」


 「・・・・・・・」美斧は無言。


 「あなたの相手の人はいい人なんだろう?」美斧はこれに答えず、言った。「あなたとのことで逃げてばかりいました。悪い嫁でした。反省すれば私の方が悪いのかも知れませんが、ただもう元に戻るわけにはいきません。もどれません」、「・・・・・」、「・・・・・・」


 「何が悪いのでしょう。聞いても仕方ないのですが・・・」、「私は一人にさせてもらえなかった。御両親も私の一挙手一投足に一喜一憂といえば分かっていただけますか?私には本心とは思えなかった私はそれほど高貴な人間じゃない。いいならいい、いやならいやで口で言ってほしかった。また、あなたの無言で平手打ちはないでしょう。貴人のようにあつかい、家畜のように扱われ、私は何なのでしょう」


 「・・・・・・・・・」、「・・・・・・・・・・・」


 「あなたの相手の人はいい人なんだろう?」、「冷たい人。父を殺しておろおろして泣きついて来た人。許してあげた恩を忘れて一人で出かけてしまう人。いなかっぺ。不細工」


 「でもいい人なんだろう?」、「分からない。でもこのまま行くと、私、炭焼き屋さんの女房にされちゃいそう」、「炭?、焼き?ですか?」、「百パーセント炭焼き屋さん。ほっとけないのです。彼もとなりの子供達のことも。おろおろしている人、障害があっていじめられている子、意気地なしの子、男みたいな女の子。私は助けられない。会って話を聞くだけ。ただ、世の中はこんな自然だけの田舎のほかにワクワクするもの、美しいものがたくさんあることを教えるだけ。後は子ども自身が自分で選べば良い。選ぶというより惹きつけられちゃうこと?うまく行かないかも知れない。私みたいに。でも生まれ落ちてその場しか分からなくて、女王のような生活も知らなくて、自分がひどいことになっているのも分からなくて、ひたすら生きていくよりいいんじゃない?悩めるだけいいんじゃない?」


 「久しぶりに聞いた。あなたの教育論。あなたは相場の父上の娘なんだね。もっと聞きたかった。私の税のことも聞いてもらいたかった。五百年経っても池田さんが一山のしんしょうの理由も近頃分かってきたような気がしているのだ」


 「・・・・・・・・・・・」、「・・・・・・・・・・・」


 「やめましょう、つらいから。続けていたら戻りたくなっちゃうじゃない」


 「・・・・・・・・・・・」、「・・・・・・・・・・・」


 「分かった。分かった。私は帰る。東京へ帰る。二度と来ない。さようならだ。」山田はゆっくりと言った。山田の顔は暗く沈んでいた。心底ふられたと気付かされた。あともどり出来ないと悟った。


 山田は、美斧に手を差し伸べた。別れの握手。(この当時、エリート達には欧米の風習が伝わっていたと想定します)


 美斧、山田の顔を見上げて、両腕(かいな)を胸に抱き、いやいやをするように首を振った。どういう意味か?山田は一瞬希望を持った。しかし、すぐに了解。別れたくないのでなく、握手したくない、出来ない。長岡への貞節の義理立てなのだ。


 これ以後、山田の方から見て、島崎藤村のような詩でまとめます。(藤村の詩ではありません。念のため)


  われ差し伸べし別れの握手(て)
  君はもろ手を胸に抱き
  時過ぎしやと面(おも)上げて
  悲しく小首を打ちふりつ

  やうやう上げし君の手に
  白き冷たき冬の空気(き)は
  思ひ出氷鉄(ひてつ)とせはせしが
  ピアノの調べ今やなし

  せめてなぐさむ我がおもひ
  輝くなきしくちびるに
  君が来し方爛漫の
  小鳥の風情なかりきを

 38.長岡帰る

 明治二年4月。八幡は桜も散って、あたり一面若葉をかぶったように、緑、緑、すべて緑。ホトトギスがひっきりなしにトッキョキョキャキョクと鳴いている。


 結局、炭焼きのスタートは美斧が取り仕切っていた。美斧が望んだわけではなく、和助が三日にあげず「奥様あれはどうしましょう?これはこうしましょうか」、と、相談に来る。私は奥様じゃないって!、炭焼きなんか知らないって!と言いたいところだが、訊ねられればしょうがない、分かったようなもっともらしい顔をして、あれはこっち、これはあっちといっているうちに何か進んでいるらしい。どうなっても私は知~らない!


 あのやろう(長岡のこと)帰ってきたら思いっきりとっちめてやる。美斧は今日も寺子屋のお師匠さん。今日は女の子ばかり十人集めてお話会。美斧の工夫した紙芝居のような絵を見せて「あんじゅとずし王」貴種流離譚。盲目の老母があんじゅ恋しやほうやれほ、ずし王恋しやほうやれほ、と、やっているときに「ただいま」と、長岡が帰ってきた。雪焼けで真っ黒。「八幡はあったかいな」としみじみした口調。「お帰り、イサミ」、「おお。キンか、少しは女らしくなったかあ?」、「うん」、「授業のじゃましないでね!」と、美斧。「あ、すまぬ。すみませぬ」


 授業が終わって、生徒を帰して、美斧、長岡にしがみつく。「バカ、バカ、バカ、バカ、あなたはバカ、心細かったんだよー、怖かったんだよー、山田がきたんだよー・・・・」、「やっぱり来たんだ。ありがとう。行かなかったんだ」、「あなたのために残ったんじゃない。キン、シン、キヨのために残った・・・・・・面もある」、「理由はどうでもいいや。残っていてくれてありがとう。正直五十、五十と思っていた。日記に「美斧去っていた」と一行書かなく済んでよかった」、「バカ、バカ、バカ、あなたはバカです。こんないい女を一人残して旅に出て!」、「炭焼きの方はどうなったかな」、「なにやらやっているみたい。知~らない。私は知~らない」


 まあいいや、と、長岡、道々炭焼きについて考えたと炭焼き論を展開。漫然と現場監督だけやって、真っ黒になり、カンに笑われたりしないようにする。品質管理をやる。クレーム対応出来るようにロットナンバーをつける。窯の操業日誌をつけさせる。炭から煙がでちゃまずい。消し炭になってしまっていたらなおまずい。目方の正確さをどう確保するか。俵の再使用を考える。スリーピースをツーピース俵にする。トヨタのカンバンを導入する。いろいろ考えている。


 美斧、抱かれながらふんふんと聞いているが、内容はどうでも良かった。とにかく、そんなに張り切るなって!たかが炭焼きでしょうが。普通でいい。普通がいいんだよ!長岡さん!


 五百年で一山のしんしょうでいいんだよ、長岡さん!


 それから三日後、長岡と美斧の新居を建てようかと案だけ決まった。場所は婆懐(バアバアドコロ)の近くの芝が谷(シバゲ)。大奥女子大を出て、江戸城二の丸御殿で合コンをやって、東京は市ヶ谷番町に住んだ身が、今や・・・・・・・。それにしても、ずいぶん思い切って田舎くさく居直った地名であることよ。しかも炭焼きの女房!。


 美斧、考えて見るに、長岡とのことは、あの幼き日の浅間神社の祭礼の帰り道で手をつなごうとして振り払われた、あの自分の行動は、縁結びの神の啓示だったのだ。紆余曲折はあったが、結局納まるところに納まったのだとひとりで納得。


 それから三日後、美斧は自分の体に長岡の子を宿した確かな兆候を感じた。  「了」

 エピローグ

 この小説はフィクションであり、実在した人物、団体などとは一切関係ないことをお断りします。田舎は歴史の保存性が良く、子孫の方々が多数、かくしゃくとしておられますので、へたなことは言えません。富津市史など、鬼泪山騒動で追放、島流しになった庄屋、組頭の名前が、今の時代になっても伏字なのですから。


 先祖が一揆を指導して島流しになったなど名誉だろうと思われるのにです。


 それで配慮したわけではありませんが、地元の登場人物すべて悪くは書きませんでした。一方、地元以外の人には辛口になりました。


 これは、従来発表されているものが、地元をあまりにも悪く書いているのでその反発もありました。そんないくじなし、そんな間抜けな人間ではないといったところです。


 佐貫藩の歴史で、天狗党の処刑と相場助右衛門の暗殺はつながったものと考えられます。


 相場暗殺は、水戸天狗党の生き方、死に方に感動触発された青年達が暴走(政治活動に目覚めた)したのです。青年達の相場暗殺のやり方が鉄砲を用いている点、やり方がきたない、卑怯だと考える向きがあるでしょうが、私は、青年達がほぼ全員で団体で行動したことと合わせて、新しさモダンさを感じています。およそ闘争に刀は不向きであり、テロでない政治活動は集団徒党でないと出来ないことなのですから。


 そして、そこまでした佐貫青年達がその後はほとんど目立った動きをせず、すぐに恭順。殿様を始めとする重臣達も定見がなく、今日は佐幕、あしたは勤皇と右往左往、なすすべも知らず、これがいままで紹介された佐貫史ですが、それはないでしょうというのが私の見方なのです。隠れた事情があったのでは?、と、つじつま合わせをしたのが今回の風雲佐貫城秘聞です。つじつまは合った、と、お思いでしょうか?


 江戸時代は暗闇で、明治は明るいなどに対してはこのごろようやくアンチテーゼが出てきました。西軍は天才(西郷の将器、大村益次郎の戦術)で、東軍は火縄銃をとってよたよた戦ったばかものぞろいという話もこのごろ変わりつつあります。小栗や勝のような、その子分を含めて立派な人が多数いたはずです。官軍に抵抗もせずに下った多くの諸藩もおなじです。えらい人が多数いたはずです。


 この小説では多くの対称性が出てきます。佐貫の中の北方(上郷)と南方(下郷)、都会と田舎、エリート(優秀なエリートは時折、体制から見て、とんでもないことをやりたがります。幕府の若者や大奥は多分、キリシタン=西洋学にかなり毒されていたと私は見ています)と庶民、佐貫藩の中の進駐組と現地採用組(相場助右衛門が現地採用組というのはフィクションです。では進駐組かと断定も出来ないです)、青年と老人などなどです。男と女もそういうことになりますか。


 恋愛ものは、結局つまるところ、女の魅力をどう書き込めるかだと思います。特別な変わった女などいるわけがなく(いたらばけもの)、みんな同じと言えば同じなのでしょうが、女の魅力は、ある時はかわいく、ある時はまぬけで、ある時は聡明で、ある時はいたずらっぽく、ある時は娼婦で、ある時は毒婦で、と、くるくる変わる変わり方なのだと思います。(男の魅力も同じ?)こんな中で多くの小説家が忘れているものに、「身づくろいする女」があります。魔法のようにハンカチを出す、とか、情事の後のぐちゃぐちゃ衣類を、夫に内緒でスッポンポンで洗濯、整理するなどは今までにない?と私は自負していますのですが。ある時はお母さんになるというのは男にとって、ということは女にとって重要な要素だと思いますが・・・・・。


 「告白をしない日本の男」は、婚活本によると世界の常識らしいです。つい最近の朝の連続ドラマ「つばさ」でも女の子から告白しました。告白された男が「ほんじゃま、お言葉に甘えておじゃましますどうもどうも」と行くわけ?


 いろいろ考えたんですが、男は、場違いに、コミカルに、本人は大真面目にずばり言う。


 女はそれをやさしく受け入れる。恥をかかせない(ふる場合は恥をかかせれば良い)ということだと思います。古い映画ですがダステイン・ホフマンの「卒業」を超える告白シーンを私は知りません。日本のドラマには「告白」はいまだかってありません。イケメンを持ってきてんだから告白しなくても女がOKなのは折り込み済みというつもり?でしょうか。ひどいのになると、中年の豪腕ビジネスマン、弁護士または医者が、自分のさばのミソ煮のうんちくだけで20才代の女の子が自分に夢中になったなんて場面。告白なしです。だいたい若いピチピチはこんなオヤジを生理的に嫌います。自分のオヤジみたいなのと誰が好んで同道します?中年さんは中身は知らず昔は知らず今の外見は自分の認識よりひどいのを自覚して、おとなしく生業に専念しましょう、残念ですけど。私はこういうのは読めません。五行読んであとは読めません。もったいないけど投げます。もっともこの中年豪腕とピチピチとの話が美的にリアリテイーを持って表現できれば、「家康とお万の方の物語」が書けるんですが・・・・。いかんせん、さばのミソ煮のウンチクじゃしょうがない。


 「風雲佐貫城秘聞」の真夏の八幡村での美斧のセリフ「わたしはー、いいよ」は、ネタがあって、それはNHKの「ちゅらさん」。小さいとき、大きくなったら弟と結婚しろよ、と、やがて亡くなる兄貴に言われて、こはぐらエリーが「わたしはー、いいサアー」の沖縄弁が使えないので「いいよ」にしました。関東弁ではやわらかさが出ないので、映画にしたら女優にとってここの言い方、アクセントがむずかしいと思います。


「告白」描写にこれくらい神経を使っているんです、かわいそうなくらい努力しているんです。(前首相みたいになりました)


 この小説は佐貫散歩になっています。ただ、漫然と散歩するより、佐貫藩の武士達、殿、大殿、長岡美斧、山田、母親などのしぐさ、心理などを想像しながら歩いたら楽しいと思いますよ。佐貫は城下町の装置がすべてあり小さくまとまっています。的確に再現(佐貫城全体は公園化、三の丸御殿再建、各寺社再建、商店街古式に再建、水車小屋、大木戸等再現)すれば町全体がかわいいテーマパーク見たいになりますよ・・・・・・・。もちろんそのためには電柱を隠し、山は里山としてきれいに手入れし、ごみゼロが条件です。


 次の新舞子ドラマは、「房総里見家の女たち異聞」を予定しています。これも原作の新解釈です。佐貫城を舞台にした里見義弘と小弓公方の姫君との悲恋。さてどうなりますか。請うご期待。